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06 難関の波間

「いってらっしゃい、母さん」

 木々の青い香り、夏草が作る太陽の香り、それが満ちた部屋から街路樹の並ぶ道へ。

あの日は晴れていて、日差しの強さの中で母は玄関までジョージを見送った。

「うん、お母さんも精一杯の旅にでるからね」

 言うべきではなかった。

玄関から外の世界にでない事で、弱った体を日差しにさらさない人で母は確実に自分の終末を隠していた。

亜麻色の結い上げた神と白い肌、青い瞳は息子の頬に手を添えて一生懸命に消えゆく自分を記憶させていたように見えた。

 旅にでる。

自分が月に向かうように、母もまた箱庭の世界を旅する。

それだけのはずだったのに、なぜ気がつけなかったのか……

 母の旅は死出の終着。

なぜ言ってくれなかったのか、命の世界を終えてしまうという事実を。

なぜ止めてくれなかったのか、最後の時を共に過ごす相手も選ばなかった母。

自分とでも、父とでも、誰とも死を分かち合わなかった母。

 見送った日の事を鮮明に思い出す。

玄関という四角四面の闇の中に浮かぶ笑顔。

「ちゃんと言って、お母さんに」

 いってらっしゃいを言って。

 言うべきではなかった。

自分の言葉が、母を死の世界に送ってしまった。

追っても追っても届かない世界に母を旅立たせてしまった。

月面マラソン初参加にして優勝。

ゴールテープを切ったジョージのてはずっと先に伸ばされていた。

届きようのない場所へと行ってしまった母の世界へと、懸命の追いつこうと、その死から取り戻そうと一心不乱に走った結果が、現生での勝利につながった。

 ただそれだけだった。



「ジョージ……」

 記憶の断崖、脳裏から一瞬にして消えた母の笑顔から、雷に打たれたように目が覚めた。

自分を心配そうに見ていたアーロンの顔に目を見開き、いなくなったものへの執着を振り切るように二三度首を振った

「ここは?」

「実験室だよ」

 けたたましく放射していた光の警告が消えた部屋、青白い非常灯だけが静まった部屋を照らしている。

変化はすぐに理解できた。

「重力が戻ってきてる」

「うん、完全にではないけどコロニーの再運転が成功したみたいだね」

 体の芯がまだゆるい感じ、飛行機の離陸の時に感じるような小さな浮遊間。

無重力状態の一歩手前のむず痒い状況の中でジョージは自分の両手が後ろで縛られている事に気がついた。

「お前がやったの?」

「ジョーダンよしてよ、僕も縛られてるのに?」

 首の付け根と肩が凝る形、ジョージとアーロンは顔を合わせて、互いの情報確認と状況を少しだけ理解した。

この部屋に入った時、奇妙なトランス状態になっていた3人にうんざりしたところまでは覚えていたがそこで記憶は寸断されていた。

ただ自分に何があったのかはすぐにわかった。

「いてえ、頭にトドメとか念入りにやってくれたな」

 後頭部に残る焼けたような痛み、スタンガンで意識をぶっ飛ばされた痛みに口が曲がる。

一瞬だったが自分に針を刺そうとした奴がいた事、そのあとに食らった一撃に体がくの字に折れた事。

全てが苛立ちに直結する暴挙だった。

負傷を確認しようにも、縛られたままではどうにもならない中で頭の方だけは異常に気になっていた。

「おい、アーロン見てくれ」

爪先立ち、不安定な重力の中でアーロンはジョージの後ろに回り苦笑い。

「簡易型のスタンだね、手袋にでも仕込んでたのかな」

 後頭部を地震源とする小さな頭痛、すぐに手も頭をまで確認したいがそうもいかない

「禿げてねーだろうな」

「残念ながら禿げてないね、禿げてたらどうするつもりだったの」

「決まってるだろう、やった奴の髪の毛全部毟ってやる」

 覚えている事。

相手は荒事に慣れているものたちだった。

「強盗の類じゃねー感じだった」

「そうだね、軍人みたいだった」

 子供時間は終わりだ。

くそみたいな台詞をくれたグラサン野郎はジョージの記憶にはまったくない人物だったが、アーロンは覚えていた。

