第9話 「洞察眼」
霞浜ではごく普通の一軒家。
ただし、霞浜村は神和でも特に裕福な村である為、それなりの門構えである。
定家。
主は長男の定監児。
六海藩が六海国だった以前からの、古い家柄である。
役は「霞浜村監査役」。
元は周囲10町村ほどを受け持っていたが、エバレット漂着以降、霞浜村専属となっている。
仕事としては、霞浜村に駐留し、代官のようなことをしている。
代官と言っても、霞浜村は六海藩に自治が認められており、租税や賦役といった義務が存在しない。
当然、それに関わる仕事もない。
では、定家の主な仕事は何なのか。
「魔術大学」、「竜刺し組」の監査や、藩との繋ぎ役などが主な役目である。
200年以上続く役の為、霞浜村と藩との関係は高度にシステム化されており、現在でははっきり言ってしまえば閑職である。
霞浜村は豊かな村だから賄賂など美味しい場面も多いのでは? かと思えば、そんなことはなく、「竿役」というのが、口の悪い者たちの間でのもっぱらの噂。
「竿役」とは、色っぽい意味ではなく、霞浜村と藩との関係を円滑に保つ役(流れに竿(棹)をさす)――というのは表向きで、日がな海に釣り糸を垂らしている、という意味である。
「私はね、君のような者が訪ねてくるのを、千秋の思いで待っていたんだよ。少々、若すぎる気はするけどね」
くふふ、と言って笑う。
定家次男。定平二郎。19歳。
次男と言えば一般には家督を継ぐ者の代替要員であるが、長男の監児は25歳。子も為し、病気で夭逝する心配は不要な年齢である。
つまり、現在の平二郎はいわゆる部屋住みの「冷や飯食い」であった。
ゆえに、通された部屋も殺風景極まりない。
畳は痛み、客用の座布団は汚れてこそいないが、すりきれた部分には継ぎがあたっている。
当然、茶も出ない。
「はぁ」
蓮左に対する平二郎の慇懃すぎる言葉にそう答えるしかない。
表情は柔和だが、所作や視線に隙はない。
蓮左を値踏みしているのだろう。
当然、蓮左もそのことに気付いている。
そもそも蓮左といつきが定家を訪ねたのは、定家が十二聖人と関係の深い家柄だからだ。
目的はエルフ族の情報収集。
魔術に関する情報を得たいなら『魔術大学』の門を叩けば良い。
しかし、蓮左は魔術を学ぶ前に、霞浜村、ひいては大陸出身のエルフ族の情報を集め、大まかな世界の形を知りたいと考えたのだ。
いつきに相談したところ、定家に白羽の矢が当たった。
言ってみれば、外国語を勉強する前に、その国の歴史などを学ぶ行為に似る。蓮左に置き換えれば、単に外国語を話したいだけではないので、方向性としては間違っていない。
もっとも、「魔術」など後からでもどうにでもなる、という確信に近い自信が蓮左の中にあるのも否定は出来ない。
「君は算術は得意かい?」
「手習いで教わる程度なら」
「君の『ステータス』を見ると、その程度じゃないみたいだけど、まぁ良い。『確率』について考えたことは?」
『ステータス』の意味が分からないが、表情には出さない。
算術は父左内の蔵書や、神社に奉納された算額を使ってほぼ独学で学んだ。日帰りで行ける範囲の神社の算額なら全て網羅している。
「確率……でござるか。博打から暦の計算まで多岐に渡る興味深い分野と認識しております」
「なるほど。私は運命論者でね、確率についても興味があるのさ」
「確率と十二聖人に、何か共通点でもあるのでござるか?」
「私のご先祖さまに、次郎さんという人がいてね。彼は『魔眼』の持ち主として生まれた。『魔眼』は知っているかい?」
「『魔眼』……でござるか。見たことも聞いたことも」
「神和では『魔眼』は魔術以上に知られていない。次郎さんが持っていたのは、正確には『魔眼(洞察眼)』、と『ステータス』に表示されるものだ」
「……洞察?」
「そう、全ての物事を洞察する眼。彼はその眼で、かの十二聖人たちを観察し続けた。十二聖人たちの世話役みたいなことをしていたらしい。六海国との繋ぎ役だね」
「じ、次郎殿の、何か書付けなどは残っていないのでござるか?」
平二郎の言葉にすぐさま飛びつく。
十二聖人の世話役だった次郎の書付けが残っているなら、それは一級の一次資料となる。
「残っているとも。興味深い情報がうんと残ってる。彼の日記だね」
ぱぁっ、と蓮左の表情が明るくなる。
思わず膝立ちで半歩前に詰め寄っていた。
「そっ、それを読ませて頂くことは出来ませぬか?」
