開店準備2 ~プレオープン~
施術シーンは、お好みでお気に入りの耳かき音を聞きながら読んでいただけると、より一層の臨場感を味わいいただけるかも知れません。
「み、耳かき専門店……?」
異世界で耳かき専門店とは、これはたまげた。
しかも体長15センチほどの小さな妖精がやってくれるとは。
「お店の助手といってましたが、私はなにをすればいいんでしょうか?」
私が尋ねると、イアリスさんは眠たそうにしている目を見開いた。
「すばらしいやる気ですね。引き受けてくれるんですか?」
「仕事の内容によりますね」
耳そうじが好きといっても、私はされる専門だ。いやま、コルク状になった垢が詰まった地獄絵図のような耳が、キレイになっていくだけの動画とかも見るのは好きだけど。
されるよりはされたい、そんなタチなのである……。
あ、Mじゃないよ?
「では、アユノスケにしてほしいことを説明しましょう。口で説明するよりも、実際にやってみたほうが早いですね」
そのときだった。
コンコン、と部屋にノックの音が響いた。
「どうぞ」とイアリスさんがいうと、木造の小屋に入ってきたのは、いかにも勇者、という風貌の青年だった。
「あの、外に『耳かき専門店』とあったのですが、こちらで耳そうじをしてもらえるのでしょうか?」
「ちょうどいいですね」
勇者っぽい青年の言葉に、イアリスさんは頷いた。
「ええ、まだ開店準備中なのですが、特別にしてあげましょう。プレオープン価格ということで、御代は半分にしてあげます」
イアリスさんが耳かき棒を振り上げて壁にかけられていた看板を示した。
【耳そうじ 一回 銅滴7粒】
これって、どのくらいの値段なんだろう?
疑問に思っていると、イアリスさんが耳打ちしてくれた。
銅滴10粒あると銀滴1粒になって、街で大人一人がお腹いっぱい食べられるくらいだという。
うーん……だいたい7~800円てところかな? アキバの『耳癒やし亭』を思うと、ずいぶんと良心価格だと思う。
「今回は大サービスで、銅滴3粒でいいですよ」
「本当ですかっ!?」
青年の喜びようを見ても、お値打ち価格なのがわかった。
彼は腰の革袋から豆粒ほどの大きさの銅片を取りだして、イアリスさんが示す瓶の中に入れた。
カラコロ、と空の瓶の中で銅粒が三つ跳ねた。
「あなたは我が『耳かき専門店 ミミノヒ亭』のお客様第一号です」
「こ、光栄ですっ」
「こういうお店は初めてですか?」
「耳そうじをしてくれる店など、はじめて聞きました」
「でしょうね」
イアリスさんの案内で、青年は、私が今まで寝ていた魔法陣の描かれた床の上に寝転がった。一応頭には、枕のようなものを敷く。
でも、ちょっと硬そうだ。
膝枕とかしないんだろうか……いや、妖精のイアリスさんには不可能だな。
「それでは、これからアユノスケのお仕事をしてもらいます」
私が床に座ってイアリスさんの仕事ぶりを見ていると、彼女は私と青年のあいだに立って、金の耳かき棒を振って呪文を唱えた。
「ルーアムエスエーエミミミキカミミ」
耳かきの匙の先から、光の粒子が発せられ、私と青年を包みこむ。
次の瞬間、身体が倍に膨れあがったような不思議な感覚に陥った。
なんだこれは? 無性に耳がかゆい……。
「アユノスケは、今、こちらのお客様と一方的に感覚を同調させています」
「ええっと、それってつまり……」
「お客様が皮膚で感じているものを、アユノスケもおなじように感じているということです」
「な、なんだってそんなこと……」
ああ、無性に耳の中がかゆい。この突然の耳のかゆみは、目の前の青年が感じているということか。
試しに耳に指を突っこんでみるが、かゆみは静まる気配すらなかった。
「『ミミノヒ亭』は、お客様を選ばないことがモットーです。しかし、この広い世界、中にはあたしが意思疎通を図れないお客様もおりますので、そのときアユノスケにお客様とあたしの仲介役となって欲しいのです」
あああ、かゆい。かゆい。
「ろくに聞いてませんね。まぁいいでしょう」
