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五国大乱 ― 【第五部】 不死魔王 堀田蓮左 ―  作者: 牧谷マサトシ
 第一章 耳長族編
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 第1話 「六海藩霞浜村」

 豊かな村であった。

 行政上は東州土の南端、120万石の雄藩・六海藩に属しているが、漁業で成り立つ霞浜村はその治外法権的な性格により、租税すら免除されていた。

 優秀な回復魔術師を輩出する村である為、それを労役として各地に派遣することで、税の代わりとしているのだ。

 無医村が珍しくない六海藩では、税としていくばくかの金を徴収するよりも、回復魔術師を派遣してもらった方がありがたい、というのが表向きの理由。


 実際は、かつて霞浜村に漂着した、伝説の「魔術師」イェツ・エバレットゆかりの地であるからだ。

 エバレットとその仲間たちが霞浜に漂着したのは、およそ200年前。当時の六海国国主・六海近匠(ちかみ)との間で、租税や自治に関する密約が交わされたという。

 それ以来、霞浜村は六海藩内でも、特殊な村として存在してきた。

 それはちょうど、大本土の掘切藩と乃代藩の間に存在する、どこの藩にも属さないという、烏丸村に似ているかも知れない。



 堀田蓮左は12歳の誕生日を迎えると、すぐに六海藩霞浜村を目指した。

 父の猛烈な反対を押し切っての、母の故郷への里帰りであった。


 父左内が反対した理由は単純である。

 左内は長いこと「暦方」としての仕官を目指しており、もし、自らの野心が叶わぬ時は、堀田家次男である蓮左にその後を継いで欲しいと願っていたのだ。

 長男の雪平は優秀な仙術師として、長引く戦国の世で傭兵として、各地で名を挙げていた。その為、次男の蓮左に白羽の矢が立ったというわけだ。


 しかし、蓮左も大いなる野心を抱く、一人の男であった。

 父の夢を継いで、暦方になる未来など、とうの昔に捨てている。

 蓮左7歳の時、大陸と神和国を隔絶せしめる原因である「大凪原」が、221年に一度荒れるという法則を発見したからだ。


 次に「大凪原」が荒れるのは、約8年後。

 神和暦3371年、コーカ暦1824年に神和と大陸とを結ぶ航路が出現する。



 途中、東州土を縦断する長旅であったが、コーカ暦1816年も暮れようという季節に、堀田蓮左は霞浜村に到着した。

 5月に由島藩を出立してから、すでに、7ヶ月。

 夏と秋を過ぎ、もう年の瀬を迎えようとしていた。

 これほど長い時間が必要だったのは、路銀を調達しながらの旅だったからだ。訪れる先々で農作業を手伝ったり、人足として橋架け作業に従事したりの旅であった。

 

 わずか12歳の少年が、たった一人で7ヶ月の長旅を可能としたのは、ひとえに、野心と、魔術のお陰であった。


 蓮左は、この7ヶ月――当初の予定では5ヶ月の予定であったが――の経験を、ある種の叩き台にしようと考えていた。

 つまり、急いで霞浜村を目指したわけではなく、「長い期間、旅をする」ことそのものが目的だったのだ。

 その為、出立前に母が持たせようとした路銀も断り、ほぼ、無一文で家を出た。

 そして、半ば意図的に野宿や木賃宿で旅を続けた。

 全ては、大陸に渡った後のことを想定していたからだ。


 母ゆきとしても、蓮左の回復魔術の腕が中級程度は十分にあると認めていた為、蓮左の無茶な言い分も、仕方なくではあったが、何とか了承した形である。

 回復魔術さえあれば、最悪、飢え死にするようなことはないだろうと。12歳の子供であっても、腕さえ確かなら、いくらでも需要はあるのだ。


 ただ、これは母ゆきも知らないことだが、蓮左の実際の回復魔術は中級以上である。兄雪平もそうであったように、ほぼ自力でここまで到達したのだ。


 二人が上級に至っていない理由はただ一つ。

 