「良いよ。ただ、その前に二点確認しておきたいことがあるんだ。父や祖父はどうしていたのか知らないけど、私はまだ誰にも『次郎備忘録』を見せていない。その意味が分かるかい?」
「読ませるに値しなかったと」
十二聖人に関する一級資料なら、船神社などに奉納されていても不思議ではない。霞浜ではエバレットや十二聖人は信仰の対象でもあるからだ。
役に関する情報が含まれているからだろうか。
あるいは、『次郎備忘録』自体が、六海国も含めて、一般に知られていないか。
「ご明察だ。君、12歳って本当かい?」
「むしろ、10歳くらいに見られることの方が多ござる」
「はははは。魔力容量22718って、12歳どころか、耳長族の長老でもあり得ない数値だよ。一体、どんな訓練を積めば、そんな馬鹿げた魔力容量になるのか……『魔力召喚』か。こいつが怪しいな。聞いたことないし」
「平八郎殿、ちょっと宜しいか。先ほどから平八郎殿が何を申しておりますのやら、どうにも理解が追いつきませぬ。『ステータス』とは何でござるか? また、『魔力召喚』とは?」
さすがにこれ以上、知らない言葉や未知の魔術について、話をあわせるわけにはいかない。
「君はそれを学びに来たんだろう? いずれ分かることさ。ただ、『ステータス』は君の個人情報だね。君が何を出来て、何が出来ないのか、おおよそを知ることが出来る。私は君の個人情報を『鑑定(生物)』で見てる」
「そういう『魔術』ということでござろうか?」
「違う。『スキル』だ。つまり、君はまだ『次郎備忘録』を読むに値しないということさ。でも、安心したまえ蓮左君。一点目は大して重要じゃない。霞浜なら子供でも知っていることだ。後でいつきさんにでも聞くと良い。それよりも二点目が重要だ」
「「……」」
「君は魔術を学んで、何をしたいんだい?」
「8年後、大陸に渡ります」
「!?」
いつきも初耳である。
他藩が管理する魔窟や、立身出世の為に使うつもりかと思っていた。
いつきの常識では、神和国に住む者にとって、「大凪原」で隔てられた大陸は行けない場所である。海を渡る為の手段がない。
「はははははは。一発合格だよ、蓮左君」
「何が合格なのでござろうか?」
「この眼を君の為に使おう、って話さ!」
「!」
蓮左は魔力のこもった視線で射抜かれたと錯覚した。
「そっ、それが魔眼、でござるか……」
「そう。『魔眼(洞察眼)』だ。200年前のご先祖様と同じ魔眼を持って、私は生まれたのさ」
『部屋住みの次男坊に「洞察眼」とは、何という……』
『あぁうぅうあわぅ』
『こんな可愛い子にどうしてそんな恐ろしいスキルが……』
一体、どれほどの確率、あるいは偶然なのだろうか。
「……魔眼は天与の固有スキル。神和だけじゃない、大陸も含めて、当代ただ一つのスキル。しかも、魔眼は世界に何種類あるのか不明。あり得ない」
いつきが食って掛かる。
『魔眼』は血統継承しない。
生まれた瞬間、偶然、発現するのだ。
つまり、確率的にあり得ない、と言っている。
余談だが、かつて大陸では臨死の『魔眼』の持ち主と、出産間近の妊婦を魔力障壁のかかった部屋に同居させる実験を試みたことがある。しかし、それでも人為的に継承することはできなかったとされる。
「だからこそ、私は運命論者なのだよ。『鑑定(生物)』を持っているならどうぞ」
平二郎がくふふ、と笑う。
「それは……大変に稀で凄いことなのでござろうな」
「稀なのは事実だね。でも、凄いか凄くないかは、これからの私の生き方次第さ。次郎さんと同じスキルを持って生まれたこと自体は、非常に稀な確率で起きる自然現象に過ぎない」
「「……」」
バラバラに空にまいた「いろはかるた」が地に落ちた時、偶然、いろは歌順に並んでいた――よりも遥かに低い確率を、ただの自然現象と言い切る平二郎。
『ははは。魔眼はただのスキルじゃないし、恐ろしくもないぞ。お前には初めて話す話だが、かつて200年前にも定家には魔眼のご先祖様がいた。俺も詳しく調べたわけじゃないが、なかなかに面白い眼と聞いているよ』
『お家を継ぐのは監児でしょう?』
『うむ。その点でも平二郎は運が良い。先祖の次郎さんは定家の家督を継いだから、結局、魔眼は個人的趣味にしか使えなかったらしい。悔しい思いもしただろうよ』
「さて、さっき私が確率の話をした時、君は『暦』について触れてたね。『暦の計算』と言ってた。つまり、君には天文知識がある。それは私たちが大陸に渡るという『8年後』と関係があるのかい?」
