第10話 「賭春仁」
蓮左といつきが出て行った後、定平二郎は高揚する気持ちを持て余していた。
格好こそ、縁側で手枕をして寝そべっているが、どうにも心が落ち着かない。
興奮しているのだ。
「(もう少し引き止めて、いろいろ話しても良かったかな)」
普段なら騒がしいと感じる監助の遊ぶ声も全く気にならない。
監助は定家主監児の一人息子である。
六海藩が健在なら、定家は今後も安泰というわけだ。
それは定家において、平二郎の存在が不要ということも意味する。
「平二郎さん、お茶を」
「あ、りがとうございます、母上」
平二郎は慌てて居住まいを正す。
と、同時に「母上が離れにお茶を持ってくるとは珍しいことだ」と不意をつかれた様子。
かと言って、『魔眼(洞察眼)』は発動しない。
平二郎の『魔眼』は任意発動である。
なるべく日常生活では使わないよう、子供の頃から心掛けている。
定家の「離れ」は廊下で繋がっており、正確な意味においての「離れ」ではない。
しかし、一応のプライベートは確保されている。
平二郎が朝餉夕餉を定家主監児たちと一緒にとることはない。
膳で運ばれた食事を、平二郎は「離れ」で一人で食べるのだ。
定家では、平二郎が16で成人した後、そういうシステムを取っている。
寂しいと言えば寂しいが、これは定家に限ったことではなく、どこの家でも、侍格の家はそういうものである。
ゆえに、平二郎としても、特に理不尽だと思ったことはない。
「冷や飯食い」の食べる食事が「冷や飯」でないだけで十分であった。
「今日は何だか機嫌が良いのですね、平二郎さん。最近はずっとふさぎ込んでいたようでしたが」
「母上……。ええ、確かに、目の前の霧が晴れた気分です」
どちらかと言えば大人しい平二郎だが、どこの子もそうであるように、反抗期はあった。
しかも、平二郎は『魔眼(洞察眼)』持ち。
そのせいで母親に限らず、周りにも随分と迷惑も掛けた。
気付かれたくない秘密や、バレたくない嘘は誰にでもあるのだ。それを無邪気な子供の目で、いちいち詳らかにされたのでは、周囲もたまったものではない。
周囲との軋轢を生まない使い方をマスターするまでには、人に言えない苦労もあったのだ。
現在、平二郎は19歳。
思春期の反抗とはまた違った、別の悩みや苦労も増えてきた。
「目の前の霧が晴れた」とは、若者特有の悩みの一つに解決の目途が立った、ということだろう。
「先ほどの小さなお客様がその理由ですか? 私は何のお構いもしませんでしたけど」
「くふふ。ええ、その通りです。彼こそ私が長いこと待っていた、将来仕える人物ですよ」
「まぁ! それは真なのですか?」
平二郎は一口茶をすすった後、軒下から古びた雪駄を取り出して履いた。
雨水の溜まった大甕から柄杓で水をすくうと、庭に植えてある花や植木に水をやる。
庭いじりは暇な平二郎のささやかな日課だ。
「真ですよ」
母コウにしても、平二郎が持つ『魔眼(洞察眼)』の本当のところは知らない。平二郎も詳しく説明したことはない。
母コウは、その眼で何かを見たのだろう、くらいの認識である。
実際のところ、平二郎は『魔眼』と『鑑定(生物)』で蓮左を見たから「仕える」と決めたわけではない。
「今はただの子供ですけど――いや、ただのというには、ちょっと優秀すぎますか。いずれにしても、明日から少々忙しくなりそうです。つきましては――
優秀だから仕えるのではない。
蓮左が見ている未来が面白そうだから仕えたいと思ったのだ。
損得勘定ではなく、直感で決めた。
「――そうですか。それなら平二郎さん、あなたに渡したいものがあります」
何を渡すつもりだろうか。
平二郎の「家を出たい」という言葉は母コウに遮られた。
◇
「……これは?」
平二郎の前には懐紙に包まれた小さな包み。
サイズから小判だろう。