 上級回復魔術師になる為には、『魔法陣』の扱いが必須だからだ。


 魔法陣は複数の魔術を同時展開させる時に有用な「技術」である。しかし、中級回復魔術師の認可を受けている母ゆきも、上級を修めてはいない為、魔法陣の扱い方を知らなかったのだ。

 当然、雪平も蓮左も、「魔法陣」を知らない。


 知らないままに、可能な限り鍛えた。


 結果、「魔法陣」を知らないにも関わらず、独学で中級魔術を超え、上級に片足を突っ込むほどの腕に至ったというわけだ。


 『ダブル』(二つの魔術を同時展開すること)の概念は理解していた為、『ダブル』で可能な術なら、魔法陣がなくとも、混合魔術として展開は可能である。

 つまり、もし、トリプル、スクエアといくらでも同時展開が可能なら、魔法陣は不要だ。ただ、人間の能力ではそれは不可能であるし、二つがせいぜいだろう。そこで、魔法陣で補うのだ。

 同一魔術のいわゆる「重ね掛け」とは少し違う。


 例えば、お湯を出す程度の混合魔術なら、水と火を混合させることで、展開は可能だ。

 水分子を激しく運動させて湯を作る場合でも、やはり、最初に水を出さなくてはならない。

 しかし、高度な回復魔術ともなると、自身の魔力制御、患者の魔力制御、魔力供給、肉体の正確なイメージなど処理する内容は多岐に渡り、その場で混合させるのは不可能であろう。

 筆算と暗算の違いと言ったら分かりやすいか。

 つまり、擦り傷や軽い切り傷を塞ぐ程度の回復魔術なら暗算、すなわち、魔法陣がなくとも可能だが、複雑な魔力調整や高度な外科的知識が必要となる回復魔術には筆算、すなわち魔法陣が必要なのだ。



 「さて、これから母上の生家を探さねばならぬのだが――どうにも気になって仕方がない」


 海岸線を一路、霞浜村を目指していた蓮左であったが、先ほどから30分以上、座り込んだまま、湾を見下ろしていた。

 そこは「竜引湾」と呼ばれる湾であった。

 10隻ほどの船が、大きな海竜を囲んでいた。

 正確なサイズは不明だが、人の大きさから考えて、胴体だけで、20m以上は確実であろう。首と尾も入れれば、30m以上あるのではないか。

 現状、狩りはすでに終わっており、猟師たちがゆっくりと竜をバラさないように港まで運んでいた。

 港の堤では、女子供たちが総出で旗を振ったり、声を張り上げたりしている。

 

 目を「強化」しても、距離が離れすぎている為、表情までは判別出来ないが、随分と楽しそうな雰囲気であった。


 上半身裸の勇壮な男たちが、何とも誇らしげに船上で腕を組んでいる。

 霞浜村は神和国で唯一、海竜を狩って生計を立てている村であった。



 霞浜村の「海竜狩り」の歴史は古く、500年とも、1000年とも言われている。

 海竜は成竜ともなれば、海岸から離れても生活出来るが、子供の海竜は大型の回遊魚を食べることが出来ないので、小魚を追って、海岸線に近付くのだ。

 霞浜村の漁民たちが狩るのは、子竜を連れた母竜である。

 子竜を狩ることは村の掟によって、許されていない。

 子竜を狩ると、怒り狂った母竜によって、手当たり次第に船が襲われ、湾に住み着かれるからだ。

 母竜を狩るだけなら、子竜はある程度の大きさに成長するまで、湾内や海岸線を行き来し、成長するといつの間にか外洋に出て行く。それがメスなら、いずれ、子竜を連れて、戻ってくるというわけだ。


