第3話 「大道芸」
初対面の者たちに囲まれた中で、いきなり芸を披露しなければならない状況に巻き込まれ、蓮左は困って――はいなかった。
「(ほぅ。お爺様の慣れた様子につけ、宴の席では度々このようなことが行なわれているのでござろうな)」
事実、小岩原弥四郎は宴の席にて、一芸を要求することがある。
通常は慣れた者同士がいつもの芸を披露して終わるのだが、今回の場合、蓮左という新しい面子が増えた。
「「「「「(新ネタが見られる)」」」」」
いやが上にも皆の期待が高まる。
例えば、久太郎の場合なら、漁が成功した時に船の舳先で舞う「竜刺し舞」を披露する。これはほとんど宴会のお約束である。現に、久太郎の背後には2m以上ある袋に入った「征竜刀」が鎮座している。
出番を待っている、といった状況か。
「竜刺し舞」に関しては、弥四郎もかつては「竜刺し役」として昔取った杵柄なので一家言ある。久太郎の成長期には回を重ねるごとに上達していく舞に、随分と喜んだものである。
さて、一方の蓮左は満場の期待に答えることが出来るだろうか。
使用人の一人が厨房に消え、しばらくすると、料理人や配膳の係りの者たちが前掛けを外しながら、ゾロゾロと座敷に入ってきた。
もちろん、蓮左の芸を見るためだ。
「(……悪くない。ちょっと恥ずかしいが、結果的には己の芸を磨くことにもなるし、他人の目に触れることで、一人では気付かなかった問題点を発見することもあるはず)」
別に大道芸人になりたいわけではないが、宴会芸の一つくらいは、若い頃に身に付けておいた方が良いだろう。
ただし、弥四郎としても、蓮左が思っているほど真剣な芸を要求しているわけではない。
弥四郎の意図としては、座興で場が盛り上がれば良い、程度にしか考えていないのだ。子や孫の成長振りも確認できるので、一石二鳥といったところである。
「(お互いを意識し、切磋琢磨しろと。くふふふ)」
本気である。
蓮左としても、ここはハッタリの一つも示しておきたいところなのだ。芸を見せろと言うのなら、望むところだと。また、今後の小岩原家での生活にも多少は影響すると思われた。
性格的にそれほど積極的ではない蓮左であったが、芸に関しては、実は自信があるのだ。
旅の途中、村祭りなどにぶつかった時には、村長に掛け合い、何度か稼がせてもらっていた。何と、若干12歳にして、大道芸でそこそこの大金を稼ぎ、結構、楽しく旅を続けていたのだ。
母ゆきが知ったらどう思うだろうか。
母ゆきは蓮左の「回復魔術」を知っているので、食いっぱぐれはないだろうとは考えていたが、まさか、我が子が大道芸で旅を続けていたとは思いもよらないだろう。
「エバレット流は大道芸ではありません!」とでも怒るかも知れない。
あるいは、弥四郎の芸好きを知る母ゆきなら、苦虫を噛み潰したような表情で叱るかも知れない。
「さて、最初は誰の芸が良いかのぅ……」
だが、蓮左には蓮左の考えもあった。
蓮左にとって、大道芸で新しい工夫を凝らすことは、魔術を深化させることと同義なのだ。
さすがに旅の途中で新魔術を開発することは、時間的にも体力的にも難しいが、それでも既知の魔術を組み合わせたり、組み直したり、細かい工夫を加えることで、全く違った術に変化することを、蓮左は理解していた。
大道芸はその訓練に丁度良いのだ。
「(是非もない。俺は8年後には大陸へ渡り、己の全てを賭けて世界を旅するのだ。宴席の余興程度で尻込みするようじゃ、大陸に渡る前から海の藻屑だ)」
蓮左は様々な研究の結果、客受けするコツのようなものを知っていた。
「お爺様、最初は私が行きます。すみませんが、誰か、生米を半合を用意してもらえますか?」
一か八かなら、一発目が良い。
席が暖まるのを待つのも悪くは無いが、蓮左が狙うのは、この場にいる全員の度肝を抜く芸だ。
「「「「「っ?!」」」」」
一同は蓮左の芸を期待してはいたが、いきなり蓮左が名乗りを上げたので、逆に驚いた形。
「露払いは自分が行こう」と立ち上がり掛けた膝立ちの格好で固まる久太郎。
回りに気付かれないようにそっと座り直す。