パッと見で20両(約200万円)くらいはあるだろうか。
「あなたは定家の跡継ぎではありません。そのことで、随分と肩身の狭い思いもしたでしょう。ですが、それはあくまでも定家にあっての話。定家を一歩でも出たなら、あなたは一人の六海男児として何にだって挑戦できます」
「はぁ……」
母親に「六海男児」と言われても、今ではもう、まるでピンと来ない。
理由は簡単。
蓮左と会ってから平二郎の頭の中は、六海藩はおろか、神和国すら飛び越えていたからだ。
19歳の若者にとって、「大陸に渡る」という野望はそれほどに魅力的であった。
生きるか死ぬかも分からない。
確率的に考えるなら、いっそ、死ぬ確率の方が高いに違いない。
そんな危険な挑戦が最も魅力的に思えるのが、丁度、平二郎くらいの年齢なのだろう。
「これはその餞別だと思ってください。いつかこんな日が来るだろうと、松吉さんが身罷られた時より、少しずつ貯めておいたものです」
定松吉は平二郎の父。
10年前、平二郎が9歳の時、松吉は急病で逝った。
「……」
厄介払いではないだろう。
母コウも今か今かと待っていたのだ。
蓮左という小さな「きっかけ」を。
ちなみに、扶持なし役職手当のみの家柄で、10年で20両の金を貯めるのは結構大変である。
役がある為、表立っての副業は出来ない。
母コウが漁網を編む内職などで、コツコツと貯めたものだ。
「あの少年と何をするつもりか私には想像も付きませんが、平二郎さんがワクワクすることなのは間違いないのでしょう?」
『せっかく稀有な天運を持って生まれたんだ。俺としては、「冒険」に使って欲しいな。平二郎は男なんだからな。心躍るような、わくわくするような、そんな冒険をして欲しい』
「松吉さんはあなたが冒険をすることを願っていました。冒険してこそ、『魔眼』は生きるのだと」
母コウは「冒険が何かはさっぱり分かりませんが」と付け加えると、口に手をあて、くすくすと笑っている。
松吉との会話を思い出したのだろう。
目尻に涙が溜まっているが、幸せそうな笑顔である。
「父上がそんなことを……」
松吉が死んだのは平二郎が11歳の時。
監児が成人していたことで、何とか役を取り上げられることはなかった。
平二郎の中の父松吉はいつも寂しそうにしていたように記憶している。
平二郎が『魔眼(洞察眼)』を使うたびに、ちょっと哀しそうな、何とも言えない表情をしていた。
洞察眼は物事の本質を洞察するので、傍目には賢い子に映ったはずだ。
実際、平二郎は賢かったし、優秀であった。
学問も魔術も、兄監児よりも遥かに。
魔眼を頻繁に使うことで、物事の本質を知るだけではなく、記憶力や思考力など、脳自体も鍛えられるのだろう。
平二郎は運動神経も良かった。
もちろん、それも『魔眼』の副産物であった。
脳が鍛えられるということは、そういうことである。
平二郎は松吉が喜ぶと思い、子供の頃は常に賢くあろうとした。
松吉の前では特に。
子供っぽい自己承認願望の表れだったのかも知れない。
兄監児の存在もあった。
だが、松吉が平二郎を見る眼はいつも寂しそうであった。
「とても楽しみにしていましたよ。丁度良い機会です。定家は監児がいるので問題ありません。監助もいます。あなたはそれを持って、家を出なさい。時々戻って顔を見せてくれれば、それで母は満足です」
母コウは目尻に涙を溜めているが、やはり、幸せそうな笑顔だ。
「……ありがとうございます」
「松吉さんの遺志を汲み、あなたのお役目を立派に果たしなさい」
「はい」
元々、言い出そうとしていたことだ。
母への感謝は尽きないが、涙は出ない。
実際に家を出るのは数日先になるだろうが、気持ちの上では、今日この時をもって平二郎旅立ちの時であった。
◇◆◆◆◇
「(昨日は平二郎さんに会っておったから仕方あるまい。今日こそは手配屋に登録するでござる。そして――)」
