殿下にも、この婚約は破棄できません
『殿下には、この婚約は破棄できません』の続きの話です。
一応、これだけでも大丈夫だと思います(多分
でも、読んでからの方が楽しめるかもです
「パメラ嬢、婚約するなんて嘘だと言ってくれ!」
そんな風に、婚約者同士が静かにお茶と共に過ごす時間を楽しんでいる所に、無粋にも強引に扉を開けて飛び込んできたのは浅黒い肌をした黒髪の美丈夫だった。
まっすぐ通った鼻梁と引き締まった口元、しっかりとした顎を持つ男性的なその貌は今、悲壮ともいえる表情をしていた。着ている装束からだけでも、その身の位の高さが推し量れる。
「アポロニウス殿下、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
そうさりげなく淑女の礼をもって答えたのはパメラ・カーライル公爵令嬢。二日後には近隣諸国から賓客を招いて盛大なる婚約式を行う主役の一人だ。
銀髪に薄い水色の瞳、夜空に煌めく星を集めたような清廉さを秘めた美しい姫君だ。
その美しい髪はいま複雑に編み込まれ、ちいさな金の髪飾りで留められていた。そうして、彼女の代名詞ともいえる紅いシングルブレストを思わせる紅い乗馬服姿に金色のサッシュを腰に巻いている。婚約者の色である金色がそこかしこにあしらわれたその装いは、彼女のもつ生来の華やかさを一層惹き立てていた。
その婚約者であるその人は、いきなり飛び込んできて愛しい人との時間を壊し、ぎゃんぎゃんと己との婚約を破棄するように喚き立てる相手をじっと睨みつけていた。
シュトーフェル皇国皇太子クリストファー・アップルフェル・シュトゥルーデル。シュトーフェル皇国皇族直系の証である金髪金瞳の持ち主だ。ハート形の小さな顔は透き通るような白い肌をしていて、すでに16歳になるというのにいまだに線が細いのが目下の悩みだ。婚約者であるパメラと揃いとなる薄水色の乗馬服に銀のサッシュを腰に巻き、皇族のしきたりとして伸ばした髪は銀と薄水色の飾り紐でひとつに括っている。
ずっと待ち焦がれていた婚約式の為とはいえ、せっかく同じ国にいるというのにその式典の練習や準備に追われてしまい一緒に過ごす時間はその練習時のみになり果てていた二人にとって、早朝の乗馬を一緒に行うというその思いつきはとても素晴らしいものだった。
晴れ渡る空も、澄み切った早朝の空気も。新緑の瑞々しい輝きや、川面のきらめきや、道端に咲いていた小さな花や。なにより共に駆けていく相手が乗馬の名手であったことに。そのひとつひとつを確認する度に、それを二人で発見できたことの幸せを共に噛み締めた。
「パメラ大好き。私を受け入れてくれてありがとう」 思いを込めて愛する人にクリスが感謝の言葉を贈る。
「クリス大好きよ。私を好きになってくれてありがとう」 パメラが笑顔で言葉を贈り返す。
婚約の申し込みをしてから三か月、変則的ながらも学園に編入して二か月と少し。
ようやくお互いがお互いの傍に居ることに慣れてもきて、また新しい素晴らしい思い出を作ることに成功した喜びに溢れながら、クリスとパメラは共にお茶を楽しむことにした。
これからまた婚約式の準備に努めなければならないが、もう少しだけでも傍にいたい、そう二人共が感じていた。
しかし二人で朝食を取るのは気恥ずかしい。だからお茶にした。
薔薇の咲く庭園で共に乗馬の余韻に浸り、楽しい朝の記憶をしっかりと思い出として刻もう、そう思っていた。
それなのに、目の前の男はそれをぶち壊そうとしている。
つい、とクリスがパメラを後ろに庇うようにして前に出る。
その眉間に、そっと白くて形のいい指が触れた感触に、クリスはようやく自分が笑顔の婚約者に後ろから顔を覗き込まれていることに気が付いた。
「クリス。そんな顔をしていては駄目ですよ。そんな表情をして眉間にその皺が残りでもしたら私は悲しい」
やさしく諭すその表情と声の甘さに、クリスの頭はくらくらした。
勿論、近すぎる顔と、眉間に触れる指の甘やかな感触にも。