 「しかし、あれほど巨大な獲物を、一体どうやって、霞浜の村の衆は狩るのでござろうか」


 狩った竜を曳航(えいこう)し、港に戻ってくる漁民たちの様子を見ながら、蓮左はただただ感心していた。

 わずかにタイミングがずれた為、蓮左は漁民たちが海竜を狩る瞬間を見ていない。

 遥か彼方で、船に乗った男たちが勝鬨(かちどき)を上げているのに気付いた時には、既に、狩りは終わっていた。


 港までゆっくり過ぎるほど慎重に曳航しているのは、竜の形がバランスが悪いからだ。漁民たちが狩った海竜は、いわゆる首長竜である。腹から腰にかけてはそれなりに脂肪が蓄えられているが、長い首には脂肪が少ない。その為、胴体は浮かんでいるが、首は下に向かって、沈もうとするので、死体とは言え、下手をすると、船まで海に引き込まれかねないのだ。

 また、死体に引き寄せられる海竜やフカなども危険だ。

 子竜の成長度合いによっては、母竜の死体に引き寄せられ、船に激突してくることもある。曳航中も気が抜けないのだ。


 やがて、竜を曳いた船が港に着き、村人総出で引き上げ作業が始まった。


 「何とも、母上の故郷は凄まじい村でござるな……」


 素直な感想であった。

 海竜のことは知識としては知っていたが、母ゆきからは、「海竜狩り」のことはあまり聞いたことがなかったのだ。


 先頭の船の舳先には、(もり)というよりは、2m以上ある薙刀のような得物を持った男が、不思議な調子の音頭を取っていた。

 彼が狩りのリーダーであろうか。

 全身が赤銅色に日焼けし、遠目からでも、その隆々とした筋肉の鎧が伺えた。いくら東州土の南端とは言え、季節は年の暮れだ。それなのに、まるで寒さなど感じていないかのようであった。


 『竜刺し』と呼ばれる刃物は、簡単に言うと、刀の持ち手が長い、薙刀のような武器である。別名「征竜刀(せいりゅうとう)」。竜にトドメを刺す武器である為、反りは少ない。また、討つ相手が相手だけに、(こしら)えも頑丈である。

 「竜刺し役」は漁民たちの中でも、特に腕と勇気を兼ね備えていなければ務めることは出来ない。


 後ろ髪を引かれる思いであったが、いつまでも漁民たちの仕事ぶりを見ていても仕方が無い。


 「とりあえず、まずは母上のご実家に行かねば」


 ふと足元を見ると、随分と草鞋(わらじ)もくたびれていた。

 草鞋は使い捨てだが、底が磨らないように丁寧に歩いても一日一足持つかもたないかだ。整地された街道なら20km以上は十分に耐えるが、未舗装の道なら、10kmも持たない。草鞋をケチると、足を痛める為、特に理由が無ければ、毎日履き替えるものである。

 革を用いた丈夫な履物もあるが、狩りや山で生活する、猟師や木こりなど特殊な職業を生業とする者の履物である。平地で生活する者たちの履物は、草鞋が基本だ。


 「収穫の手伝いの後には、随分と編んだと思ったものだが、残りあと僅かか……」


 旅の途中、蓮左は結構な数の草鞋を旅人に売った。

 茶店などでは12~16文(約240円~360円)で売っているが、街道上では、20文でも喜んで買ってくれたものである。


 このままくたびれた履物で母ゆきの実家を訪ねるのも失礼かと思い、振り分け荷物に括り付けていた真新しい草鞋に履き替えた。



 しばらく歩くと、人の往来が多くなり、立派な門構えの村の入り口が見えて来た。

 一目で、村人たちの暮らし振りが想像できた。

 到底、普通の村の規模ではない。


 「これは……また……」


 回復魔術師の派遣と、海竜狩り。

 他の村と違う主な産業と言えばこの二つだが、この二つが相当に大きな収入源であることは、想像に難くない。

 回復魔術師はどこの村でも、喉から手が出るほど欲しい人材だし、海竜の素材もまた、藩の有力者や、近隣の分限者たちにとっては金に糸目を付けずに欲しい逸品である。


 『初めての者は、期限付き往来手形の購入要』


 そう、看板に書いてあった。

 看板の下には矢印が描かれている。矢印の先で「往来手形」を購入しろということだろう。

 

