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第332話 罵倒

 レベル30になって二日後の午前中。イリアとハンナとイシドルは連れだって王宮街を取り囲む防壁の外側を西周りに北上していた。

 もう暖房なしでは快適に暮らせる季節ではない。近郊の村から薪や木炭、または石炭を仕入れてきたらしき荷車をよく見かけるようになる。


 やがて街の北側に到着すると草も生えていない荒野が広がっていた。

 もともと王都ナジアはグロロウ丘陵にしか人が住んでいなかったわけだが、初代女王ラウラによってアクラ川の6キーメルテ下流に橋が作られたため、人口拡大する過程において皆が南側に住みたがった。

 結果として北側に住居地が拡大することはなかったため、今では近衛兵団の訓練場として使われることが多く、土が踏み固められて草も生えなくなっている。


 入出審査の警士の人員が南大正門に偏っているため、小さな北門にはハンナが予想した通り行列が出来ていた。それを横目に北東の河原を目指す。

 空は曇って太陽は見えない。

 なだらかに下っていく坂のむこうに、大河が暗く、音もなく流れていた。


 指示されたとおり岩を持ち上げ、的のように立てる。

 イリアの腰まである大きさ。分厚い板状で簡単には壊れないだろう。

 20歩離れた位置に立つハンナが危ないから退くように言ってきた。その手にどこかから借りてきた「石投げ紐」を持っている。


 頭上に掲げた石投げ紐を右手で2回転させて素早く振り下ろすと、解き放たれた石(つぶて)が的から半メルテ上を通ってアクラ川まで飛んでいった。水面に白い水しぶきが立つ。

