エルフの耳
私はソファに座り、抵抗できないティエッタの頭をその膝に載せた。
「ひいいい、膝枕!?」
自分の意思で動けぬことに、エルフの姫は、ほとんど涙目になっている。
「膝枕にそんなに怯えずとも……」
まぁ、動けなくされて膝枕されたら、私だって泣きたくなってしまうかもしれないが。
イアリスさんはティエッタの肩に降りたって、安心させるように告げる。
「危害を加えるつもりはありません。ただ、我がミミノヒ亭の耳そうじを味わってもらうだけです」
私が、ティエッタの耳にかかる長いブロンドの髪をかきあげようとすると、彼女は拒むように肩を震わせた。
「い、いや……耳、見ないでください……」
「耳を?」
「見ないで?」
わたしとイアリスさんは、ティエッタの言葉の意味がわからず、顔を見合わせる。
「だって、は、恥ずかしい……」
「恥ずかしがることはないでしょう。その切れ長の耳は、エルフ一族の誇りではないですか」
「そうなんですか?」
こちらの世界の常識に疎い私がイアリスさんに尋ねると、彼女は首を縦に振った。
「子供の頃に耳の伸びが悪いと、矯正器具を使って耳を伸ばすくらいには一族の誇りにしています」
首長族が首輪をはめて首を長くしているみたいなもんか……。
まぁ実際あれは、首を伸ばしているんじゃなくて、肩の位置を下げているんだそうだけど……。
「わ、わたしは……小さい頃から耳の伸びが悪かったんです。矯正器具も使ったけど、やっぱりあんまり伸びなくって……」
ティエッタは、恥ずかしそうに、ぽつぽつと語った。
「わたし、耳ブスエルフなんです……姫の癖に、耳が伸びない、本当は、取り替え子なんじゃないかって、子どもの頃に馬鹿にされて」
「だから、髪で耳を隠しているんですか」
ティエッタは、小さくうなずいた。
私とイアリスさんは顔を見合わせる。
なんというか……まぁ。18歳だし、お姫さまで、今までエルフの郷を出ることがなかったんだろうな。
「失礼しますよ」
「え? ひゃあ!」
私は、ブロンドの髪をかきあげて、彼女の耳を見た。
私から言わせてもらえば、充分に細長いエルフ耳。
「なんだ。とてもかわいらしくてきれいな耳じゃないですか」
「ふぇ……?」
「私は好きですよ、ティエッタの耳」
「な、な、にゃ……」
ティエッタの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
「たしかに、一般的なエルフに比べると、二センチくらいは短いかもですね。ですが、そんなことを気にするのは、エルフの郷だけです。あたしの故郷だって、羽の形や模様でいろいろと言われますからね。けど、ちょっと外の世界に出れば、そんなことは誰も気にしません」
「そ、そうなんですの……?」
「今ここにいるアユノスケが、ティエッタさんの耳を好きだと言ったのが何よりの証拠ではないですか」
「あ、う……」
ティエッタは、恥ずかしそうにモジモジした。
白い耳を桃色に染めて、こちらをちらりと見る。
私は、笑顔でうなずいた。
ティエッタの緊張が徐々にほぐれてきたのを見計らって、イアリスさんは彼女の耳のほうへと歩みよる。
「さぁ、というわけで耳そうじをしますよ。ティエッタさんの皮膚感覚をアユノスケに共有してもらいます」
「な、なんでそんなことをするんですか!?」
慌てたように、ティエッタは声を上げた。
「それはもちろん、滞りない施術のためです」
「いいいい嫌です。そんなことしたら舌を噛みますわ!」
ティエッタはわりとまじめに嫌がっている。
まぁ、あんまり気持ちがいいことではないのは確かだ。
「イアリスさん、今回は共有する必要はないんじゃないのですか? 無理強いするのもよくないと思いますし」
「耳かきを侮辱した事、個人的に怒っているので聞く耳は持ちません」
「あ、そう」
