第13話 「11本足」
天下の「天剛組」に正式採用され、これで肩身の狭い居候生活ともおさらばと、意気揚々と帰路につく蓮左。
もちろん、小岩原家を「おさらば」するつもりはない。
気持ちの問題だ。
小岩原家には物心両面で、今しばらく世話になるつもりでいる。
軽い足取りの蓮左の後ろを、こちらはどこか空ろな様子でトボトボとついていく江田島いつき。
空になった弁当箱には用はないと、今は蓮左が持っている。
何か思うところでもあるのだろうか。
いつきはどこか気の抜けたような表情である。
『右京殿の船のクルーになる件、お気持ちは嬉しいのでござるが、しばし待って頂きたく』
『俺の船じゃ、不満か?』
『そうではござらん。まだ、霞浜に来て日が浅いゆえ、毎日のように未知のことと格闘している最中。今すぐには決められませぬ』
『そうか。落ち着いたら返事を聞かせてくれ。それと、仕事は朝の7時からだ。明日から境内に集合してくれ』
蓮左が逡巡しているのは、何も自分主導での渡航が難しそうな雰囲気だからではない。
話に乗る乗らないに関わらず、8年後に大凪原が荒れる件は伝えるつもりである。海の真ん中で飢え死にされるのも寝覚めが悪い。
蓮左には右京の情熱が十分に伝わっている。
右京は今、青春の真っ只中にあり、真っ赤に燃えている。
それはまだ半分子供の蓮左にも分かる。
同じ夢を見ているのだから。
『俺は大陸に渡りたいと思ってる』
『大陸……で、ござるか?』
『そうだ。大陸を目指し海に出た者はいるが、戻った者はいない。恐らく全員海の藻屑だ。逆に、神和に来た者はいるがな。3000年以上前の耳長族を除けば、唯一、聖人たちだけが神和に渡って来れた』
彼は挑戦しようとしているのだ。
蓮左も同じことを考えているのだから、理解は出来る。
まさか誘うつもりが、誘われるとは思わなかったが。
男という生き物は、一度野心に火が点いてしまったら、止まらないものなのだ。
『どうして聖人たちだけが来れたのか分かるか?』
『船でござろう』
『ご名答。俺には船を作る腕がある。次の遷宮の準備は始まっている。今はまだ湾内に浮かぶだけの平船で修行中だがな』
平船とは、船底が平らな船のこと。神和船とも言う。
船底はわずかに湾曲しており、正確には平らではないのだが、基本的には丸太をくりぬいた丸木舟と構造は同じである。当然、甲板もない。
船は大きく「お椀タイプ」と「箱タイプ」の二つがある。
「お椀タイプ」は甲板がない。
甲板が無いから作るのは簡単だが、波に弱いし、船体が安定しない。海水が入り込めば、もはや沈没するしかない。
逆に甲板のある「箱タイプ」は作るのは面倒だが、船底にバラストを敷けるので船体は安定する。
甲板があるので座礁でもしない限り、船体に穴が空くことはなく、海水も入らない。よって、遠洋航海が可能だ。
神和には霞浜を除けば、「お椀タイプ」しかない。
それで十分だからだ。
時化の日には出航しなければ良いのだ。
神和は周囲を海に囲まれているが、西は「大凪原」、東は「竜落とし」に囲まれている為、実質、遠洋航海が不可能だ。
しかも、近海には多くの漁場があり、魚が良く獲れた。
そもそも論として、外海に出る必要が無かったのだ。
いずれにしても、神和では外洋船は生まれなかったし、航海術も発達しなかった。
羅針盤は3000年以上前の耳長族によって伝えられていたが、もっぱら地上で方角を知る為の道具であった。
天文学など、ただ「暦方」の為だけの学問である。
『過去200年、多くの船大工たちが決して海に浮かべられることのない船を作り続けてきた。こんな丘の上にせっせとな』
『……』
『金と時間、それと命知らずの乗組員がいなかったからだ。哀れな話さ』
蓮左の表情が曇る。
本当にそうだろうかと。
他にも必要なものがあるはずだ。
例えば魔石。
「大凪原」を渡るには、多くの魔石が必要であろう。
凪いだ海では動力が必要だからだ。
200数十年に一度海が荒れることは、一度や二度伝説として聞いたことはあっても、それを頼りに博打をするわけにはいかない。
霞浜村にも森はあるので、魔物がいないわけではないのだが、青鬼や黒狼が精々だ。
そんな小さな魔石をいくら集めたところで、海の真ん中で停止してしまった巨大な船を動かせるわけがない。
海竜の魔石が必要だ。
それも一つや二つでは足りない。
『大陸へ渡れる船を作る技術がありながら、皆、諦めてきたんだ』
『船大工としての報酬も他の仕事に比べて多ござる』
『そうだ。霞浜にいる限り、平船を作っているだけで、人並み以上に食っていける』
実は、この経済的な理由が一番の原因ではないかと、蓮左は考える。
外海に出る必要が無いのだ。
人並み以上に食べていけるのに、どうして死ぬかもしれない――否、死ぬ可能性が高い外洋に出なければならないのか。
だが、そんな正論は一度野心に火が点いた若者にとっては、立ち止まる理由にはならない。
少なくとも、平賀右京は立ち止まるつもりはサラサラ無いようである。