 さらに続けて3投。1投目はやはりアクラ川に向かって飛んでいき、2投目が的の岩の左上にかすって軽く砕き、3投目は地面にボコンとめりこんだ。


「普通に投げるのと速度は変わらんのに、全然当たらねえな」

「うーん。投げて同じ速さにするには全身運動をしなきゃいけない。これなら手先で投げられるから、逃げながら放つにはいいのじゃないかな」


 あまり全力で回していないようにイリアには見えた。

 なぜなのか尋ねると強度の問題で一定以上加速できないのだという。


「体を細かく動かす訓練には良いと思う。ステータスに適応するのためにもイリアちょっとやってみなよ」


 受け取った投石紐の構造は、まず3本のしなやかな革紐で三角の網が作られて、余った部分を編みながら長く緒にしてある。

 振り回す部分が自分の腕の長さくらいになるよう、緒の端を掌にしっかり巻き付ける。

 石を包み込んだ三角網の、残り2つの頂点から丈夫な細い紐が伸びている。繋がっているそれを人差し指に引っ掛け準備完了。

 最初はゆっくりと、徐々に加速しで最高速度まで回したら指を離し、解き放たれた石が飛んでいくという仕組み。


 1投目はだいぶ左に飛んでいったが、2投目は狙いに近くなった。

 回転させる軌道を安定させることに集中すればそう難しいものでもない。3投目が的に命中。4投目も端の方だがいちおう当たる。

 イシドルが感心したという意味あいの口笛を吹いた。


「やるな。得意なのか?」

「投擲はむこうで少しやりましたから。長さとか強度とかが今の俺の腕力にちょうど合ってるんじゃないですかね」

「いやいや、やっぱり才能だと思うぞ。同じようなのを趣味で使ってた昔の仲間がいたが、真似してみても上手くできる奴は少なかった。初めて触ってそれならいずれ名人だ」

「そうですかね。まあ石の重さが少し変わっても、指を離す瞬間だけ間違わなければ同じ方向に飛んでいくので意外に簡単ですよ」

「大したもんだ。副部長より上手い」

「いやいや」


 ハンナが足元に積んである中から一番大きい石を手に取り、全身で振りかぶって投げつけた。

 石投げ紐を使うよりも速い速度で命中し、的の岩は上半分が割れて崩れ落ちた。


「……」

「朝の武術訓練の課目に加えたらいいよ。今日はそれをしに来たわけじゃない」

「じゃあ何なんだよ」

「来たみたいだよ」



 グロロウ丘陵の方からやってきたのは5人とも知っている人物だった。

 まず普段着姿のジーダンと、華美な紫の服を着たフィリップ・ジュナフリーノ。そして王室顧問賢者のイザーク。

 その後ろを歩いてくるのは大きな頭巾を深くかぶっている男。がっしりとした体形で、着ている装飾のない黒の服は一見普通の意匠だが、おそらく素材が絹だ。

 背後に控えているのがとがった顔の近衛兵団長であることからいっても、頭巾の男はマクシミリアン王で間違いない。イリアは地面に跪こうとした。


「止めなさいよイリア、せっかくこっそり来てるのに、みられたらバレちゃうじゃないか」

「……わかった」

「なんだ? どちらさんなんだ?」

「王様だよ王様」


 手を挙げて挨拶をしながらジーダンが近寄ってきた。


「なんか用なんだって? 今日は俺非番だから、遊ぶなら泊りがけでもいいよ」

「はいこれ」


 ハンナが投げ渡したのは左右一揃いの分厚い革の手袋だった。

 少し小さなものがイリアにも手渡される。


「今から二人には殴り合いをしてもらう」

「は?」

「なんですかハンナ先生、急に!」

「理由は二つあって、ひとつは一昨日言ったようにモグリ蟲とやる前に一戦する、ちょうどいい相手を見つけるのが面倒だって事。そんな都合のいい危険の少ない魔物っていないんだ、近くに」

「面倒だからって俺を魔物の代わりにするんですか!」

「もう一つの理由は、人間相手の検証の信頼性の問題らしい。前やったのは結局凶悪な囚人だったから、証言について信頼性が微妙だとかなんとか」


 イリアがフィリップの方に目をやると、本人は何か焦ったような表情で首を横に振った。


「イザーク顧問の意見に、まあ部長が逆らえなかったという話」

「……いやちょっと待ってよ、なんですそれ? イリアはあれでしょ? 倒した相手のレベルを下げて成長素にするんでしょ?」

「そうだよ?」

「ふざけないでよハンナ先生、俺はアビリティーを得てもう12年目なんだよ? レベルもまだ上なのになんで負ける前提なんだ」

「君は殺傷力の高い武器で戦うことに慣れている。それを使わないでやるのにはあまり馴染みがないんじゃないかな?」

「それにしてもだよ! この間まで子供だった相手に!」

「それに君、20代の前半はレベル上げもおろそかにずっと遊んでて、近衛に入ったのは一昨年のことなんだろ?」

「……まあ、それはそうだけども!」

「じゃあ始めようか。どっちがどっちの味方という事もないですけど、いちおう皆さん2人から離れましょう」



 こういう場合ハンナに逆らっても無駄だと知っているイリアは大人しく距離をとった。

 足元は薄っぺらで縫製もいいかげんな安物の革靴。巨人毒ガエルとの戦いに備えて鉄装靴から履き替えてから、実はもう2足も破ってしまっている。

 ただの試合でまた壊すのも何なのでイリアは靴も靴下も脱いだ。よほど尖った石でも落ちていないかぎり、裸足でも足の裏を怪我するということはない。


 アクラ川から10メルテ以上離れるように気をつけ、比較的平らで動きやすそうな場所を探す。

 分厚く柔らかい手袋を装着していると、ジーダンが話しかけてきた。


「おい本気なのかよ。仮にうまくいったとして、俺のレベルが減っちゃうことになるんだけど」

「なんか今朝ハンナが魔石剤を二瓶用意してましたよ。戻してくれる気はあるはずです。レベルを減らされると溜まってたぶんの成長素も消えちゃうらしいので、まあ足りないわけですけど」