「パメラ。そんなことを言っている癖に、なんでそんなに嬉しそうな顔をしているんですか」
もう耐えられないとばかりに、ふいっ、と頬が朱に染まっていくのを隠そうと顔を横に背けた。けれど、追い打ちを掛ける声と、朱に染まり切った頬に向かってするりと下りてきた手の感触に、反抗することなどクリスにはできないのだ。
「顔を背けたりしないで欲しいのです。私はクリスの顔がどんな表情をするのも好きなのですから」
ふんわりと笑って、なんという恥ずかしい事を口にするのかとクリスは返す言葉を見つけられなくなる。真っ赤に染まった顔の中で、はくはくと薔薇の花弁のようなちいさな唇を動かすことしかできくなっていた。
「…パメラ嬢、そちらの御方はどなたでしょう。ご紹介を戴いても?」
先ほどまでパメラの婚約に対して憤っていた男が、取り繕った態で訊ねた。
パメラはそっとクリスを自分の後ろに庇うように立ち、名前を出さずに答えた。
「こちらは私のとても大切な方です。それ以上はご容赦下さい」
瞬間的に、さすがに正式な婚約式前に年頃の男女が2人きりでいることを善とはできないと判断する。クリスの母国であるシュトーフェル皇国とアポロニウスの母国であるコーザ王国が敵対というまではなくとも常に張り合う関係であることもそうだが、もう何年も前から、このアポロニウスはパメラに求愛をし続けては断られてきたからだった。
よって、この婚約を壊す為なら、なんでもしそうなリストのトップにアポロニウスの名前は上がっていた。
ついと視線を流せば、家令を筆頭に使用人達だけでなく、アポロニウスの側近らしき男等が一同になって、アポロニウスの急襲を阻止できなかったことを詫びるように深く腰を折った姿勢のままでいるのがパメラの目に映り、小さくため息を吐いた。
「それは…今回の貴女の婚約に、関係があるということですね?」
アポロニウスの言葉に、二人の身の内を小さく衝撃が奔る。
さすがに鋭い。コーザ王国には現在3人の王太子候補と言われる王子がいるが、その中でもこのアポロニウスが一番それに近い場所にいると言われている。
「それについても発言は控えさせて戴きますわ」
柔らかな笑顔で応えたものの、正直なところ、これでは白状したようなものである。パメラは自分に舌打ちしたい気持ちになった。
「ふふふ。面白くなってきましたね。そちらのレディ。是非、私に貴女の名前を知る権利を、どうぞパメラ嬢にお許しを戴けるように口添えを戴けないでしょうか。
この私、貴女の愛の僕へ」
──パメラとクリスの口が、あんぐりと開いてしまったのは仕方がないだろう。
ほんの一瞬のことで、大仰に片膝をついて愛を請うべく右手を差し出していたアポロニウスには全く見えなかったことは2人にとって幸運なことだと言えるだろう。
「えっと、あの?」
オロオロとしてクリスはパメラの後ろで上着の端を掴むことしかできなくなっていた。
『今日は、パメラの色である銀色の刺繍を施した薄い水色の乗馬服でちゃんと男装(?)しているのにっ?! ドレス着てる訳でもないのに?!!』
それはクリスの心の叫びだった。かなり大きな叫びではあったが、実際の声として出て行きはしなかったので誰の耳にも届かない。
そうして、眉間に皺を寄せて不穏な顔つきになったのはパメラだった。
「大変申し訳ありません、アポロニウス殿下。それをお許しになることはこの御方にはできない相談なのです」
「そんな。貴女は私の愛を受け入れてくれなかっただけでなく、新しい愛を私が掴もうとすることすら阻止しようというのですか?!」
掴める訳がない。掴まれたら本気で困る。婚約者たちは混乱に混乱を極めた。
そこで一番穏便だと思われる対処を取ることにした。
「お帰り下さい、殿下。そもそもこちらが招待した訳でもありません。
明後日に迫った婚約式の準備もあります故、お引き取り下さい」
パメラはできるだけさりげない風を装って淑女の礼を取り頭を下げ出口を指し示した。
