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とある夏の日の記憶

作者: 光井 雪平

 ある夏の日のことだ。台風が近づいているわけでもないが、その日は雨だった。雨の勢いはそれほど強くはなかったが、傘がないとびしょ濡れにはなってしまうであろうくらいのものであった。


その雨によって少し気分を沈めながらも、私はいつも通り、電車に乗って会社へと向かおうとした。駅に着くといつも通り、人であふれていた。雨であろうがなんだろうが、皆には関係ないのだろう。私と同じく会社に行くもの、学校に行くもの、病院に行くもの、旅行に行くものとこの人々の行先は人それぞれだ。


そんな普段は思わないようなことを思いながら、人混みを縫って私は自分の行先の電車が来るホームへと向かった。そして、ホームに着くと、私は周りの様子を呆然と眺めながら電車を待っていた。すると私は一人の青年に話しかけられた。


 青年は赤と黒のチェック柄のシャツを着ていて、黒のリュックサックを背負った黒髪の青年だった。どこか地味な印象でどこにでもいそうで、誰にも気づかれていなそうと少し失礼な印象を私は抱いた。そして、この青年の目の奥に少し寂しげな悲しげな何かを感じた。


「すみません、○○駅に行くにはこの電車で間違いないですか?」


 青年はそう尋ねてきた。私は少し間をおいて答えた。私が間をあけたのには大きく二つの理由があった。

一つ目が、○○駅行の電車について考えていたからであった。自分は降りたことはない、あまり印象が薄い駅だったのだ。私の会社の最寄り駅の三つ前の駅ではあったので、すぐに思いだすことはできた。

二つ目がなぜ私に聞いてきたのかであった。どちらかというとこちらの理由のほうが大きい。駅にいるのなら駅員に聞けばいいだろうとも思ったし、今は誰しもがスマホを持っているので調べればどうとでもなると思ったからであった。だが、きっと彼は駅をあまり使わないとか、来たことがない場所で不安に思って聞いたのかもしれない。朝のこの時間の駅員さんは忙しいだろうと思い、気を遣ったのかもしれない。そして、偶然私に声をかけてきたのだろう。そう思えば、すぐにこのことはどうでもよくなった。

それにそもそも答えない道理もなかった。ゆえに、ただ簡潔に次のように伝えた。


「ああ、そうだよ。次に来る××行きの電車に乗ればいいんだ」

「ありがとうございます」


 すると青年は頭を下げながら、はきはきした印象で感謝の意を表してきた。このことで

私は少し彼に好印象を抱いた。だから続けてこう言ってあげた。


「私も同じ電車だから私に続けて乗ればいい」

「ありがとうございます」


 青年は一瞬の間の後に先ほどと同じように感謝の意を表してきた。私は一瞬の青年の動揺に気づいて少し申し訳なく思った。確かに、いきなりこんなことを言われても困るだろうと。同じ駅で降りるのであれば話は別だろうが。

 私がそんな風に内心一人反省していると、青年は申し訳なさそうに尋ねてきた。


「あの、すいません。○○駅までってどれくらいかかりますか?」

「そうだな、20分ぐらいかな」


 私がそう返答すると「20分か」とぼそりと神妙な顔つきでつぶやいたあと、すぐにありがとうございますと明るく返してきた。私はそのつぶやきに少し違和感を抱くも、突っ込んでもよくないだろうと思い、そこは無視して何事もなかったかのように見せた。


 すると電車が来るというアナウンスが流れてくる。私は青年にこの電車だと伝える。青年は感謝の言葉をまた口にする。私は礼儀正しい良い子だという印象を抱きながら、感心する。


 そして、電車へと乗り込む。いつも通りの満員電車にもまれながら乗り込む。青年もリュックサックを前に回して少し四苦八苦したように見えるが乗り込む。彼は私の隣にいた。私はなんとなく彼と話したいと思って、彼に話しかけることにした。


「電車にはあまり乗らないのかい?」

 

 青年は一瞬びっくりしたような様子を見せた後、すぐに、ええと少し気恥ずかしそうに答えた。私はまたもや失敗したと思う。あったばかりのよくわからない人にこんなことを話しかけられても困るだろうと考える。そうして、また私が一人反省をしていると、私の様子を知ってか知らずか、青年は話しかけてきた。


「毎朝この電車に乗ってるんですか?」


 私はいきなりのことに少し驚きながら、「ああ、そうだよ」と答える。すると青年は少し苦い顔をしながら「大変ですね」と言ってきた。

「大変だよ、ほんと」


 私は苦笑交じりにそう答えた。すると青年は「僕ならこれに乗るくらいならタクシーでも使いますね」と冗談を言った。私は電車内なので声を抑えながら笑うと、「明日からそうするかな」と冗談を返した。青年は笑顔を見せた。だが、目の奥の少し寂しげな悲しげな何かの感じは残っていた。


 そして、私は彼とそのまま楽しく話しをした。なんてこともない他愛ない話を。


だが、お互いにお互いのプライバシーに近いことにはほとんど触れなかった。


 正直私は色々な疑問があって彼に聞きたいことがあった。なぜ○○駅などに行くのか。なぜ乗りなれていない電車に乗っているのか。どこから来たのか。などなど疑問は様々にあった。だが、それを聞いては何かいけないと思い聞かなかった。だから、話しをするにしても他愛ない話しでとどめたのだ。

それに彼もこちらのことに足を踏み入れようとしてこなかったのもある。所詮偶然あっただけなのだ。もう二度と会うこともないだろう。そう思えば、変に相手に踏み入れるのはどこか違うだろうとも思えた。


 他愛ない話のさなか、「次は○○駅~○○駅~」というアナウンスが流れてくる。そのアナウンスを聞いた青年の顔つきは一瞬変化する。ホームで○○駅までの時間を聞いたときの、どこか神妙な顔つきと一緒だった。


「次で降りますね、今日はご親切にありがとうございました」


 青年は何事もなかったかのように爽やかにそういった。私は先ほどの神妙な顔つきがちらりとよぎるも変に踏み込むのはと思いながら、口を開く。私の内心の動揺なようなものを見せないように、明るく明るくと思いながら。


「いや、私も助かったよ。退屈な通勤が君のおかげで楽しめたからね」


 私は笑顔でそう言った。言ったはずだ、顔が引きつっていたりはしないかと思った。青年は「それは良かったです」と笑顔で言う。だが、目の奥の寂しげな悲しげな感じは強くなっているように感じた。そして、○○駅へと着く。青年は「ありがとうございました」と爽やかに言うと人の間を縫って電車を降りようとする。さらに目の奥の寂しげな悲しげな感じは強くなっていた


 それに気づいた瞬間、自分では全く意図せずに、次のように言っていた。


「またどこかで会おう」


 青年は心底驚いたような顔をして振り返り、一瞬固まる。そして、笑顔で次のように返してきた。


「ええ、またどこかで」


 その時の青年は何かつきものが落ちたかのように感じた。そして、私が感じていた目の奥の寂しげな悲しげな感じは消えていた。


 青年は、急いで電車を降りていった。私はその背中を見ながら、内心で良かったと胸をなで下ろしている自分がいることにも気づいた。


そして、私は会社へと向かい、いつも通りに仕事をした。青年のことなどまるでなかったかのようにいつも通りに。


 あの日から私は時折ホームで電車を待っていると、この青年のことを思い出すのだ。青年とはあの日以降あってはいない。


 だけど、なぜか確信のようなものを感じていた。青年は今も元気にしていると、あの目の奥の寂しげな悲しげな感じは青年にはもう完全にないままであると。


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