プロローグ
ふふふ……とうとうこの日がやってきた……。
今、私の目の前には、着物をきた女の子が座っている。
長い黒髪、色白の肌、パッチリとした瞳、きれいな指先。
その身にまとう花柄のピンクの着物が、とてもよく似合っている。
かわいい。
私好みだ。
追加料金1000円を払って指名しただけのことはあった。
ここは都内某所にあるイアーエステサロン『耳癒やし亭』。
いわゆる耳かき専門店だ。
着物をきた女の子に膝枕で耳かきをしてもらえる、すばらしいお店。
30分コース 3800円。
60分コース 7000円。
小町(耳かきしてくれる女の子のこと)の指名料 +1000円。
延長は5分ごとに+1000円。
東京出張のこの日に乗じて、とうとう憧れのこのお店にやって来ることができた!
「ミヤです。ご指名ありがとうございますっ」
小町の女の子は、初々しい感じで、頭を下げた。
「きょ、今日がはじめてですっ! よろしくお願いします」
必死な感じでかわいいな。やべぇよ、これだけでもう常連になっちゃうかも知れない。
「そ、それではこちらに……」
ミヤちゃんにうながされるまま、私はごろんと、彼女の膝枕に横になった。
ほあああああっ……!
後頭部に、やわらかい、感触。
着物越しでもはっきりとわかる。
幸せ……! 圧倒的快楽。
女の子に膝枕をしてもらったのなんて、いつぶりだろう?
てか、カーチャンを勘定に入れなければ初めてだ。あったかい、女の子の温もり……。
一瞬前にカーチャンのことを考えてなかったら、勃ってたかもしれんな……。
ありがとうカーチャン、東京土産の東京バナナを買って帰るから、しばらく私の頭の中から出て行ってくれ。
「そ、それじゃあ、はじめますね」
おっかなびっくりと、耳かきが私の耳の中へと入ってくる。
今日まで三週間、耳垢を溜め続けた、この私の耳の中に!
実はもう、かゆくてかゆくてしょうがなかったんだ。
かゆくなるからという理由で、私の大好物の『耳かきボイス』も絶ってきた!
そんな場所を、硬い匙の先っぽの部分で、コリコリッと、掻いてもらったら……!
あああ、いざ行かん、ニライカナイ!
いざ行かん、桃源郷!
「あっ!? 手がっ!」
――へ?
ぶすっ。
☆☆☆
真っ暗な闇の中を、漂っている。
どうやら私、死んだらしい。
ごめんよ、カーチャン。
ミヤちゃん、ドジっ子っぽかったもんなぁ……。
ニライカナイとか桃源郷に来るはずが、あの世に来ちまったよ……。
痛みを感じるヒマもなく逝けたのがせめてもの幸いかな? てか、ミヤちゃんはどれだけ深く私の耳を貫いたのよ?
さっき、女神様が私のもとにやって来た。
かわいそうなので、私は異世界で第二の人生を歩むことができるらしい。
「異世界転移の特典はないんですか。チート能力とか超アイテムとか女神様自身を連れて行けるとか」って聞いたら、
「九月か三月の決算期に亡くなった方ならそういうチャンスもあるんですが」
「女神様って企業形態をとってるの!?」
「人間からリビングメイルへ乗り換えていただけますと、そろばん検定一級のスキルをプレゼントするキャンペーンをやってます」
「およそリビングメイルには、いらなそうな能力」
「だいじょうぶ、MNP(メモリー・ナントカナルナル・ポータビリティ)で記憶はそのまま持ち越せます」
「携帯電話じゃないんだから」
「次がつかえてますので、早く決めてもらえますか?」
女神様のこの塩対応……。
人間かリビングメイルかー……。
私って、異世界にいってなにか特別にやりたいことがあるわけでもないしな。
せめてもの心残りといえば、
「リビングメイルに耳ってありますか?」
女神様は、首を横に振った。
耳がないんじゃ、耳そうじできないなぁ……。
耳そうじができない生き物には、興味ないぞ。
こうして私は、異世界で第二の人生を歩むことになった。
あ、そういえばまだ名前を教えていなかったな。
私は早河鮎之助。
とくにどうということもない、耳かきと耳かき音声と耳かきボイス好きの、サラリーマン。
「時に女神様、もうひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
「なんです?」
なんでキレ気味なのよ。
「ミヤちゃん、どうなりましたか? 私の耳に耳かき棒を刺した女の子」
こんなこと、というと自分を卑下するみたいだけど、悪気があったわけじゃないし、私が死んだことで人殺しになってしまうのも可哀想だと思った。
結局私は、第二の人生を歩めるらしいし。
女神様は、私の質問に意外そうな表情をした。
「アユノスケは、見た目によらず優しいのですね」
「見た目によらずは余計です」
女神様は、クスクスと笑った。
女神様は、笑うとかわいかった。
「ご安心ください。あなたを殺してしまったミヤさん(源氏名)は、あなたを耳かきで殺したことでその殺しの才能を某秘密部隊に見出されることになって、アサシンとして第二の人生を歩むことになります」
「壮絶ですね」
「アユノスケを殺してしまったことに責任を感じ、あなたのご両親の面倒を陰に日向に見守る、と運命の書には記されています」
女神様は、どこからともなく大きなハードカバーの本を取りだして、そう言った。
そうなのか。
なんというか、まぁ、それなら後顧の憂いもなく異世界に逝けるってもんだ。いや、「行ける」だな……。
「それでは、第二の人生をお楽しみください」