第6話 「本物の天子様」
蓮左は老人が帰った後もその場に残り、ぼうっと船型の本殿を眺めていた。
湧き上がる自虐の念。
蓮左は大陸に渡りたいばかりで、どうやって渡るかを考えていなかったのだ。
そもそもなぜ霞浜に来たのか。
船や水夫について、一度も考えたことがなかったと言えばウソになる。だが、正直なところ、何とかなると思っていたのだ。
全て手前勝手な妄想である。
霞浜には船はあるだろうし、水夫もいるだろうと。
「(……)」
蓮左は羞恥で赤面する。
蓮左の描いた未来予想図はあまりに子供っぽい夢想に過ぎなかったからだ。
死出の旅になるかもしれないのに、どうして簡単に仲間やタニマチが見付かると勘違いしたのか。
後世、「聖人」と呼ばれるような魔術師たちでさえ多大な犠牲を払ったのだ。221年に一度航路が出来るからと言って、ほいほい船出しようなどと考える者がどれだけいるというのか。
「(しかも、この船を見た時、思わずこれは自分の船だと錯覚した……)」
まさしく盗人の発想である。
自分は何一つ犠牲も祓わずに、他人が積み上げたものを横から美味しいとこだけ掻っ攫う。
何のことはない。
どこかの誰かが都合良く自分を認め、どこかの誰かが都合良く自分の目指す先に連れて行ってくれると無邪気に信じていただけであった。
だからこそ、船や水夫のことなど一顧だにしなかったのだ。
何と、本殿を見てさえ、パッと思いついたのは、誰かがこの船を強奪し、自分はそれに乗せて貰うということ。
その証拠に、一番気になったのが船のサイズ、特に重量であった。
山の上から海まで運ぶには、どれくらいの労力が必要だろうかと考えたからだ。
「盗み」という汚れ仕事は誰かに任せ、しかし、船には同乗しようなどと発想した。
更には、大道芸や便利な魔術をいくつか見せれば、船長や水夫が自分を気に入ってくれるとさえ妄想したのだ。
「(……恥ずかしい。最低でござる……)」
一体、どこでそのような恥知らずな発想に至ったのか。
蓮左は自分が信じられない気持ちが湧いてきていた。
盗むなら盗むで構わない。
夢を実現する為に盗賊になる必要があるのなら、それも選択肢の一つであろう。
しかし、捕まれば当然死罪。下手をすれば両親や雪平だけではなく、小岩原家にもかなりの迷惑を掛けるはずだ。何しろ信仰対象である本殿そのものを盗もうというのだから。
一族郎党全員死罪、というのは普通に考えられる可能性だ。
当然の報いであろう。
盗人になると言うのなら、それら全てを覚悟すべきだ。
蓮左が一番恥じ入ったのは、それら一切のリスクを負わず、全てが上手くいくと思い込んでいたことである。
蓮左は胸がムカつき、吐き気を催した。
流れ落ちる涙は下衆の証のような気さえしてきた。
しゃくりあげ、嗚咽する蓮左の背中がびくびくと震える。
「……何で泣いているのか、お姉さんが聞いてあげる」
「っ……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭う。
横を見上げると、江田島いつきが奇妙な形の帽子を胸に抱き、本殿を見ていた。
蓮左はその姿に何か敬虔なものを感じ取った。
「今は……話したくないでござる」
「……そう。……この船、これと同じ形の船で私の曾爺ちゃんは霞浜に流れ着いた」
「曽祖父……、でござる、か……」
言葉が途切れ途切れになったのは、何も横隔膜をしゃくり上げある嗚咽が続いていたからではない。
既に涙は止まっている。
いつきの「曾爺ちゃん」という言葉を聞いて、いつきに近付くことで、フィオ・リョーザ号の情報を聞きだせるかも、と思ったからだ。
曽祖父なら近い。耳長族の寿命を考えれば、下手をしたらまだ生きていて、直接聞きだせる可能性すらある。
つまり、また誰かを利用しようとしていると。
「(発想の全てが下衆……、救いがたい……)」
猛烈な自己嫌悪が押し寄せる。
「……『連槍』エダ。それが曽爺ちゃんの名前。本名はエダ・スィーマン。古い『武鑑』にも家名までは載ってない」
「連槍」エダは霞浜に漂着した12聖人のうちの一人。
「それで江田島……」
「武鑑」とは全国の大名や役人、名家、分限者など、存命中のいわゆる有名人の氏名や略歴などが載った紳士録のようなものである。通常は「武鑑」の前に地域名などが付く。「北王武鑑」、「大本武鑑」、「東州武鑑」の三冊が有名で、発行部数も多い。更に細かい地域の「武鑑」も存在する。
チラッ
「……明日の昼食もおごってくれたら、もっと話しても良い」
「くふっ」
思わず蓮左は噴出してしまった。
相手を探るような江田島いつきの目と、蓮左の目が合ったからだ。
「……何がおかしい?」
「いや、同じ下衆でも、目的が分かりやすい分、お姉さんの方がマシだと思っただけでござる」
「……子供のくせに、本当に失礼」
「申し訳ござらん。お詫びに明日の昼食をおごらせて頂きましょう」
「……今日行った店の向こう三軒隣に美味しい蕎麦屋がある。おすすめ」
「大盛り無料は良いのでござるか?」
蓮左は子供に飯をタカる乞食のような目の前の女を、そう悪いやつでもないのかも、くらいに思い始めていた。