私は、同情するようにティエッタの頭に手をぽんと置いた。
「そういうわけだ。君は大魔法使いの怒りに触れてしまったらしいから、諦めよう」
「そんなー!」
「ルーアムエスエーエミミミキカミミ」
イアリスさんが金色の耳かき棒を振って、銀色の粒子が私とティエッタを包む。
エルフのお姫さまの身体感覚が、一方的に私のほうへと流れこんできた。
「むぉ……」
なんだこれ……。
「もしかして、ティエッタ……無茶苦茶、耳垢が溜まってる?」
「いやあ」
恥ずかしそうに、彼女は顔をかくす。
「それは素晴らしい。さっそく掘っておきましょう」
偉大なる耳かき妖精は黄金の耳かき棒を振り上げて、匙を耳の中に突き入れた。
ジョリィッ。
「ぁふんっ!」
かん高い声を上げて、ティエッタの身体は小さく跳ねた。
ガリガリ、ゴリゴリ、グリグリ、ズゾゾ……。
「やぁ、あん、ぁあ、やっ、だめ、それっ、んっ……」
耳かき棒が上下する度に、ビクビクと気持ちよさそうに身体をふるわせてしまうティエッタ。
短い息で、ピンク色の愛らしい唇からこぼれるものは、もはやあえぎ声とか嬌声と呼ぶにふさわしいものだった。
当然、私もティエッタが感じているものと同じ体験をしている。ぎゅっと歯をかみしめなければ、今にも情けない声をだしてしまいそうだった。
イアリスさんが耳かき棒を動かすたびに、頭の中が真っ白になってしまいそうな快感が駆けぬける。
こんな耳かき体験は、初めてだ。
イアリスさんの耳かきテクニックの技巧など関係ない。
快感の波……いや洪水が、私の全身を塗りつぶし、押し流す。
なんだ、これ……。
イアリスさんが、切れ長のティエッタの耳の縁を、ショリショリショリっと掻く。
「ひゃああっ」
気持ちよさのあまり、呂律の回っていない悲鳴をあげてしまうティエッタ。
そうか……。
感覚を共有するといったとき、どうしてティエッタがあんなに嫌がったのか……。
つまり、こういうことだ。
「ティエッタ……エルフって、耳が弱いのか……」
「あ、う……」
彼女は、小さく首を縦に振った。
乱れに乱れた彼女は、うっすらとピンク色に染まった首筋に玉の汗を浮かべ、唇の端からは涎を垂らし、瞳には涙を浮かべている。
もはやそこに、エルフの姫と呼ぶべき威厳や、お淑やかさはない。
敷かしそこには、確実に男を狂わせる鬱草があった。
力なく開いてしまった赤い唇から覗ける真珠の歯を見ると、私は年甲斐もなくその唇にむしゃぶりつきたくなってしまった。
「エルフ族の中には、耳が性感帯になっているものがいると聞きましたが、ティエッタがそうだったのですね」
そんなキルタイムじゃないんだから……。
「そういうエルフは、感じやすすぎて、自分で耳のお掃除ができないといいます。さらに、耳のコンプレックスでずっと長い髪で隠していたから、耳そのものが持つ自浄作用もあまり働かなかったのですね。これは、我々の下に来て正解でした」
イアリスさんがボロボロと取れる耳垢を見てと手も満足そうに解説してくれる。
朝露で拭うことしかできなかったというのもまじな話だったのか。
ていうかですね……。
「イアリスさん、ちょっと、ここらへんにしませんか? 私のほうもそろそろ限界です」
エッチな女の子は好きだけど、耳かきとはきちんとわけるべきだと思うわけですよ。
「大丈夫、アユノスケが狼になったときはそのモノをちょん切ってさしあげますので」
「そうなる前にやめて欲しいっていってるんですがね」
でもイアリスさん、全然冗談いっているように見えなくて、半勃ちだったのが一気に萎えたよ。
「それに、ティエッタさんはまだまだその気にはなってないようですよ」
「え?」
「はぅ、その……もう終わり、ですの……」
火照ってしまった身体の熱を逃がすように、ティエッタは私の膝とソファに身体を押しつけながら、そう言った。
