第2話 「魔力召喚」
蓮左が湯中りから目を覚ますと、すっかり陽も落ち、辺りは薄暗くなっていた。
「(風呂場でのぼせたか……)」
それほど広い部屋ではない。
六畳間にほとんど空の本棚と文机が一つ。衣類を入れておく行李が二つ。押入れ付きなのは、布団や大 きな物を収納するのに重宝するだろう。
蓮左が携帯していた振り分け荷物が行李の横に並べて置いてある。
着物と引き回しは使用人たちが洗濯するのだろう。
長旅で随分と汚れていたことを思い出す。
「どうやら、ここが俺が寝起きする部屋になるらしい」
ポツリと呟くと、蓮左の腹がグゥと鳴った。
昼飯を食いっぱぐれた上に、そろそろ晩飯時。
同年代の男児と比べると平均以下の身長だったが、第二次性長期を迎えつつある少年の胃袋は、そろそろ限界のようだ。
「(霞浜に入った時に、握り飯でも買っておくべきでござった)」
初めて訪れた親戚の家とあっては、自分から飯の要求をするのはなかなかにハードルが高い。
しかも、今後数年は小岩原家で居候の予定である。
蓮左は現在12歳だが、人間関係において、第一印象が大事だということは理解していた。母の顔に泥を塗るような真似もしたくない。
かと言って、いつまでも「お客様」扱いされるのも困る。
「(仕事探しは明日にでも始めるとして、ひとまず今日のところは――)」
部屋のふすまがスッと開き、使用人の女が顔を出した。
名前はユノ。17歳の娘盛り。
蓮左を小岩原宅まで案内した、炊事洗濯などに従事する使用人である。
「もし、蓮左様、お目覚めですか?」
「はい。もうすっかり――」
グウウウゥゥゥ
「くふっ。丁度良い時間でございましたね。夕餉の準備が整いましてございます。旦那様もお待ちですよ。床はそのままで構いません。ささ」
ユノに促されるまま、広い座敷に案内される。
長い廊下はまさしく屋敷であった。
途中、ユノに断り、厠に寄る。
厠もまた広く、掃除が行き届いており、臭いも少なかった。
カラカラと小さな音がしているのは、臭いを排出する為の煙突(臭突)、その先に付いた羽根が回っているせいだ。
蓮左は手水桶の水で手を洗うと、気持ちを引き締める。
座敷ではすでに20人ほどの者がズラリと卓についていた。
座敷の真ん中には長い座卓があり、飯、汁物、おかず各種の大皿、茶、酒などが載っている。
さらに、使用人の女が二人。オカワリに対応する為だろう。
その座卓の周囲を個人用の銘々膳が取り囲んでいる。
「(うちにあった膳の倍くらいの大きさだ)」
上座に陣取っているのは小岩原家当主、小岩原弥四郎である。
その隣が一席開いているのは、蓮左の分だろう。
上座から見て右一席下と二席下には、年恰好から前当主夫妻。蓮左からすると、曽祖父と曽祖母にあたる者が並んで座っていた。
左一席下には、弥四郎の妻りん。
ほとんどが人族であったが、獣人族も数人いた。特に「家族」に限っているわけではないようだ。料理人や飯盛り担当の使用人以外も、下座の方に座っている。
上座下座の席次はあっても、特に小岩原家の者と使用人との間に区別はないらしい。
「(正座の必要がないのはありがたい)」
「目覚めたようだな、蓮左! 今晩はお主の紹介と歓迎も兼ねておる! ワシの隣に座れ!」
「はいっ!」
「皆の者、知っておるとは思うが、これはワシの娘ゆきが次男、蓮左である。本日より小岩原家の者として、皆と寝食を共にすることになった。しっかりと面倒を見てやってくれ」
「「「「「はい」」」」」
弥四郎からポンと背中を叩かれた。
自己紹介しろ、ということだろう。
「ただいまお爺様の紹介にあずかりました堀田蓮左でございます。歳は12。到着早々、風呂場で気絶した迂闊者ではございますが、今後ともよろしくお願――」
「固いッ!」
「ッ!?」
「言葉遣いが固いぞ、蓮左。役人の話を聞いているようだ。ガキはガキらしい言葉遣いで構わん」
浴衣の袖を捲り上げている為、赤銅色に焼けた肩が露出している。
