第三十一話
夏が過ぎ、秋に差し掛かった頃。
僕とタチアナは予定通りルークエンデ領への帰還の準備をしていた。
冬は実家で過ごすこと、というのが僕が冒険者になるにあたって父から出された条件だったので、それは問題ないのだが。
バララエフとリーリエもついてくるという話に、当然なるわけで。
バララエフはリーリエと僕が許嫁であると決めつけている。
リーリエも満更ではなく、僕と結婚すると本気で思い込んでいる。
そんなふたりが僕の実家に挨拶に来る、というのはふたりにとっては自然な成り行き、ということになるのだろう。
リーリエは可愛い。
『ソード&ソード』のヒロインのひとりだけあって、そこはガチだ。
僕としても実のところリーリエと結婚できるのは悪い話ではない。
ただバララエフという祖父の存在が怖いのと、本当にメインストーリーのヒロインのひとりを主人公から奪っていいのか? というモヤモヤした疑問ともつかない葛藤があるだけだ。
……でも家に連れて行ったら許嫁の話、トントン拍子で進みそうなんだよなあ。
僕は貴族といっても三男に過ぎず、剣聖バララエフの孫娘といえば平民とはいえ縁戚になって損のない相手。
剣聖の名は伊達ではないのだ。
「ロイク様のご実家、楽しみです」
「あー……大したものはないよ?」
「あら。でもロイク様のお父上とお兄様がおられるのでしょう? 楽しみです」
一番上の兄ラルフは学園を卒業して、今は家にいるはずだ。
父の跡を継ぐために執務の補佐などをして勉強をしていると思われる。
ちなみに次兄のレオンはまだ学園に通っていて、卒業後は騎士学校に入ることになっている。
将来は騎士になるべく、つまり家から出て独り立ちするべく、準備をしているわけだ。
僕も家を継ぐことはできないから、学園を卒業した後の進路を考えておかなければならない。
とはいえまだ学園に入学する年齢ですらないので、慌てて考える必要はないのだけど。
さて一路ルークエンデ領を目指す僕たち。
四人のうちふたりが子供とあって商隊護衛の任務の賃金は渋くなるのが相場だが、そこは剣聖バララエフのネーミングバリューだけでお釣りが来る状態となった。
十年も表舞台に出ていないにも関わらず、バララエフの顔は売れていたのだ。
商隊にバララエフが同行するということで、別の商隊も合流してきたりしてあっという間に大所帯になる。
そんなことを繰り返して、僕たちは無事にルークエンデ領に帰ってきたのだった。
「ロイク様! おかえりなさいませ!」
「ただいまマリアベル。久しぶりだね」
「ロイク様こそご無事で何よりでございます。そちらのお二人は客人でございますか?」
「あーうん。そう客人。冬の間は家に逗留することになるから、それ込みで父上にお願いしなきゃな」
「そこのあなた、旦那様にロイク様がお帰りになったことをご報告して。……ロイク様、お部屋でお召替えをしてから旦那様にお会いくださいね」
「着替えるのは僕だけ?」
「タチアナ様もお部屋はそのままですから、侍女に案内させましょう。お客人のおふたりにつきましては、大変申し訳ありませんが部屋の準備が整うまでお待ちくだされば――」
言い終わる前に、リーリエが「着替えるならロイク様の部屋で構いません!」と言い出した。
まあ冒険者やってるときは四人部屋だったから同じ部屋で着替えるとかは今更だ。
「まあそうだね。リーリエもちゃんとした格好をしたいだろうし……僕の部屋で着替えるといいよ。バララエフも着替えたいだろう? 一緒にどうぞ」
「うむ。許嫁の話をするのに旅装では格好もつかんしな。儂もロイクの部屋で着替えさせてもらおうか」
マリアベルが敏感に「許嫁」の言葉に反応し、僕とリーリエを見比べる。