「承知いたしましたっ!」
使用人の一人が厨房に走る。
蓮左のやる気に、座が一気に盛り上がる。
「(拙い技と笑われるのなら、今の俺の実力はその程度ということ。出発までの8年で挽回すれば良いのだ! それも経験!)」
自信はあるが、ここは霞浜村。
言ってみれば、神和国における魔術の総本山である。それを理解している蓮左は、自信と不安が入り混じった心地良い緊張の中にいた。
例え、大規模魔術であっても、見慣れているとは言えないまでも、知っている者はいるだろう。
「(ただの魔術では駄目なんだ)」
蓮左は茶碗に入った生米を使用人の一人から受け取ると、ゆっくりと立ち上がる。
そして、隣の弥四郎にも見えやすいよう、少し離れた。
次に、右の手の平に直径30cmほどの水球を出現させる。
「おお! 蓮左。お主、手紙には『魔術』の修練の為に霞浜に来るとあったが、既に使えとるじゃないか! さすがわしの孫、ゆきの子だ!」
座のあちこちで、「水系魔術?」、「しかも、何という速さ」、「一瞬だったわ」などと驚きの声が上がる。
魔術とは縁が無さそうな者たちでさえ、普通に「魔術」という言葉を使っている。それが蓮左には嬉しかった。
「ええ、私は『魔術』の修練の為に霞浜に来ました。それと、魔術師エバレットの足跡を辿ってみたいと思っています」
「「「「「おおおっ!」」」」」
かつて霞浜の地に漂着したイェツ・エバレットは200年以上経った今尚、村人達の間で根強い人気がある。一部では信仰の対象となるほどに。
霞浜では「天子様」と呼ばれることすらあるのだ。
皆がエバレットに思いを馳せている間に、蓮左は左手に持っていた茶碗の中の生米を、魔術で挽き、米粉へと変える。もちろん気付いた者はいない。蓮左の所作があまりにも自然なのだ。
「それでは、『紅磯鯛』のメデタイ泳ぎをご覧に入れましょう」
「「「「「紅磯鯛?」」」」」
紅磯鯛は宴席などで喜ばれる縁起の良い鯛だ。味が淡白なので、コリコリとした食感を楽しめる刺身が好まれる。
蓮左が茶碗の中の米粉を空中に振りまくと、右手の水球が一瞬で広がり、全ての米粉を水の中に閉じ込めた。
丸い水球は乳白色に変色し、その中でぐるぐると流体運動をしている。
そして、ゆっくりと動きながら、蓮左から離れていく。
よく見ると、丸い球なのに魚っぽい動きである。
蓮左から2mは離れていた。
「タイしたもんじゃ!」
「「「「「はははは」」」」」
ただし、まだ鯛とは呼べず、ただの白い水球にすぎない。
座が盛り上がりを見せたのは、手元から2mは離れていたからだ。つまり、彼らは手元から離れた魔術が、十分に高度な技であることを知っているのだ。
次に、蓮左が腕を上げ、そこにフッと息を吹きかけると、風魔術『風斬り』が展開。
「ダブルっ!?」
声を上げたのは、蓮左と同じ12歳の少女、かずさ。使用人見習いである。
『風斬り』が蓮左の腕の皮膚を裂き、血が飛び散った。
だが、白い水球が一瞬で広がり、飛び散った血を全てキャッチする。
「「「「「ッ!」」」」」
ちなみに、蓮左は『風斬り』という呼び名を知らないので、『風神』という何とも勇ましい技名を付けている。
飛び散った血を、変形した水球が空中キャッチする様子に皆が目を離した瞬間、蓮左の腕の傷は治っていた。
『回復魔術』である。
皮膚一枚とは言え、回復に要した時間はまさに一瞬。
しかも、皮膚一枚でありながら、「飛び散る」ほどに血が流れた理由に誰も気付かない。
蓮左は『強化』を使って、血を押し出したのだ。
白い水球に赤い血が混ざり、ピンク色の水球になった。
ピンク色の水球は丸い水球のまま、流体運動を続けている。
「紅磯鯛よ、我が求めに応じ、顕現せよっ!」
蓮左が大道芸よろしく、大袈裟な声を掛ける。
魚っぽい動きのピンク色の水球が視線の高さから、ポンと50cmほど跳ねた。
視線の高さが水面、という演出なのだろう。
跳ねた水球が水中の位置まで戻ると、すでに「紅磯鯛」の形に変形していた。
一体、いつ変形したのか。
「「「「「おおおおっ!!!」」」」」
「まだまだ!」