 「おう、坊主、そんな所でウロウロしてると危ないぞ。初めてなら、あっちだ。とっとと()ね」


 「あ、ありがとうございます」


 子供だから文字が読めないと思われたのだろうか。荒っぽい気風は、さすがは活気のある港町と言ったところだ。

 大小様々な荷物を背負った商人や、地元の漁民と思われる者たちが、ひっきりなしに往来している。


 「(しかし、村への入場に手形が必要とは……)」


 確かに、旅の途中、大きな橋や藩境の関所を通る時に手形や切符など、金が必要なことはあった。というより、その金を捻出する為に、あちこちで雇われ仕事をやったり、草鞋を売ったりしていたのだ。

 しかし、村境で手形を要求されたことはない。


 それだけ、裕福な村であり、一種の治外法権が認められているということだろう。

 母ゆきからある程度の話は聞いていたが、実際に見ると、それ以上であった。人口規模は劣るものの、人々の活気と建物の立派さは大名藩の城下町並みである。


 矢印が指すがままに、列に並ぶ。


 「ようこそ、霞浜村へ。この申請書に、名前と年齢と出身、滞在の目的、希望滞在日数をお書き下さいまし」


 蓮左は紙を受け取り、移動する。

 移動した先には、筆など、筆記用具一式が置かれていた。サンプルもあり、それに従って空欄を埋めていく。


 【氏名】堀田蓮左

 【年齢】12

 【出身】由島藩

 【滞在の目的(簡潔に)】母の実家への里帰りと、魔術の習得

 【希望滞在日数】8年


 書き終わると、矢印に従い、提出する。

 受付の女性は申請書を受け取ると、ザッと斜め読み。

 着物は黒と白を基調とした変わったデザインだ。制服なのだろう。


 「お母様の実家というのは、何家でしょうか?」


 「小岩原(こいわはら)家でござる。住まいは霞浜村郷坂、世帯主は小岩原弥四郎殿のはずでござる」


 女性は帳面を取り出すと、パラパラとめくり、「郷坂」を探す。


 「(ん? 何だ今のは)」


 一瞬、魔力的な違和感を感じたが、それが何かを判断する材料を蓮左は持ち合わせていなかった。

 魔術的な攻撃というよりは、魔力で撫でられたような感触であった。

 

 受付の女性が使ったのは、スキル『看破』。

 これは相手が真実を言っているか否を審判するスキルである。

 蓮左は自分のステータスすら見ることが出来ないので、当然、『看破』の存在など知る由も無い。


 神和国においては、個別の魔術とスキルが区別されていない為、自分のステータスを知る機会はほとんどない。全て『仙術』としてバラバラに存在しているのだ。つまり、ステータスを確認出来る者がほとんどいない。


 『ステータス』を見ることも、スキルの一つである。

 その取得条件は、レベルも必要だが、まず、魔術とスキルは別物であるという認識である。この認識がないと、そもそも、ステータスを見るという「スキル」が取得出来ない。


 「問題ないようです。希望滞在日数ですが、8年というのは何か理由があるのでしょうか?」


 「年数には特に理由はござらぬ。20歳までの8年間を一応の区切りと考え、その間、霞浜村で魔術を習得しようと、母の実家を訪ねて参ったのでござる」


 もちろん霞浜村に滞在するのは、コーカ暦1824年まで。

 だが、ここでそれを言うほど、蓮左は迂闊ではない。

 ただ、蓮左は目の前の受付の女性が『看破』を使えることを知らない。


 「12歳にして、立派な心掛けですね。それでは、『往来手形』』ではなく、『特別滞在手形』を発行します。これは二ヶ月に一度の更新が必要になります。こちらに記載の更新日の前後5日間。つまり、二ヶ月に一度、合計11日間の間に手形の更新をお願いします。期限を過ぎると、罰金が発生しますので、ご注意下さい。悪質な場合は『所払い(追放刑)』になります」


 スキルの存在すら知らない12歳の少年が、『看破』を使う目の前の女性を騙せたかどうか。


 「かしこまりました」


 「特別滞在手形の、初回発行料が200文になります」


 種を明かせば、蓮左の嘘がバレなかったのは、単なる偶然であった。『看破』を使った女性は、「8年間」という希望滞在期間と、「魔術を習得する」という部分が真実か否かを審判したのだ。