「まだ、耳の中、ゴロゴロいってますわ……その、硬くて細い匙で……んっ」
うわあ。薄緑色の瞳の中にハートマークが見えるようだ。
「コリコリって、あん、いっぱい引っ掻いてほしいですの……」
蠱惑的に唇を噛んで、悩ましげな視線を送ってくる。
「ふふふ、女の子にここまで言わせて放置するつもりですかアユノスケ」
「いや、完全に正気をなくしちゃってるじゃないですか……あんまりエッチなのはよくないと思いますよ」
耳かきされて気持ちよくて悶えちゃう女の子は、いいものだとは思いますけどね。
「とはいえ、長年耳を触れずにいたティエッタさんの耳の中に垢が溜まってしまっているのもまた事実。しっかりと掃除してあげたほうが彼女のためですよ」
「あなた、ただ自分が耳そうじをしたいだけでしょう」
「耳かき妖精ですので」
ああ、もぅ。
客であるティエッタも、耳掃除をする当人もやる気なのだから、私が口をはさむことではないのではないかと思えた。
「イアリスさん……その、優しくしてくださいね」
「なんでアユノスケが初めての女の子みたいなことをいっているんですか」
だって!
イアリスさんの耳かき棒が再び荒ぶる。
「あ、やん、んん、そこぉ、いいですぅ」
ティエッタは、真っ赤になった顔を隠すように、私の膝に抱きついてきた。
彼女の甘い声と、耳から全身へと広がっていく官能に、私はただ、自分の理性を繋ぎとめることで精一杯だった……。
◆◇◆
それから――。
「えっと、その、そういうわけで、これからしばらくお世話になることになります、エルフのティエッタです」
ティエッタは、ミミノヒ亭で修行をすることを決めたらしい。
「以後、よろしくお願いしますわ」
「ああ、はい、よろしくお願いします……けど耳が弱いのに、うちで助手をするのでよかったんですか?」
「そこは問題ないでしょう。感覚共有はこれまで通りアユノスケにしてもらいますし。ティエッタさんには、そのむちむちの太ももで膝枕担当でもしてもらいますかね……むひひ」
「わ、わたしその、あまり知らない殿方に膝枕をするのは……」
「なにをカマトトぶっているのですか。さっきまで耳かき棒を突っこまれてアヘアヘと喘いでいたのに」
「し、してませんわそんなこと!」
まぁまぁ。
「ティエッタさんの仕事は、おいおい見つけていけばいいんじゃないですかね……」
「仕方ないですね」
イアリスさんは渋々納得すると、彼女専用の机に向かって、手紙を書きはじめた。
たぶん、ティエッタさんを預かる旨をエルフ王に連絡するためのものだろう。
「ありがとうございます、アユノスケさん」
ティエッタが、わたしにだけ聞こえるように、小さな声で告げた。
「いえ……色々とその、あなたに不本意なコトして、恥ずかしいところも見てしまいましたから……」
「は、はぅ……あれは、忘れてください」
「努力します……」
「うぅ……やっぱりこんな耳では、お嫁にいけませんわ」
私の隣に腰を下ろして、ガックリと肩を落とす。
「そんなことはないと思いますけど……」
「でしたらその、アユノスケさんなら、わたしのことをもらっていただけますか……」
「へ?」
突拍子もない質問に、私は思わず聞き返してしまった。
ティエッタは耳まで真っ赤にして、さっとうつむく。
「な、なんでもありません……!」
「ああ、はい……」
聞かなかったことにしよう。
私は、熱を帯びた自分の頬をなでながら、そう思った。
ティエッタさんが、今にも消え入りそうな、か細い声で、つぶやく。
「あの……さっきのことは忘れて欲しいですけど……アユノスケさんが、私の耳を好きだと言ってくれたことは……覚えていて、いいでしょうか」
私はうまく言葉が出てこず、小さく、首を縦に振ることしかできなかった。
机に向かっていたはずのイアリスさんが、こっちを見て、ニヤニヤと笑っていやがった。