自分の醜い部分を自覚して、他人に求めるハードルが下がったのだろうか。
もっとも、その醜い部分は蓮左に限ったことではない。誰にでもあるものだ。特に若い時分には顕著で、己に都合の良いことばかりを夢想するものだ。
周りに導いてくれる者もおらず、ただ一人で志を立て、12歳にして曲がりなりにも行動している。
十分であろう。
なかなか出来ることではない。
ただ、8年後大陸に渡る、ということなら話が変わってくるだけである。
現実的にかなり厳しい挑戦だと言わざるを得ない。
現在、蓮左は海の知識がゼロだ。
泳ぐことすら出来ない。
それがあと8年で一級の船乗りにならなくてはならないのだから当然だろう。
「……心配ない。『天ざる(上)』は蕎麦のオカワリは無料」
「くふふふ、もう何でも良いでござるよ」
さっき泣いたカラスが何とやら。
気が付くと、蓮左は笑っていた。
大きなことに挑戦する時、深刻な顔で独り思い詰めているだけでは何も叶わない。
笑って本道を堂々往く大胆不敵さも必要なのだ。
一人で駄目なら、誰かを頼めば良い。
志を同じくする者同士なら、利用するもされるもないだろう。
エバレットとて、一人で霞浜まで来たわけではない。
あと8年しかないが、8年あるのも事実である。
蓮左は笑いながら、頭の片隅で当初の計画の大幅改変に着手した。
◇◆◆◆◇
午後4時半くらい。
「今日はもう上がりか?」
老人の名は丸澤藤太。76歳。前船遷宮時の「大棟梁」である。
「ええ、もうすぐ暗くなりますから。それよりも大親方様、さっき本殿の前で話されていたのはどこの子ですか?」
真っ直ぐな眼差しと、遥か遠くを見ようとする強い意志が同居している。
青年の名は平賀右京。
若干17歳にして、現棟梁の一人である。
「さぁ、それは知らん」
遷宮には建造する際の船のパーツごとに3人の棟梁がおり、その上に全体を統括する大棟梁がいる。右京は3人の棟梁のうちの一人ということになる。
「船遷宮」自体が技術継承を目的としている為、棟梁は20代の若い者から選ばれることが多いが、さすがに16歳での棟梁就任は早い。右京は過去最年少の棟梁である。
現在右京は17歳なので、棟梁になって1年ほどで。最近、やっと棟梁という仕事に慣れてきたところである。
「そうですか。随分と話し込んでいたので、大親方の知った子かと」
「何、中央マストの上に、『天子様』がチラッと見えたのでな。ちょっと気になった」
「てんっ、し様!?」
「そうよ。本物の天子様の方じゃ。エバレット様ではない方のな。ワシも見たのは10数年振りよ」
「本当ですか? 何で天子様があんな少年に……?」
「知らん。知らんが、恐らくあの子はまたここに来るじゃろう。すぐに知った子になるよ。何もない子に天子様が興味を持ったりするわけがない」
30年毎に行なわれる船遷宮。当たり前の話だが、造ろうと思って、すぐに出来上がるものではない。30年に一度と言いながら、船が完成すると祭事などで10年ほど費やし、その後、次の船遷宮の計画がスタートする。
前々回の船の分解、資金集めや材料集め、段取り、植樹などに10年ほどを費やす。
そして小型の船を作りながら次世代の船大工を養成しつつ、5~10年ほど掛けてゆっくりと本殿を建造するのだ。決して急がない。
「……あの少年は天子様に気付いたでしょうか?」
「気付いとらんよ。まぁ、あの子が成長し、本物の魔術師になったらあるいは気付くかも知れんがな」
二人が話す「天子様」とは、船神社の本殿に宿る精霊とも神とも言い伝えられている存在のこと。
「船神」と言われることもある。
詳細は一切不明だが、境内の端で仕事をする船大工たちはごく稀に見るという。
六海藩において、一般に「天子様」と言えばイェツ・エバレットを指すが、エバレットの霊の類ではない。
「そ、そうですか……」
「ワシも天子様に関しては良く分から――ン? 何じゃ、あの子に嫉妬しとるのか? くはははは」
「しっ、嫉妬などしておりません! むしろ、その、何というか、一瞬期待したのです……」
「天子様」は人間を選ぶと言われており、「天子様」を見るのは決まって棟梁以上の船大工や、高位の魔術師に限られる。
蓮左の前に「天子様」が出てきたと聞いて、多少の嫉妬を感じたのかも知れない。
棟梁になって1年以上経つが、右京はまだ見たことがないからだ。
「乗組員になれるかもと?」
「ええ、まぁ。もし、あの少年が乗組員になれる『スキル』があるなら、候補が1人増えて、やっと10人の大台に乗りますからね」
どうやら外洋航海を夢見ているのは、蓮左だけではない様子。
「ほほほ、大台か。まぁ、ワシの代は無理じゃったが、お前は様々頑張るが良かろうて」
「はい!」
平賀右京から「大親方」と呼ばれた老人、丸澤藤太の眼差しはどこまでも優しい。
優しくなければ人の上には立てないし、若者から「大親方」などと慕われることもないのだろう。
しかし、その優しさの中に若干の後悔と、失った若さに対する眩しさが入り混じっていることに、17歳の平賀右京は気付かない。