朝食をペロリと平らげると、蓮左はすぐに家を飛び出した。
小脇に小岩原家使用人の作った弁当をはさんで。
朝食の量も大概であったが、弁当の包みも大きい。
何人分の弁当のつもりだろうかと、逆に問い質したい気分である。
「(――そして、夕食の折、お爺様に今後の援助を頼むでござる。具体的な金額はさておき、何の為に霞浜に来たのかだけでも)」
野望を叶えるということは、コソコソと隠れて一人で達成するものではない。
周りを巻き込み、大きな仕事と認識した上で、死力を尽くして達成するものなのだ。
「……おはよう」
門を出たところでずっこけた。
その拍子に小脇に挟んでいた弁当の入った包みがいつきの胸に飛び込んだ。
「……良い匂い。くれるの?」
包みはズシリと重い。
「なっ、何でいつき殿がここにいるでござるか!?」
「……手配屋に行くんでしょ? 子供だけでは心配」
魔術大学。
資金調達。
さらに先日、定平二郎に会ったことで、新たにやらなければならないことが増えた。
『蓮左君、君に次郎さんの日記を見せる前に、絶対に仲間に引き入れて欲しい人物が三人いるんだ』
『一人は小岩原久太郎。君の従兄弟だね。歳は私と同じだけど、村一番の剛の者。彼がいれば、我々の身の安全も保証されるだろうね』
『二人目は平賀右京。若干17歳にして、船神社建立の棟梁の一人。大陸に渡るには外洋船が不可欠だからね。彼は外せない一人さ』
『そして三人目は賭春仁、15歳。六海藩『斥候組』を創設した十二聖人の一人、『千里眼』トバルの一人息子。実のところ、私にも良く分からない』
蓮左はまず、「千里眼」トバルに息子がいたことに衝撃を受けた。
どう考えても賭春仁の勧誘は至難を極めるだろう。
久太郎は従兄弟だし、それほど親交を深めたわけではないが、親族ということで気安い部分もある。
行けるかどうかは未知数にしても、やりようはある。
平賀右京も同様。
基本的には大工なので、金でどうにかなる可能性がある。それが彼の仕事なのだから。
蓮左にもその認識が「甘い」という自覚はある。
それでも、まだ交渉の余地がある気がするのだ。
だが、賭春仁は全く違う。
十二聖人の一人息子だ。
そもそも、普通に会えるのかと。
『息子? 子孫ではなく? もしかして、聖トバルはまだ生きておられるのでござるか?』
『生きているよ。十二聖人の中で唯一ね。当然、200歳を超えている』
「(――そう言えば、いつき殿も聖エダの曾孫でござったな……)」
蓮左はいつきの顔をマジマジと見る。
「聖人の子孫も十人十色でござるな……」
蓮左はぼそりと呟いた後、遠い目になる。
こけた際に鼻の頭を擦り剥いたものの、蓮左の回復魔術によって、一瞬で傷が回復した。
かすり傷とは言え、回復魔術の発動と傷の回復がほぼ同時である。
「……こ、子供のくせに凄い」
蓮左はパンパンと埃と泥を払うと、いつきから包みを奪い取る。
「これは今日の私の弁当でござる」
「……さっき、蓮左が捨てたものを私が拾った。拾い主である私はその半分を食べる権利がある」
ピキンッ
「(くっ、いかん、いかん。これがいつき殿の手でござるか。何とも巧妙な手管よ。いつき殿の理不尽に怒って手を出したが最後、それを理由にタカられるのは目に見えてござる)」
蓮左はニヤリと笑う。
「……?」
「私はこれから手配屋に行って、『式年船遷宮』の仕事を受けようと思ってござる。確か一級が必要とあったでござるなぁ」
「……だから、一級の仕事は子供には無理だって」
「心配御無用。尾いてきても構わぬが、いつき殿が雇って貰えるかどうかは知らぬでござるよ。はははは」
蓮左は雇ってもらえると思っているらしい。
取らぬ狸の何とやら。
だが、実際に皮算用は必要である。
皮算用程度も出来ない者に、未来を手に入れることなど絶対に出来ないのだから。