 8年間という期間にも、魔術を習得するという目的にも嘘はない。

 よって、スルーされたというわけだ。

 『看破』は出力された情報が嘘か真かを判断するスキルであり、脳内情報を参照するスキルではない。


 「では、これを」


 「ありがとうございます。こちらの小冊子に、特別滞在者の心得や、霞浜村の主な規則、法度などが記載されていますので、ご参考下さい。あと、次回の手形発行料についても書かれていますので、更新日にはご持参下さい」


 「何から何までありがたきことでござる」


 「どういたしまして。では、良き滞在を」


 蓮左は由島藩を出てから六海藩まで、数多くの街道と藩を通過して来たが、ここまで完成された役場仕事を初めて見た。

 往来手形ではなく、滞在手形とはいえ、200文(約4000円)も請求されたことも初めてである。


 「(何と、更新料に100文も取るのか。しかも、15歳からは、200文で、20歳以上は一律400文ッ!?)」


 小冊子をパラパラとめくっていた蓮左は思わず声を上げそうになった。

 100文と言えば、日本円で約2000円。二ヶ月に一度の2000円の出費が多いと感じるか、少ないと感じるかは、人それぞれであろう。

 ただ、貧乏長屋を転々とし、食うや食わずだった頃を覚えている蓮左としては、滞在するだけで発生する更新料は、はっきり高いと感じられた。


 「(つまり、それだけの手数料を払っても、見返りがあると考える者だけが、霞浜村に入場するわけでござるか)」


 蓮左は未来を切り拓く為に霞浜村に来たのだ。

 たかが100文や200文を、高いだの安いだの言っている暇などない。

 ザッと見たところ、小冊子には大まかな村の地図や年中行事、行政機関の情報なども記載されている。役に立つこともあるだろうと、大事に振り分け荷物に入れた。


 村役場の建物を出ると、日はちょうど南中にさしかかっていた。

 

 役場前の大通りには、様々な店が軒を連ねている。そろそろ昼飯時ということもあり、店先で呼び込みたちが大声で客を招いている。


 『晴海屋  日替り昼定食40文』


 周囲の定食屋よりも、一段、構えが劣る店の前に看板が立っていた。50文(約1000円)以上が相場の中、若干安い値段設定となっていた。


 「(40文で安い部類か……これは、小岩原家に着いたら、すぐにでも仕事を探さねばなるまい。居候を決め込むにしても、肩身が狭い思いのまま、8年間も過ごしとうはないからな)」


 「もし、そちら様は堀田蓮左様でありましょうか?」


 声を掛けたのは、いかにも使用人然とした、17~18歳の娘。普段着と思われる着物の上に、綿の入った半纏を羽織っている。首に筒型の襟巻きを巻いているのは、娘らしいお洒落の一種だろう。


 「いかにも、私は堀田蓮左でござるが、失礼ながら、貴方様のお顔に覚えがござらぬ。以前、どこかでお会いしましたでしょうか」


 「これは申し遅れました。私は小岩原家の使用人をしております、ユノと申します。普段は飯炊きや掃除などを主な仕事としております。旦那様の申し付けにより、蓮左様のお迎えに上がりました」


 「? 確かに到着は12月頃になると手紙便を送りましたが、正確な日付は記しておらなんだと記憶しておりますが」


 「ええ、ですから、12月に入ってから、毎日お迎えに上がっておりました」


 ユノはニコリと笑って、お辞儀をする。


 「……何と、これはこれは。恐縮して言葉もありませぬ。とにかく頭をお上げ下され」


 「何の、使用人ごときに、蓮左様、お顔をお上げくださいませ。お気遣いは必要ありません。今日が12月6日ですから、たった6日目のことでございます。うふふ」


 「しかし、もしも12月30日だったとしたら……」


 「そういう仕事ですから、お気になさる必要はありません。それに、使用人同士で順番に回しておりましたし、昼食代も出ておりました。そちらの椅子に座って、往来する人々を見ているだけでも、普段の仕事と気分が変わって、楽しゅうございましたから」