肩の盛り上がりは蓮左の頭ほどもあった。
昼間、距離が遠すぎて表情までは知れなかったが、湾で海竜を曳く一番船の舳先にいた男であった。蓮左は彼が長大な得物を持って、不思議な音頭を取っていたのを思い出す。
「まぁ、そう言うな、久太郎。蓮左、気にせんで良いぞ。あれもワシの孫だ。長男の息子だな。腹が減ってイライラしておるのだろう。ウチの者にも、言葉遣いにも、徐々に慣れて行くさ」
弥四郎の孫であり、蓮左と立場は同じである。
ただし、年齢は離れており、久太郎は19歳。
「は、はい」
「本日は目出度い日だ! まずは、小岩原家のますますの発展を祈願して、乾杯ッ!」
「「「「「乾杯ッ」」」」」
それから30分ほどの間、座敷は戦場のようになった。
乾杯したのに、酒に手を付ける者は少ない。
皆、とにかく膳に並んだ料理をかきこんでいる。
使用人が飯を椀によそおう速度よりも速く、あちこちから「オカワリ」の声が掛かる。使用人たちもテキパキと対応しているのだが、皆の胃袋に消えていく速度の方が速い。
その様子を見ていると、蓮左の箸も俄然速くなる。
特に久太郎の場合は特別であった。
通常の椀の三倍以上はあろうかという特製の丼に盛られた飯が、大袈裟ではなく、本当に三口ほどで消えていく。
身体も大きい。
190cmは超えているだろう。しかも、上半身の隆起した筋肉は、浴衣の上からでも分かるほどである。
手も大きく、腕も太い。
蓮左の首根っこなど、片手でつかまれて、一ひねりにされそうだ。
あぐらに組んだ足の裾から覗くふくらはぎはポッコリと盛り上がり、それ自体別の生き物のようですらあった。
全身、赤銅色に焼けており、それが精悍な顔つきと相まって、蓮左の、少年から青年に移り変わろうとする青い魂を刺激する。
「(間違いなく強い)」
剣術、槍術、弓術、仙術、権力、金……
そういうことではなく、単純に「雄」として強い。
そんな印象であった。
弥四郎も身長は180cm以上あり、若い頃は「竜刺し役」もこなした腕自慢であったが、久太郎はそれ以上である。
「どうした、蓮左。口に合わんか?」
「え? いえ、どの料理も新鮮で、味付けも工夫が凝らされております。美味しく戴いておりますよ」
蓮左は本当に美味しく食べていた。
母ゆきも料理自慢であったが、如何せん、堀田家には金が無かった。その為、量も味付けもどうしても質素にならざるを得なかったのだ。
蓮左にとっては、物心ついた時からそれが普通だったのだから、母の作る食事に特に不満もなかった。
だから、現在、目の前の膳に並んだ料理は、量も味付けも、不満どころか満足以上である。
むしろ、無意識に皆の勢いに煽られたのか、あれだけあった膳に並んだ料理がもう食べ終わりそうな勢いである。
「お前は客人と言っても、血の繋がった家族の一員だ。気を使う必要はないぞ。居候は三杯目はソッと出すと言うが、全く気にするな。むしろ、お前が気を使うと、料理人が気に病まんとも限らん」
「……」
何を言っているのか。
こんな大きな丼に山盛りに盛られた飯を何杯も食べられるわけがないではないか。
普段の飯の量の三倍は優にある。
おかずの量も半端ではない。堀田家の倍の面積はある銘々膳に、溢れるほど載った皿や椀には、それぞれ、何種類もの美味珍味が盛られている。
さらに、堀田家ではネギに豆腐が入れば贅沢であった味噌汁が、目の前の味噌汁ときたら、一体、何種類の野菜や魚の切り身が入っているのか分からないほどだ。汁物なのか、野菜と魚の味噌煮なのか、区別が付かないほどゴロゴロと具が入っている。
しかも、全てが絶妙な味付けなのだ。
全くもって、大満足である。
しかし――
「(まさか、俺が遠慮しているように見えるのか……?)」
弥四郎の表情は厳しい――というよりも、眉を寄せて、哀しそうだ。
その間もあちこちでオカワリの声が掛かる。