僕のことを質問攻めにしたいのを堪えて、僕たち三人を部屋に案内することにしたようだ。
この辺は侍女としてのプロ根性が勝ったのだろう。
というわけで僕は〈クレンリネス〉を全員にかけてから、各自で正装に着替える。
身長がこの一年で伸びたので、予め迷宮都市ジェロイスホーフで誂えた平服だ。
リーリエとバララエフは平民なので、貴族と面会するためのまさに正装である。
特にリーリエは可愛さとのバランスを取って、髪飾りをつけたりしている。
僕の父や長兄への印象を良くしたいのだろう。
……もうこれは決まったかなあ。
リーリエを拒む理由もなし。
むしろこれだけ可愛いリーリエを袖にすることは僕にできそうにない。
剣馬鹿なところが玉に瑕だが、それ以外は常識人なのである。
今の所、致命的な価値観の相違もない。
十歳という早い年齢が気になるといえば気になるが、こちらの世界の貴族の子弟ではない話でもないわけで。
僕はリーリエの求婚を受け入れる方向に傾いていた。
父と兄とは応接間で会うことになった。
こちらに見知らぬ客人がいることが理由だ。
護衛なのだろう、背後にアーヴァング先生もいた。
「父上、お久しぶりです。無事に戻ってまいりました」
「おおロイク。身長が伸びたな。それに表情も溌剌としている。冒険者の水が良く合ったようでなによりだ。タチアナもお勤めご苦労だった」
「はい。坊っちゃんはもう私など足元にも及ばないほど強くなりました。今では私の方が鍛えられている始末です」
「そうかそうか。さすがロイクだ。して、そちらの客人は?」
「はい。父上に紹介します。パーティメンバーの剣聖バララエフとその孫娘のリーリエです」
ギョッとしたのはアーヴァング先生だ。
口をポカンと開けてバララエフを凝視している。
「剣聖……バララエフ様!? ここ十年、表舞台に上がっていないと聞いておりましたが……」
「アーヴァング、落ち着け。……ロイク。なぜ剣聖バララエフ殿がお前のパーティに?」
「成り行きです」
「……むぅ」
半目になった父に笑顔を返す。
ていうか、バララエフとリーリエの視線が痛い。
分かったよ、話せばいいんだろう、話せば。
「ええと、そのですね。僕がバララエフのお眼鏡にかないまして。孫娘のリーリエの許嫁に僕を、という話になりまして。以後、一緒にパーティを組んでいます」
「剣聖バララエフといえば私たちの年代では知らぬ者はいない有名人だ。その眼鏡にかなっただと? しかも孫娘の許嫁にロイクを、だと? …………信じられん。そこまで腕前を上げたのか」
「ロイク殿、それはまことか?」
アーヴァング先生が「やはりついていくべきだったか……」と悔しそうに呟く。
いや無理でしょ、先生はこのルークエンデ領の重臣なわけだから。
それまで黙っていたリーリエが、ずずいと前に出て言った。
「お父上様、どうかロイク様との結婚をお許しください。お祖父様が認めた剣才は私の目からしても確かなものです。私はロイク様と添い遂げる覚悟です」
その言葉に、向かいの三人の顔が苦いものになる。
……?
なぜそんな表情に?
「あー……ロイク? お前もその子と同じ意見か?」
「僕はまだ十歳ですから判断に迷うところがあります。しかしリーリエとの縁談は悪いものではないと思いますが……何か問題でも、父上?」
「実は……ファーランド家のお嬢様とお前の縁談が、この夏頃にまとまったのだ」
「ファーランド家のって……まさかフェリシアと?」
「そうだ。しかしまさか許嫁を連れてこようとは思っても見なかったのでな。さてどうしたものか……」
いやいや待ってくれ。
フェリシアはメインストーリーのヒロインのひとりだぞ!?
ここに来てヒロインふたりとの縁談が持ち上がるって……一体どうなっているんだ。