「けどさ。敵相手にしか効かない異能なんじゃないのか? だから味方側はなにも心配いらない善良なアビリティーだって聞いてたんだけど」

「そこですよね」


 20メルテ以上離れ、マクシミリアン王の隣で切り株かなにかに座っているハンナが大声を出した。


「まずは罵り合ってみたまえ! 親友のカナトくん相手でも発動したんだから、出会ったばっかりのジーダンと憎み合うくらい簡単なはずだ!」



 喧嘩を売るという行為もバイジス相手に経験済み。

 また口で言うだけが挑発ではない。そういう荒っぽい場面もスダータタルではそれなりに出会っている。

 イリアはジーダンの胸を左手で突き飛ばし、少し距離をとってから向き合った。

 足元に邪魔な石ころが落ちていたので、蹴り飛ばしてジーダンの脛に当てる。


「おい」

「あんたみたいな、軽薄なやつをぶちのめすくらい簡単だよ」

「なに?」

「いいから掛かって来いよ、見掛け倒し」

「見掛け倒しってなんだよ。近衛は敵に襲撃を躊躇させるために見た目も重要なんだって」

「武器がなきゃイシドルさんの足元にも及ばないんだろ?」

「あの人は【耳利き】なのに前衛張って、19歳で第1師団の小隊長やってたこともあるんだぜ?」

「へえ、そうなんですか」


 ハンナから「なれ合うんじゃない!」との叱責が届いた。



「……縁故登用!」

「なんだよ! なんでそうぽんぽん悪口が出てくるんだ、イリアだって良いところの坊ちゃんだろうが!」

「軟派! 遊び人!」

「いい加減にしろよ、10歳下相手に大人げないけど俺も怒るぞ」

「怒らせるためにやってるんだろうが! この女たらし!」

「……エミリアに振られたくせに……」

「……」

「って、おい顔が怖いって!」


 「いいぞイリア! 今だ!」とハンナの声。

 跳びあがりつつ右腕を振りかぶって、長身のジーダンの顔目掛けて殴る。

 皮手袋で包まれたジーダンの左拳が額を押し返してきた。速度はないがしっかり体重の乗った突きで距離を開けられてしまう。


 左拳の連続突きを両手で払い落され、脇腹を狙った横振りを肘で防がれた。

 ジーダンのステータスは均等型に近いそうだから、『マナ出力』以外ほぼ負けていないはずのだが、殴り合いでは腕の長さの違いがかなり不利に働く。


 片足で後ろに跳んで距離をとり即座に前に跳んで間合いを詰める。

 得意ではないが長い脚を狙って下段回し蹴りを放つ。脛の骨同士がぶつかりお互い痛みに声が出た。



 その後2分ほど攻防を続け、お互い顔や腹に数発拳打を当てた。

 皮手袋があるからあまり痛みはなく衝撃だけが通る。

 どちらもまだ息も上がっていないが、ジーダンが後ろに下がって腕を広げた。


「止めだ止め!」

「え?」

「少しくらい頭にきた部分もあったけど、もう無理だろこれ」


 背を向けて皆がいる所に向かって歩いて行く。

 無表情の王室顧問賢者が手を出し、ジーダンを戻らせようとする仕草をした。


「勝手な判断をするものじゃない、衛士」

「やってみてわかりましたが、まあ俺が絶対負けないとは言いません。でも無理なんですって、イリアが全力で打ってない。そんな相手にこっちが本気出せるわけないでしょ」

「……そうなのか? なぜだ?」


 (はた)かれて少し熱を持っている左の頬骨をさする。とうてい失神させるような威力はなかったが、それはお互いだろう。


「……なんというかちょっと。殴るだけでも命の危険があり得るって本で読んでしまって」

「若く健康なジーダンであればそう間違いは起こらない。軍でもこれくらいの格闘訓練は日常だ。私には多少医学の知識もあるし、何かあっても命を救う処置を幾何(いくばく)か知っている。続けるべきだろう」

「無理なんですって! 少なくとも俺はイリアのことを憎くもなんともない。そもそも人選を失敗してますよ」

「どういう意味だ」

「魔物や敵相手ならいつでも本気でやりますよ。けど俺、なんていうか昔から仲間同士のどっちが強いとか、興味が薄い子供だったんです。恵まれてるからそうなんだってバカにされますけど性分だから変えようがない」


 なおもジーダンに何か言おうとするイザークだったがマクシミリアンが止めた。

 言葉を選ぶように、話しだすまでに少し間があった。



「……無理だと本人が言うのだ。別に、今すぐでなくともいいはずではないか?」

「しかし、陛下」

「証言に信頼ができ、レベルもふさわしい相手を、いずれまた見繕えばいい。地竜狩りまでに検証できれば十分」

「賢者議会への報告を遅らせると面倒が起きかねませんが」

「何も遅れてはいない。むしろ順調に運んでいる、そうだろう?」


 問いかけられたハンナは「そうです」とのんきに答えた。今更だが緊張しているそぶりはない。


 マクシミリアンは振り返り王宮街に向かって去っていった。イザークはため息を吐くと、その後をゆっくり追っていく。

 ほんの少し王宮から離れただけだが政務は忙しいはず。簡単に時間をとれるわけではないだろうに、王に無駄足を踏ませてしまった形になる。



「いやはや余計な時間を取られちゃった、おかげでイリアは魔法の修練に行けないし。学者じゃないんだからこっちに任せてくれればいいのにね?」

「おい! 不敬だぞ!」

「あ、まだ居たんですかフィリップ部長」

「もう帰るが、私が居なくなっても悪口を言うんじゃないぞ!」


 体を上下させながら去っていくイタチっぽい背中を見送る。

 ハンナが振り返って、楽しそうな笑顔になった。


「まあせっかくジーダン君も居るんだしある意味ちょうどいいか。イリアの武器が出来上がったらしいから、皆で受け取りにいこうじゃないか」



 重玄鋼の鎖輪は軍務大官庁に所属する武装研究(しょう)に預けられている。

 その施設は王宮街の北側。独身の近衛兵団員が住む宿舎が並ぶ「ガチャガチャ通り」に面している。

 正式ではないその奇妙な呼び方は、鎧を装備した近衛がガチャガチャうるさく歩き回ることに由来しているそうだ。

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