さすがに年配の者たちは酒に移行しているが、若い者たちは全く速度が落ちない。飯だけではなく、おかずや味噌汁までオカワリしている。第二回戦突入と言ったところか。
「(あんな小さな女の子まで……)」
特に小さくはない。むしろ身長は蓮左よりも高い。
年齢は蓮左と同じ12歳。
その子がオカワリをしていた。
差し出した椀は子供用の椀などではなく、大人用の丼だ。
もはや蓮左の退路は絶たれた。
男には戦わなければならない時がある。
「おっ、オカワリをお願いします」
「あいよっ!」
即座に使用人が応対する。
受け取った丼に、普通に飯をよそおった後、さらに山の部分を作るべく、ぺしぺしと飯を盛っている。
「(馬鹿なッ! 一杯目よりもさらに盛っておるではないか!)」
「オカワリ」が出来るのに、どうしてそんなに盛る必要があるのか、蓮左には意味が分からない。
ぺしぺしと飯を山盛りに盛った丼を、使用人が満足そうに蓮左に手渡す。
ズシリと重い丼を受け取ると、蓮左はやけくそ気味にかき込む。
すると、さっきまで哀しそうだった弥四郎の表情が、ぱぁ~っと明るくなった。
「(間違いない。お爺様は俺がパクパク食べる姿が嬉しいのでござろう)」
蓮左の感覚では、既に普段の二食分は食べている。弥四郎を喜ばせたいのは山々だが、物理的な限界は近い。手にした丼には三合以上は優に盛られているだろう。一杯目と合わせれば、五合以上。
しかし、蓮左もただの12歳ではない。
消化のメカニズムはある程度理解している。
「(咀嚼の回数を減らし、口の中で料理がほぐれたら、すぐに飲み込むように胃袋に送る。だだし、それだけでは、俺の小さな胃袋はあっという間に満杯でござろう。すでに、ほとんど隙間はない。だから――)」
蓮左は胃袋を『強化』する。
選択の余地は無い。
胃袋が馬鹿になっている怪物たちの機嫌を損ねないためには、それしかない。
だが、胃袋の『強化』だけではまだ足りない。
消化すれば食べ物は体内で熱に変わる。その熱を放射し、消費しなければならない。
「(くふふ。経験済みでござるよ)」
蓮左はかつて狢を狩った後、ふいに「この狢一頭を丸まる食べることは可能か?」と思い付き、挑戦したことがあった。
結果は失敗であった。
その時感じたのは、胃袋を『強化』したところで、胃袋よりも先に、身体が言うことを聞かなくなる、ということであった。
同じ轍は踏まない。
「(咀嚼の回数は決まっている。それを超えると、身体が食べ物を受け付けなくなる。だから、咀嚼の回数を減らす)」
視床下部腹内側野にある、摂食行動を抑制する「満腹中枢」などという言葉は知る由もないが、満腹したか否かが、咀嚼の回数と連動していることは経験上理解していた。
ガツガツと飯をかき込む。
飯だけでは飽きる。
おかずをオカワリする。
メイン料理をオカワリしたのでは自分を苦しめるだけと、ひじきと煮豆の小鉢を差し出す。
汁物や茶で流し込むのも良い。咀嚼を減らすことが出来る。
「(身体から発生した熱は、食べながら口の端から放出する。だが、それでも追いつかなくなる。血の巡りが良くなって、体温が上がる。だが、ここで身体を冷やそうとすると失敗する)」
血糖値の上昇もまた、咀嚼の回数と同じく、満腹したか否かに関連する。もちろん、血糖値などという言葉は知らない。
身体を冷やすのではなく、むしろ、全身を『強化』し、全身の細胞で魔力と体力両方を消費する。
それも、わざわざ魔力効率の悪い方法を取る。
蓮左の体内魔力はどんどん減っていくが気にしない。魔力を減らすことが目的なのだから。
蓮左が独自に開発した『強化』。
通常、『強化』は、魔力を使って身体の部位を『強化』する。もちろん、「部位」に限らず、運動の持久力を上げることも可能だ。使い方は様々だろう。
いずれにしても、意志を反映するオールマイティーなエネルギーである体内魔力を、それぞれの部位に注ぐことで、運動エネルギーに変換しているのだ。
では、魔力が尽きたら、『強化』は持続出来ないのか?