「……あり、ます。それが『洞察眼』でござるか……?」
「そう。これが『洞察眼』だ。君は8年後に大陸に渡る為に、随分と小さな頃から馬鹿げた訓練を続けてきたようだ。『精神耐性』だけじゃない。『身体耐性』のレベルから考えるに、肉体の方も相当酷使していたと思われる。12歳にしては身体が小さいのも、それが原因かも知れない。しかも、まともな魔術の知識すらないままにね」
「……」
酷使した自覚はないが、傍から見ればそう見えるかも知れない。
「……私は肉体を酷使していない」
「やっと12歳になり、蓮左君は親を納得させられる年齢になった。で、魔術を学ぶ為に霞浜に来たと。12歳で親元から離れるのだから、おそらく親族が霞浜出身なんだろう。それなら親も安心して送り出せる」
いつきの呟きは体外に放出された魔力のごとく、簡素な部屋に霧散した。
「……」
『私、魔眼なんて聞いたことしかないですから、どうやって育てたら良いか……』
『何、普通で良いんだよ。魔眼をどう使うかは平二郎の好きにするさ。俺としては、たかが立身出世や戦なんかに使って欲しくはないな。魔眼は人を出し抜き、陥れることも出来る』
『やっぱり、恐ろしい眼ではないですか、あなた』
「特に貧しい生活をしている風でもないから、君の親族は霞浜の分限者だろう。霞浜は物価も高いからね。霞浜で分限者と来れば、これはもう、『竜刺し組』の関係者か、大学の関係者だ。でも、多分、君の親族は『竜刺し組』だ。なぜなら、『ステータス』すら知らないんだからね」
「『ステータス』を知らないと、どうして大学の関係者ではないのでござるか?」
「魔術大学の関係者なら、君に英才教育を施すはずだからさ。それだけの魔力容量があれば、『魔導師』たちが放っておかない。君の母親は中級魔術師だろうね。上級に上がれなかったか、行かなかったかは分からないけど」
「そ、の通りでござる……」
「8年後というのは、君の持つ天文知識から導き出した数字だ。私の知識に照らして関係ありそうなものと言えば、ズバリ、『海渡海流』だな」
母親が中級魔術師だというのは、蓮左の天文知識から導き出された予測である。
つまり、幼い頃から天文知識に触れるためには、親が暦や天文関係に従事する者である必要がある。役職は家に付随する物なので、父親が天文関係者となる。
父親が天文関係者なら、当然、中級魔術師の方は母親、となるわけだ。
「「……」」
「大陸と神和を隔てる『大凪原』は、およそ200年に一度時化るという、漁師の間で信じられている伝説さ。耳長族の子孫であるいつきさんを連れ、十二聖人のことについて私を訪ねて来たところを鑑みるに、まず間違いないだろう」
「……正直、度肝を抜かれたでござる」
と言いつつ、蓮左は、論理的に導き出される予測の範囲は超えていない、と考えていた。
ならば、その情報処理速度の違いか、とも。
「それは良かった。蓮左君は将来、私の王になるんだからね。なるべくこの眼を高く売っておきたかったのさ。くふふふ」
「私が平二郎殿に仕える、の間違いなのでは?」
「馬鹿を言っちゃいけない。君は巨大な器さ。私とは桁が違う。たかが稀な確率の元に生まれただけの私とじゃ、比べ物にならない。君が私を訪ね、私は君を待っていた。運命を切り拓くのが意志の力なら、私の魔眼が大陸で活躍出来るかどうかは君次第というわけさ」
「ちょっと話が大きすぎて、どうにも……」
『せっかく稀有な天運を持って生まれたんだ。俺としては、「冒険」に使って欲しいな。平二郎は男なんだからな。心躍るような、わくわくするような、そんな冒険をして欲しい』
『ぇきゃああぁはぁぶ』
『お前もそう思うか? あははは』
『ぁばぁぁはあっ!』
「何、すぐに自覚するようになるさ。(おや、もうスキル『洞察』を取得したようだ。私の『洞察眼』が切っ掛けかな? 蓮左君は『複写』を持ってるけど、『複写』はスキルの複写は出来なかったはずだ。すると、単純に『強化』した思考だけで獲得したのか? いやはや)」
平二郎は呆れるばかりであった。
同時に平二郎は蓮左の心象風景を幻視した。
強風吹きすさぶ一面の荒野。
地平は遠く、空は高い。
一軍を率い、大軍勢を前に腕を組む蓮左の姿であった。
「(胸が躍るとはこのことか)」
それも『魔眼(洞察眼)』の能力の一つだったのだろうか。