 「はぁ……」


 ユノの言っていることは理解は出来たが、納得は出来かねた。確かに、物心付いてから初の里帰りとはいえ、ここまでの歓待は逆に重荷である。


 「それにしても、蓮左様は12歳にして、受け答えも立派ですね。やはり、ゆき様の教育の賜物でしょうか。使用人の中にも、ちょうど蓮左様と同じ12歳の子がおりますが、とても比べられたものではありませぬ」


 何かを思い出したように、ユノはくすくすと笑う。


 「これは立ち話で失礼しました。ここからそれほど距離はありません。1kmほどでしょうか。ささ、一刻も早く郷坂に参りましょう。旦那様も、蓮左様のお越しを、今日か明日かとお待ちしております」


 「かしこまりました。では、早速」


 ユノの足に合わせて、20分ほど歩いたところで、小岩原家の屋敷に到着した。

 まさしく、屋敷であった。


 「旦那様~っ! 蓮左様が参りましたっ!」


 大きな門をくぐったところで、ユノがいきなり大声で弥四郎を呼ぶ。蓮左が驚いていると、使用人と思しき者たちが、ぞろぞろと屋敷から出てきた。

 そして、その後方より、大声で「どかんか! お前たち、邪魔だ!」と叫びながら、白髪交じりの男が飛び出して来た。

 

 年齢は60歳くらいだろうか。身長は180cmほど。かなり大柄だ。厚い胸板は、若い頃に鍛えた証だろう。


 小岩原家当主・小岩原弥四郎であった。



 「お前が蓮左か! おお、可愛いのぅ。ゆきの面影があるわい」


 そう言って、蓮左の元に駆け寄ると、子供相手の「高い高い」をする。

 蓮左は12歳である。

 日本人で言えば、来年には中学生になる年齢と言えば分かりやすいか。個人差を差し引いても、すでに、「高い高い」で喜ぶ年齢ではない。


 「お前たち、見ろ、これがわしの孫だ! どうだ!」


 蓮左が高い所から使用人たちの方を見ると、皆、苦笑いである。「どうだ!」と言われても、反応のしようがないのだろう。


 「お、お爺様、12歳でこれはさすがに恥ずかしゅうござります。そろそろ下ろして下さりませ」


 「おお、確かにそうだな! すまんすまん。12歳と言えば、早い者なら海に出て、『刺し役』の下で技を盗んでおる歳だ。さすがに調子に乗りすぎたか。わははは」


 「旦那様、お履物を」


 「おぅ、お前たちに遅れまいと、裸足で飛び出しておったわい」


 がはははと笑いながら、足元の草履を履くと、先ほど飛び出して来た玄関に向かって、ずんずん歩いてゆく。


 「ささ、蓮左様もこちらへ。足をすすいで、屋敷にお上がり下さいまし。湯も沸いております。湯に入り、旅の垢を落とすのが宜しいかと」


 そう言って、ユノが蓮左を促す。


 「それが良かろう。蓮左、お主、長いこと風呂にも入っておらんだろ。少々臭うぞ。昼飯の用意をさせておくから、湯に入ってさっぱりして来い」


 「ありがとうございます。長旅で気付きませんでした。早速湯をお借りします」


 上がり(かまち)に座らせられると、使用人たちに、強制的に草鞋と脚絆を脱がされ、足をすすがれた。左右から振り分け荷物や笠を剥がされ、帯を解かれ――気付くと褌一丁になっていた。