体内魔力が下限ラインを下回ると、身体は「魔力欠乏」を引き起こす。そこからさらに体内魔力が減少すると、「魔力枯渇」に陥る。
個人差はあるが、一般的には魔力容量の15%を割ると「魔力欠乏」、5%を割ると「魔力枯渇」に陥ると言われる。
「魔力欠乏」と「魔力枯渇」の間の僅かな隙間に、そのポイントはあった。
HpをMpに変換し、『強化』するのだ。
蓮左は『ステータス』を知らない。
ゆえに、HpもMpも自身がどれくらいの数値なのかを知らない。どの魔術がどれくらいの魔力を消費するかも分からない。
だから、一つ一つ自身の身体で覚えていくしかなかった。
自身の身体を実験体にして。
誰に教わったわけでもない。
『強化』の逆バージョン。
自身の血肉を体内魔力に変換する『魔力強化』である。
だが、幸か不幸か本人は知らないことだが、蓮左の魔力容量は『ステータス』上は、20000を超えている。
幼い頃より馬鹿げた訓練を続けた結果、僅か12歳にして、大人の仙術師10人分以上の魔力容量を有していたのだ。
Mp20000を超える魔力は生半なことでは「魔力欠乏」にはならない。
『全身強化』程度では、短時間で消費するのは不可能なのだ。
そこで蓮左がいる座敷の床下、深さ数十メートル地点では、魔力を消費する為だけの無意味な大規模土魔術が展開されていた。
「(『魔力欠乏』まであと少し……)」
脂汗が滲むが、飯をかき込むことは止めない。
血糖値が上がり、体温が上昇するのと反比例するように、体内魔力はグングン減っていく。
「魔力欠乏」を通過し、「魔力枯渇」へと突き進む。
気分が悪くなり、今にも口に含んだ料理を戻しそうだ。他の者なら吐き出しているだろう。日常的に「魔力欠乏」の訓練をしている蓮左だからこそ、耐えられるのだ。
「魔力枯渇」に至る、その直前――
「(今だ!)」
ただ抜けていく一方であった体内魔力が、一気に全身に行き渡る。
逆に体力――すなわちHpがゴッソリと身体から抜ける。
上がった血糖値が一気に下がったのだ。
蓮左の体感的には、体温が下がり、貧血気味になる。
HpをMpに変換したのだから当然だろう。
「ふぅ~」と蓮左が息を吐く。
蓮左名付けたところの『魔力強化』は成功したようだ。
だが――
――果たして、このような『魔力強化』などという魔術があり得るのだろうか。
結論から言うと、不可能である。
ならば、蓮左は何か勘違いしているということだ。
純粋な血肉には魔力は含まれていないのだから、変換も何も出来るわけがない。
では、蓮左の体内では何が起きているのか。
「わはははは。何とも気持ちの良い食いっぷりだ、蓮左! 久太郎が蓮左くらいの頃でも、ここまでは食えんかったぞ!」
「ほんに、その身体のどこに入っていくのか、大したもんじゃ」
曽祖父までが感心して呟く。
「ありがとうございます。どれもこれも本当に美味しゅうございます」
通常、魔術を行使するには、相応の魔力が必要だ。効率化は可能だが、魔力消費ゼロで魔術を行使することは出来ない。
つまり、本来、魔力がない状態で『強化』出来るわけがないのだ。
「血肉を魔力に変換する」に至っては、元々血肉に魔力は含まれていないのだから、血肉をいくら消費したところで、魔力が補充されるわけがない。
だが、抜け道がある。
『魔力召喚』
蓮左は血肉=Hpを対価に、魔力そのものを召喚したのだ。
蓮左の使った魔術は、『強化』ではないし、『魔力強化』でもない。
いや、正確な意味において、『魔術』ですらないのだ。
正しくはスキル『魔力召喚』。
ゆえに、魔法陣を必要としない。
もっとも、蓮左はスキルも魔術も区別が付いていないのだが。
ちなみに、久太郎を始め、数人が床下から魔力的な異常を感じ取っていたが、特に話題にすることもなかった。
いずれにしても、蓮左にとっては、戦闘であった。
「(何とか乗り切ったでござるな)」
しばらくすると、オカワリラッシュも落ち着き、場は酒の席へと変わっていった。
さすがに蓮左も含めて、皆、満腹したようだ。
ある程度の年齢の者はおかずを肴に、ちびちびと酒を飲んでいる。
家族の団欒である。
酒は入っているが、宴会という風ではない。
だが、興が乗ってきた弥四郎が発した一言で、座の雰囲気が一変した。
「今日は小岩原家に蓮左という家族が一人増えた日だ。目出度い席に合う芸が見たい」
使用人を含め、20人以上の視線が蓮左に注がれる。
皆の視線はただ一言、
「行けるよな」
と語っていた。