このままではピンク色の魚である。
蓮左がさらに声を掛けると、流体運動をしながら、全身ピンク色だった鯛は、赤い部分と白い部分に分かれていく。色のグラデーションが付くことで、一層リアルさが増す。
水で出来た鯛は、水中を魚が泳いでいるとしか思えない動きで、蓮左の周りを付いて回る。
使用人から「醤油」を受け取ると、それを鯛に向かってタラリと落とす。
鯛は空中でパクパクと餌でも食べるように、醤油を飲み込む。
凄まじい造形と動きである。
赤白二色だった鯛に、醤油が加わることにより、ヒレの陰影や、鱗の細かい陰影が入る。
そして、最後に目玉が入った。
醤油で作られた黒い目には白いハイライトすら入っている。
その造形はあまりにもリアルすぎた。
魔術師イェツ・エバレットゆかりの地である霞浜村の者は、幼い頃より魔術に親しんでいる。エバレットが上級、中級、初級に体系的に分類した上で、霞浜に魔術を伝えたからだ。
「「「「「……」」」」」
つまり、魔術の基礎の基礎は、ほぼ全ての村民が共通認識とし持っているのだ。漁師であろうと、百姓であろうと、それは同じである。それが霞浜村を霞浜村足らしめている。
だから、上手下手の差はあっても、何をやっているのかくらいは誰にでも理解できた。
魔術体系とは、バラバラにある個別の術を集めただけではなく、魔術全体を理解しやすいように、哲学、思想など、ある種の意図をもって編集されたものである。つまり、一つの術の近くには、そこから派生、発展した多くの術が散らばっている。
体系を正しく理解していれば、その術を使えなくても、周囲の術から、想像くらいは出来るのだ。
「ピンク色の紅磯鯛」の時点では、皆が感心し、驚いていたのがその証拠だ。再現できないまでも、作り物の鯛だと理解していたからだ。
ようは、高度な「芸」として、安心して見ていたのだ。
しかし、醤油を加えた後の紅磯鯛の造形に関しては、魔術の技術云々でどうにかなるレベルを超えていた。どこかで本物の鯛と入れ替わったのではないかとさえ疑うレベルである。
まさに、絶句。
「(これが俺の今の実力でござる)」
本物と見紛う紅磯鯛が身体をパタパタと左右に振りながら、座敷の中を泳いでいる。
座の一人ひとりが見やすいよう、銘々膳の上をゆっくりと泳いで周る。
漁師と料理人に囲まれた中で魚の造形をやることにこそ、意味があった。
座敷は30畳以上あり、畳の端から端まで、10m近くある。身体から遠くなればなるほど魔力を食うので、当然、魔力容量に余裕がないと出来ない。
だが、そんなことは誰も気付きもしなかった。
リアルすぎる紅磯鯛にただただ釘付けになっていたからだ。
「……しかし……座興のつもりだったが、凄まじいな」
空中を泳ぐ紅磯鯛が弥四郎の前まで来ると、弥四郎がやっとこさ一言だけ口にした。
「ほんに、長生きはするもんじゃのぅ」
とは、曽祖父。
空中を泳ぐ紅磯鯛は、蓮左の前まで来ると、蓮左の腕に落ち、腕の中でビチビチと跳ねた。
その動きは漁師である彼らを納得させるに十分な動きであった。
「エラに親指を突っ込んで、動きを止めろ!」
「「「「「ははははは」」」」」」
久太郎の一言で、座の空気が弛緩した。
腕の中で力強く跳ねた鯛は、さらに畳の上に落ち、不規則にピチピチと跳ねている。
口とエラをパクパクさせながら、強く跳ねたり、弱く跳ねたり。全くもって、あり得ないほどの本物感であった。
よく見ると、目玉も動いている。
畳の上を跳ねる紅磯鯛を見ようと、遠くに座っている者が蓮左の周りに集まる。
しばらく皆にその様子を見せた後、蓮左が両手をパンと打ち鳴らすと、水の紅磯鯛は一瞬で凍ってしまった。
蓮左は尾を持つと、片手で紅磯鯛の氷漬けを掲げる。重さは15kgほど。当然、『強化』を使っていなければ、蓮左の腕力では片手で15kgを持ち上げることは出来ない。
「「「「「おおおお!!!!」」」」」
「「「「「凄ぇえええ!!!」」」」」
「わははははは。凄いぞ、蓮左!」
凍った鯛を持ったままの蓮左を、また弥四郎の「高い高い」が襲う。
未来は蓮左の手の中にある。