果たして、恋に狂ったアポロニウスの取った行動は、
「判りました。では決闘を申し込みましょう。私が勝ったら彼の君の名前を教えて戴こう」
なんでそうなる。申し込んだ本人以外すべてがそうツッコミを入れたくなるものだった。
しかし、パメラは覚悟を決めて頷いてみせた。この茶番を終わらせるには、いい考えかもしれない。そう思えた。
「いいでしょう。その代わり、私が勝ったら」
「このアポロニウスに叶えられることでしたら、何なりと申し出てください」
大仰なポーズで頭を下げて見せる他国の王子に、またこの展開かとパメラは嘆息したが、目の前の男が知る訳もないと口にするのは我慢して家令に準備をするよう申し付けた。
あまりの展開についていけず固まったままになっていた婚約者へ、そっと視線を移す。
「また少しお待たせすることになってしまいました。
申し訳ありませんが、できるだけ早く戻れるよう祈っていてください」
その言葉に、クリスは困ったような顔をしたまま「私のせいで申し訳ない」と小さく謝った。
そんな顔も可愛いと思ってしまう自分はもうかなり末期だな、などとパメラが考えていることに、目の前でちいさくなっているクリスは気が付いていなかった。
「私のこの剣は刃引きしていないのですが、本当に宜しいのですか?」
ひゅんひゅんと片手剣を振り回しながらアポロニウスが確認する。
施された象嵌や彫刻といった装飾も素晴らしいが、なによりその刀身の輝きが美しい。全体のバランスの良さといい、かなりの名剣であろうことは間違いない。
その剣を持ち振るう姿は気負ってはいるようだが、様になっていて力強い。
「はい。愛用の得物以外で戦っても遺恨を残す結果にしかなりません故」
相対するパメラが手にしているのは勿論愛用の細剣だ。
こちらは刃引きされている練習用の模造剣だ。粘りのある特殊な金属で出来ておりしなやかでとても軽い。パメラにとって自分の身体の一部といっても過言ではない。
どこまでも迅く、どこまでも自由に。
この細剣はそんなパメラの思いを叶えてくれるものだった。
「それにしても。パメラ嬢がこんなに嫉妬深いとは思いませんでした」
くくく、と笑うアポロニウスの言葉の意味が判らず、パメラは片眉をあげて真意を問うた。
「私の愛が他の令嬢に向かう事を、剣でもって阻止しようとするとは。なんとお可愛らしい。
私の国では王になれば第3王妃まで迎えることができるのです。
もし私に勝てたら、その時はあんな国の皇太子とのつまらない婚約など取りやめて。ご褒美に、ねぇ?」
怖気立つような褒美を提示されて、パメラの眉が大いに顰められた。
「私は明後日には正式に婚約を結ぶ身です。冗談でもお止めいただきたい」
第一、剣による決着を申し出たのはアポロニウスの方だ。決してパメラからではない。妄想を拗らせた理由がパメラには判らなかった。
「私が勝ったら、二度と私とあの御方の前に顔を出さないで戴きたい」
その言葉に、アポロニウスの目がすっと眇められた。口角が曲がって持ち上がり、厭味な表情を形どる。
「素直になれない女性というのも、可愛いものですね」
──絶対に、負けない。
それは、どちらがより強く心に誓ったのか。
強い思いを表に出すこともなく、薔薇の咲く庭で、二人は静かに相対した。
「片手剣ということは、盾も持たれるのでは?」パメラが疑問を口にする。
「姫が細剣、それも模造剣のみをお持ちなのに、男である私が防護に備えるなど。騎士道に反するというものです」アポロニウスは胸を張って答えた。
「そうですか。その判断に、後悔なさらないと良いのですが」
アポロニウスがその真意を質そうとした時、審判役を命じられた従僕が開始の合図を示した。
「では、参ります」
そう言ったパメラの動きに、アポロニウスは全くついてこれなかった。
否。目で追う事すらできなかった、が正しい。
一気に詰め寄り、正面に構えたアポロニウスの片手剣の鍔を狙って打ち合い、そこから螺旋を描くように捻じり上げる。不意打ち的に巻き込まれた剣は、あっという間にアポロニウスの手から離れて地に落ちていた。
