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第2話 板駒戦戯

 14歳の誕生日の夕食は豪華な物であった。食堂に集う家族の前で「半大人」として恥ずかしくない挨拶をこなし、食事を終えるといつものようにイリアは図書室に(こも)った。


 人間の生活する土地と北東部森林魔境の境目にある、このノバリヤの街。

 「白狼の牙」はノバリヤを本拠地とする十数の戦士団の中で三本の指に入る有力戦士団だ。イリアの父はその頭領で、一族は頭領家ということになる。

 3階建ての屋敷は4人家族が寝起きするには少し大きすぎる。

 夕食を摂った食堂は一度に20人ほどが食事をとれるほどであり、今イリアがいる図書室もその半分ほどの広さがある。


 日はとっくに沈んで夜の2刻になっている。イリアが持ち込んだのは、小遣いで買った高性能な灯壺。

 灯芯(とうしん)が黄金を主原料にした合金で作られていて、燃えないので交換の必要が無い。獣脂燃料の火がガラス覆い越しに図書室内を照らしていた。


 図書室の隅には小汚い木箱があるが屑入れではない。元は果物農家が収穫物を入れておくのに使っていた木箱。蓋を持ち上げ、中から工具袋と短く細い材木を取り出す。

 イリアは床の上に直接座り込むと、丸卓に置いた灯壺の明かりの下でコマの木の材木を彫刻しだした。

 先端には既に王冠を模した意匠が形作られている。密度が高く、硬い材木を小刀で少しずつ削っていく。木くずが胡坐(あぐら)を組んだ膝の上に積もっていった。


 半刻ほどして、図書室の扉が開かれた。開けたのは妹のサーシャだった。

 扉を閉めずに近づいて、イリアの前に立ったサーシャが話しかけてきた。


「おにいちゃん、おもちゃもうできた?」

「今晩中にはできるよ。この駒で最後だから」

「ふーん」


 イリアが今作っているのは板駒戦戯に使う駒である。

 動かし方の違う6種類の駒を28個使い、縦横に7列づつ49マスに区切られた板の上で二人の人間が思考力を争うこの遊戯は、今年やっと7歳になるサーシャにふさわしい遊びとは言えないだろう。

 もともとサーシャにあげるための物ではなかった。半年前に作り出してしばらく、サーシャに問われて何を作っているか説明したら欲しいと言われた。なので、完成したらあげるというだけだ。

 イリア自身、別に欲しくて作っているわけでもない。駒の動かし方や勝利条件、反則など決まりを知っているだけで板駒戦戯は得意ではなかった。


 イリアと同じ、くすんだ茶色の髪を肩まで伸ばしたサーシャ。普段着よりも少しだけ洒落た、飾りのついた上下つなぎの服を着ている。少しうつむき、後ろで手を組んでゆっくり体を前後に揺らしている。


「どうした?」

「……あした、お父さんとおでかけするんでしょ?」

「うん」

「そしたら、おにいちゃんは大人になっちゃうって、ほんと?」

「……まぁ、そうだね」


 明日、イリアは父と共に約20キーメルテ南西にある街グラリーサまで出向いて『魂起(たまおこ)こしの()』を受ける予定だ。

 14歳になったこの国の子供は、重病で寝たきりだとか特殊な事情が無い限りは誰でも魂起こしを受けてアビリティーを獲得する。

 アビリティーを持つことで、人間は魔物と同じように世界に満ちるマナの恩恵をその身に受けることが可能となる。レベルに応じて身体の機能が向上し、適性に応じて魔法を使うことさえ出来る。


 成長傾向によって異なるが、平均的にはレベルを20くらいまで上げれば筋力や体の頑丈さがアビリティーを持っていない場合の2倍程度に向上する。レベル20になれば一般的に完全な大人として扱われるのだ。

 だがアビリティーを持つことは別に義務ではない。イリアの暮らすこのチルカナジア王国の法においては、アビリティーの有無にかかわらず14歳は成人として完全な権利を持つ。そのために、14歳以上でレベルが20以下の者は「半大人」と呼ばれたりするわけだ。


 サーシャは「そっかー」とかなんとか呟き、また何回か前後に揺れた後、踵を返して図書室から走り出て行ってしまった。扉は開け放したままである。

 灯壺の薄暗い明りではよくわからなかったが、幼い妹の表情には何やら不満げな感情があったようにイリアには思われた。あるいはそれは寂しさだったのかもしれない。


 7歳年の離れた兄妹は仲が良かったとは言えない。イリアとサーシャの間にはアレキサンダーという男児が居て、イリアの2歳下のであるアレキサンダーはサーシャの面倒をよく見ていた。5歳年の差があっても二人は仲がいい。


 この家には母親が居ない。父親は戦士団頭領の仕事で忙しい。

 「白狼の牙」は現役の戦士だけでも70名近く、雑務を担う者や正団員ではない若者を含めれば百人以上の規模になる。

 荒っぽい性格の者も多い集団をまとめ上げる父ギュスターブ。子供たちの身の回りの世話をしてくれるのは団員の妻や母親などの女たちだった。数多くの「他人」が出入りする親不在の屋敷の中で、血のつながった3人の兄妹。


 イリアは思う。本来は長子である自分がもっと弟妹のことを気にかけなければいけなかった。

 今の今まで自覚しなかったが、サーシャとあまり親しめないままイリアは子供時代を終えてしまうのだ。親しくないとはいえ、3人で一つだったようなおぼろげな感覚。明日、イリアはそこから抜け出てしまう。一緒に外で遊んだり、他所の子供たちのように喧嘩をしたり、子供で居られるうちにもっと色々な事をアレキサンダーやサーシャと経験すべきだったような気がした。

 悔いの残る年月に、イリアはため息を()きつつ図書室の扉を閉めた。




 図書室は二階にあり、南向きのガラス窓は閉まっているが外の物音が聞こえてくる。通いで屋敷の家事をしてくれている女たちの、最後の一人が帰って行ったようだ。

 ということは時刻は夜の3刻の終わり頃だろう。4刻の終わりまでには寝床についていないと叱られてしまう。叱るのは引退した元団員で、屋敷の執事役を務めるヴァシリだ。イリアは駒の彫刻の仕上げにかかった。


 街の雑貨屋で売られている駒はもっと細かく美しい装飾が施されている。そもそも木製の駒は廉価品で、高級なものは石で作られる。

 最低限、種類が判別できる形になっているだけのイリアの駒は売り物になんかなりはしない。

 だが半年前に『兵』の駒から作り始め、最後の一個を彫るに至ってイリアの技術はそれなりの進歩を見せている。どこから見ても歪みなく、王冠と髭を表す意匠が浮き出た『上王(じょうおう)』の駒をじっくりと確かめ、土台となっている材木を細工用の(のこ)で切り離す。切り口にやすりをかけて完成だ。


 イリアは小刀と細工用鋸などを工具袋にしまい、残った材木と完成した駒を持って部屋の隅に向かった。木箱の中には49マスに区切られた板と、すでに出来上がっている27個の駒が入っている。後手が使う14個一組の駒は墨油につけて乾かしてあり、黒く染まっている。今彫った駒を含めた先手の14駒は薄茶色の木肌のままだ。

 本当ならこれに樹脂塗料を塗って、艶を出し耐久性を上げるべきなのだろうが、そこまでする気は無い。


 イリアは正方形の板を取り出し、駒を初期配置に並べた。半年間の労力の結晶はなかなか見事だ。

 明日の『魂起こしの儀』を思って沈みがちなイリアの気分は、板駒戦戯を完成させた達成感でなんとかすこし持ち上がったのだった。

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