 そのまま、湯殿に連れられ、褌まで使用人に脱がされた。


 頭から湯をかけられた後、全身泡だらけにされた挙句、海綿で全身をゴシゴシとこすられる。

 ただただ、女性二人の使用人の為すがままであった。


 「ほれ、綺麗になった!」


 「あいたっ」


 パシンと尻を叩かれると、そのままの勢いで湯に浸かった。

 12歳は、特殊な性癖でもない限り、他人に股間の一物を見られると、恥ずかしいと感じる年齢である。しかも、使用人は40歳は超えているとは言え、女性二人。

 股間の一物が反応しなかったのは、勢いに流されるまま、「そっちの方向」に意識が向かなかったからであろう。


 「10分ほどしたら呼びに参りますから、それまで、ゆっくりと湯に浸かって下さいな」


 「それと、可愛い『朝顔のつぼみ』はご自身で、丁寧にお洗い下さいまし。うふふ」


 嵐のようであった。

 大きく息を吐いて人心地つくと、風呂場を見渡す。


 「何ともはや、母上のご実家は――」


 その時、蓮左の目に見慣れぬものが飛び込んだ。



 「こ、れは……魔石?」



 それは20cm×20cm×50cmほどの長方形の台座と、それに固定された、直径15cmはありそうな、巨大な魔石であった。


 「何の魔導具でござろうか。水を出す魔導具とは思うが……」


 仕組みは直感的に理解できた。

 固定された魔石を、横にスライドさせると、起動する仕組みだ。蓮左が魔石をスライドさせると、台座の表面に青い魔法陣がボウッと浮かんだ。

 そして、描かれた魔法陣のラインを魔力が伝うと、台座の下から、湯がドボドボと凄い勢いで出始めた。


 水ではなく、湯である。


 「これは、混合魔術っ!」


 しかも、魔法陣が魔導具の表面に露出している。

 魔法陣の一部理解できた部分は、普段見慣れた神和語(現代語)で書かれていた。


 「まさか、これが『魔法陣』と呼ばれるものか!?」


 魔法陣は魔道具に使用される。

 その為、蓮左としても魔法陣自体の存在を全く知らなかったわけではない。だが、蓮左の中では、魔法陣は魔道具の為の設計図のようなものであり、魔術とは一線を画すものだという認識であった。

 目指すものが魔道具職人ということなら、また話は変わったかも知れない。また、魔道具は高価ということもあり、分解して魔法陣を解読しようという発想も無かった。


 ゆえに、本日この時、蓮左は生まれて初めて魔法陣をその目で見た。


 「神和語で魔法陣が発動するとは、全くもって、無かった発想でござる……」


 蓮左が知らないのも当然である。

 神和国における魔法陣は、耳長族が「大凪原」を渡ってより、3000年以上、発展どころか、小さな変化すらしていない。

 魔術に使用される魔法陣の体系は完全に失伝し、魔道具を構成する一部としてのみ、代々伝わってきたという有様だ。


 しかも、その魔道具に使用される魔法陣も、「古代語」で記されたもの。つまり、「古代語」が理解出来なければ、基本的には魔法陣も理解出来ない。

 魔導具自体は便利な道具なので、3000年以上、魔道具職人たちの手によってひたすらコピー&ペーストされ続けて来たが、魔道具の種類が少ない為、魔法陣の解読もままならない、というのが神和の現実であった。


 だが、蓮左が目の当たりにした湯を出す魔導具は、中央大陸の、今は失きシンバ皇国で発展した、『魔法陣学』をベースにしている。

 違いは一目瞭然。

 魔法陣に使われている言語が現代語なのだ。


 いずれにしても、蓮左が初めて生きた(・・・)魔法陣を見た瞬間であった。


 魔法陣が魔術体系を成す一部だという理解とともに、蓮左の脳内がまっ白になった後、(もや)のかかっていた部分がクリアになる。


 蓮左名付けたところの『天啓』であった。

 幼い頃は分からなかったが、今ではそれが自身の階位(レベル)が上がったサインだということを何となく認識していた。『ステータス』の存在すら知らないのに、である。


 蓮左は小岩原家到着後、わずか30分ほどでレベルを一つ上げたことになる。


 しかし、せっかくクリアになったはずの脳内が、再び靄がかかったように曖昧になり、やがて蓮左は意識を手放した。


 湯中(ゆあた)りで、のぼせたらしい。

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