「それまで。パメラ様の勝ち」
従僕の声でようやく正気に戻ったアポロニウスが待ったを掛けた。
「待て。待ってくれ。いくらなんでも、開始のタイミングが…」
決闘を申し込み、敵と相対した状態から何を言っているのかと、その場にいた誰もが思ったが一国の王子に対してそれを口にできる者はいない。
パメラも黙ったままもう一度下がり、細剣を構え直した。
「くっ。不意打ちだ。ちゃんと戦えば俺が女に負けることなどない」
ぶつぶつと呟かれるそれは戯言にしても戴けない。
この男の口からは、どんなに美辞麗句を連ねようともまったく心に響かない。その訳がよく判る言葉を自らが口に出しているとは考えない無様さに、パメラだけでなく後ろで見ているクリスの目が剣呑に光る。
「よろしいですか? では開始!」
審判役の従僕が、両者の確認を取り再び戦い開始の合図を出した。その直後、もの奇声を上げながらアポロニウスが剣を振った。
「きええぇぇぇっ!!」
最上段に振りかぶり、力の限り振り絞るように振り下ろした。
ガキッ、ガガガガガ、ざしゅっ。「くっ」
果たして、アポロニウスのその剣は、再びしなやかなパメラの剣に絡めとられ軌道を大きく逸らされて、そのまま大きな音を立てて地面に突き刺さった。
無様に膝をついたアポロニウスの喉元に、パメラの細剣が突き付けられた。
「それまで。パメラ様の勝ち」
「嘘だ。なにか不正をしているんだろう。そんな細い腕で揮う細い剣で、私のこの剣を受け止めきれる訳がない」
二度目になる審判の采配にも、唾を飛ばす勢いで文句をいうアポロニウスに冷たい視線を投げかけたパメラは三度下がって剣を構えた。
その様子を憎々し気に睨みつけ、アポロニウスは片手剣を両手で持ち構えた。
「よろしいですか? では…」
審判役の従僕が、両者の確認を取り再び戦い開始の合図を出そうとした、その時、いきなりアポロニウスが剣を振り上げ突進した。
「きぃえええぇぇぇっっっ!!!!!!」
耳を劈くような大音声が、薔薇の咲き誇る庭に響き渡る。
しかし、横から力の限りを尽くして振りぬかれたその剣は、なにも斬ることなく空振りに終わった。
「な、どこに逃げた」
「逃げたとは失礼ですね。ここにいますよ」
真後ろから聞こえた声に慌てて振り向くも、柄を握る手を強かに打ちのめされて、アポロニウスは自ら片手剣を手放した。
カランカランカラン。無情なる音が地に響く。
「それまで。パメラ様の勝ち」
「まだだ。まだ俺はやれるっ」
そう言って剣を取り上げようとしたアポロニウスの手を、パメラは止めた。
「貴方は戦えるかもしれませんが、この剣はもう無理だと思いますよ」
そっと取り上げた片手剣の鍔を指で押し、ガタつき揺れる音を聞かせる。
数回しか打ち合っていないこの程度の手合わせでこのような異音が出るのは異常だ。手入れが行き届いてないとしか考えられない。
「かなりの業物なのに。きちんとした手入れは、剣を手にする者の基本では?」
可哀想ですよ、と返されたそれをアポロニウスは力なく受け取ると、茫然とした態でそのまま屋敷を後にした。
「お疲れさまでした。私のせいで申し訳ありませんでした」
深く頭を下げるクリスの姿に、パメラの身体から力が抜けていく。
「気にしないでください。愛する人を守るために私が勝手にやったことです」
「あ、愛…」
茹で上がった様に真っ赤になるクリスの様子に笑みを深めて、パメラはそっとその額に唇を落とした。
「……こういうのは、男である私から贈るものだと思ってました」
ぷうと膨れて横を向く姿に、つい揶揄いたくなるのは仕方がないことだろう。
「では、クリスから。あなたを守った騎士に、勝利のキスを戴けますか?」
その後、散々どこにしようかするべきか迷いに迷った挙句、ついには目を回して気を失った愛する人の姿に慌てたパメラの姿があったとかなかったとか。
以下、いっぱい続きが増殖中です。
よろしければお付き合いくださいませv