イアリスさんは、枕に頭を乗せて仰向けになった青年の右耳の前に立った。
「ルミナスルーアム」
呪文を唱えると、蛍火のような光の粒子が空中に現れて、青年の耳を照らした。
「とりゃ!」
そして、イアリスさんは金の耳かき棒を両手に持って、青年の耳に突き刺した。
あふん。
かゆかった場所に、ようやく爪の先が届いたあのときの感動が、再び私の神経を駆け巡った。
ごりごりごりごり、ぐりぐりぐりぐり。
あわわわわ……。
私の耳の中に耳かき棒を突っこまれているわけではないのに、気持ちいいのがとまらない。硬い耳かきの匙が、疼く耳の壁をコリコリと……。
この感覚は、バイノーラル録音された耳かき音を聞いているときに似ているんだけど、より、リアルに感じる。
感覚共有すげー。
私はきっと今、耳かき音というVRの最先端にいる。
異世界魔法って、きっと高度に発達した科学と見分けがつかない。
「ふむ、あまり汚れてはいませんね」
光魔法で照らされた青年の耳をのぞき込みながら、少しだけつまらなそうに、イアリスさんがいった。
「え、そうなんですか?」
こんなにかゆいんだから、この御仁もかなり溜めこんで来たと思ったのに。
「耳に傷がついていて、カサブタができてます。かゆいのはそれでしょう」
あああ、なるほど。
身におぼえがある。
「きっと、適当にそこらへんにある木の棒か何かで、耳を掻いてしまったんじゃないですか?」
イアリスさんが青年に問い掛けると、彼は悦楽の声をこぼしながら、肯定した。
「む、昔から耳そうじが好きなもので。小さい頃はお袋がやってくれていたんですけど、魔王を倒すために旅に出てからは、やってくれる人もいなくて……血が出るから、やってはいけないとわかっていつつも、やめられなく」
魔王とかいるのか、やっぱり。
いや、それよりも。
この青年の気持ち、同じ【耳かきスト(耳かき愛好家のこと)】としてよくわかる。
どうして私たち【耳かきスト】が耳かき音声を聞くのか?
決まっている、毎日耳かき棒を耳の中に突っこんで、ハードにゴリゴリするわけにはいかんからなのだ……。
耳の穴はデリケート。
ゆえに、気持ちがいい。
ゆえに、あまりほじるわけにはいかないのだ。
「同士よ、君の気持ちはよくわかるぞ」
「わかってくれますか、変な服を着たお兄さん!」
「はいはい。危ないので動かないでください」
ぐりぐりー。
あ あ あ あ あ あ……!
「カサブタは剥がさないように、かゆいのだけきれいに取り除いてあげます」
「そ、そんなことが可能なんですか!?」
「耳かき妖精の超絶テクです」
耳かきをされる感覚を味わいながら、同時に外側から耳かき棒を動かすイアリスさんが見られる私は、幸せもんだろう。
黄金の耳かきを両手で操る小さな彼女は、私の目に熟練の槍兵のように映った。
金の耳かき棒をまるで生き物のようにしならせて、時に小刻みに、時にそんなに奥まで入れちゃうの!? と驚愕を覚えるほどに、深く突き入れていく。
それに応じて、耳穴から背中にいたり、全身へと駆け巡る快感。
ああ、頭の中が、真っ白になる……。
◇◆◇
勇者の青年は両耳をきれいにしてもらって、すっかりご機嫌で帰っていった。
イアリスさんは青年から出た耳垢を小さなホウキとちりとりできれいにして、私を見上げた。
「というのが、アユノスケにお願いしたいお仕事です。どうでしょうか?」
おわかりいただけただけるだろうか?
耳かき好きにとって、耳が毎日汚れないというのは、とてもとても、悲しいことなのだ。
気持ちのいい耳そうじをするためには、耳垢を溜めなければならず、しかしそのためには、耳かきの快楽を封印せねばならないこの苦痛。
しかし、しかしである。
ここにいれば、耳垢を溜めた客がやってきて、私は毎日のように、汚れた耳でイアリスさんの超絶耳かきテクを味わうことができる。
天職。
まさに天職。
女神様、感謝します……!
そうして私はこの異世界の耳かき専門店『ミミノヒ亭』の従業員となった。