命は燃やしてこそ価値があるのだと、若者だけが本能的に知っている。
しかも、そのことは、歳を経るにつれて次第に忘れてられていくという、奇妙な性質がある。
そして、ある日、若者の命を賭けた挑戦が、「命を粗末にしている」と映るようになるのだ。
『そりゃ、俺だって霞浜に生まれた以上、聖人たちを信仰する気持ちの一つや二つあるさ。だがな、俺は信仰するだけじゃなく、彼らに並びたいんだ』
蓮左には鏡に映った自分を見るように、右京の計画の穴が見えた。
だが、もし蓮左の知識と右京の知識が合わされば、一人では不可能なことでも動かせるのではないか。
そんな予感がするのだ。
『それには今動かなきゃならないんだ』
蓮左は知らないことだが、外洋船を海に浮かべられないのは、右京が挙げた理由だけではない。
それが六海国(藩)と霞浜村との約束だからだ。
蓮左には右京が何かを隠しているように感じられた。
それがスキルなのか、直感なのかは分からない。
蓮左は一旦、右京の誘いを保留し、定平二郎に相談することを決めた。
◇◆◆◆◇
蓮左が小岩原家のある郷坂に戻ると、屋敷は大変な騒ぎになっていた。
実は道中も騒がしかったのだが、蓮左は右京の誘いの件を平二郎にどうやって相談しようか考えていた為、まるで耳に入っていなかったのだ。
江田島いつきともいつ別れたのか覚えていないほどだ。
「蓮さん! 大変です!」
廊下をドタドタと駆けてくるユノ。
普段淑やかな使用人が、まるで周囲を気にしていない。
「どうしたのござるか? ユノ殿」
「殿はいりません! そんなことより、大変なんです。士郎様が乗っていた船が『11本足』に襲われて!」
小岩原士郎は蓮左の母ゆきの兄であり、久太郎の父である。
蓮左の伯父にあたる。
「それは真でござるか!?」
蓮左は「手配屋」の依頼票が貼られた掲示板を思い出していた。
確か、「特級 『11本足の討伐』」とあった。
随分と古い依頼票だと思ったものだ。
端は黄ばんでおり、長いこと討伐されずに放置されていることが想像できた。
その時はすぐ下の依頼票である「式年船遷宮」の方が蓮左の好奇心を掻き立てた為、「11本足」の件はどうでも良くなったのだが。
果たして、「11本足」とはどういう魔物なのか。
「ユノ殿、私はまだ霞浜のことは知らないことばかりで、ちなみに、『11本足』とはどんな魔物でござるか?」
「タコとイカを掛け合わせたような大きな魔物です」
「その大きさは?」
「海竜よりももっと大きいです」
ここ霞浜では海竜を狩ることは事実上「竜刺し組」の独占である。
もちろん、法令的に定められたものではないが、現実的に「竜刺し組」以外に狩るのは不可能だからだ。
それだけ「竜刺し組」の戦闘力は高いのだ。
では、何故「竜刺し組」は「11本足」を狩らないのか。
「竜刺し組」が運営する「手配屋」に何故「11本足」の依頼票が貼られているのか。
「竜刺し組」には倒せないからだ。
大陸では「クラーケン」、獣人族の伝説では、「リヴァイアサン」とも呼ばれているその海の魔物は、胴体だけで40m以上。
それだけで超大型の海竜に匹敵する。
しかも、そこから自在に動く巨大な足が20本以上も生えている。
「11本足」というのは、単なる呼称であり、実際の足の数は11本どころか、その倍はある。
足の先まで入れれば、体長は100mを優に超え、その上、恐ろしく頭が良い。
海竜を常食する正真正銘の怪物である。
もはや、人の力でどうにかなる相手ではない。
「お爺様は?」
「昼過ぎに、10何年か振りに『11本足』が現れたという知らせがあって、組の会合所に飛び出して行きました」
ならば、士郎の乗った船が襲われたのは、その後だろう。
「久太郎さんは!?」
「多分、久太郎さんも会合所だと思います。久太郎さんは一番船の竜刺し役ですから」
「竜刺し組」は何十隻も船を所有しているが、その中でも「番付き」と呼ばれる船が、一番船から十一番船まで、11隻ある。
皮肉な事に、この11隻という数は、「11本足」に由来する。
「11本足」が、海竜を食らうのは広く知られている習性だからだ。
つまり、「11本足」のように、「竜刺し組」も竜を討つと。
とは言え、「11本足」は神でもなければ、人間の味方でもない。
「11本足」は全ての魔物と同様に、そこに生きているだけの生物だ。
ゆえに、もし、人間が海に出るのなら、「11本足」は敵である。
「(しかし、伯父様が亡くなられたというのに、何という……)」
蓮左は震えていた。
主に興奮で。
好奇心旺盛な蓮左のこと、海竜よりも更に巨大な魔物と聞いて、ジッとしていられるわけがない。
「私は港に行ってみます!」
「行ってどうするのですか!?」
弟を叱る姉のように、ユノが叫ぶ。
「どうもしません。行って――」
――その興奮を現場で味わってみたい、とはさすがに口には出せなかった。
しかし、だからと言って、ユノの忠告を大人しく聞き入れるほど素直な歳でもない。
夕闇が迫る中、蓮左は居ても立っても居られず、屋敷を飛び出した。