外で誘導をしていたジョージとは別にアーロンは内側でエアロックと入港チェックをしていた。

同時に降りてきた人の観察を趣味でやっていた事を功を奏していた。

ずり落ちそうなメガネを戻そうと顔を上げ下げする動作の中で、あの大男が誰の後ろにいたのかを思い出して

「シャトルに乗ってきた客にいたよ、博士たちの警護についていた」

「……おい、星崎はどうした?」

「たぶん、連れて行かれたんじゃないかな。ここにいるのは僕たちだけだし」

 アーロンが気を失ったのはジョージに続いて2番目だった

「博士の心配はしないの、父親だろう?」

「あいつは殺したって死なねーよ。そんな事より誘拐なのか?」

 父親の事より、ここで起こっている事の方へと注意が進む。

相変わらず父親に対して辛辣なジョージをアーロンはため息混じりに見つめるが、ここで説教を始めても進まない事はわかっていた

「あいつらは……シュナイダー博士とグルだったと思う」

「あの女博士の?」

 一瞬の交錯だったが、ジョージ少しだけ奴らを見る事ができたアーロンは記憶を正確に巻きもどすために頭を何度かふる

「ジョージは先に倒れたけど、僕のノックアウトはそのあと3分後ぐらいだったからね」

 アーロンの回想。



 突然入ってきた男たちは問答無用でジョージを闇に落とすと部屋の中に入り鷹夜博士を確認していた。

「ミスター・鷹夜。プロフェッサーでよろしいか」

 抑揚はないが硬い口調、それをアイリが遮る。

「わかっている事は聞かなくても結構でしょう、後手荒な事はしないで残っているのは子供とお年寄りなのよ」

 ずいぶんな言われようだったが、手でふさがれる事でお子様扱いの春香はショックを抑え声を上げずに済む状況となっていた。

 本来ならばバースのお祭り男が一瞬で殴り倒されるのに動揺せずにはいられない場面だ。

ちびっ子の春香からすると筋骨たくましいジョージの脱落は恐ろしい事のに自分が巻き込まれているという自覚させるに十分で、危機回避の警笛がごとく悲鳴をあげていてもおかしくない状況だったが

「星崎さん、私に任せてちょうだい」というアイリの声に押しとどめられていた。

 一方で息子がのされたにもかかわらず自分本意な反応を示していたのは鷹夜源助の方だった

「失礼じゃな、わしはまだ血気盛んよ、青年のつもりじゃぞ」

 白髪に白ごまの無精髭は、倒れた息子に関心を持っていなかった。

それどころか、無粋な侵入者である男たちにも興味を示さず、ただ自分の前に浮く「王」にのみ関心を示し続けていた 

「少々騒がしいが、しかしそんな事よりアルファラリスさん、話の続きをしましょう」

 極めて落ち着いた顔でそう言い放ったが、答えはアイリから出されていた

「ええ話の話の続きに必要な人です、王の宴を彩る大切な人ですから」

 王。

自らを王と名乗ったチンドン屋女は不穏な空気が漂う部屋の中で星崎春香に抱きつかれたまま様子を見ていた。

白けた顔を冷めた目線、一転した空気の中あって変わらない表情で

【つまり、これは余興で、前菜だったという事なんだな?】

「はい、その通りでございます」

 そういうと開かれた扉の側にたち深くお辞儀した。

「王よこちらに、宴の席を設けております。どうぞこちらに」

 アイリの細い指にかかった銀の指輪、鈍い光が指し示すところへ。

部屋に残っていた3人は進んでいった。



「みんなが出たところで僕は軽めのスタンガンを食らって、ここにしばらく浮いていた。みたいなところかな」

「つまり主犯はあの女博士って事か」

 縛られた体のまま、ジョージは実験室の棚を器用に後ろ手でひっぱり出しながら椅子に座ったアーロンの話を聞いていた。

会話の中、端々に出る奇妙なワードも気になったがまずはこの騒ぎの根幹である女達を捕まえる事が先決だった。

「直に警察も来るんだろうが……ヤラレっぱなしってのは気に入らない」

「冗談でしょ、あれにリベンジマッチを挑むの?」

「おおよ」

 二人の手を縛っているのはビニールテープだ。

宇宙時代になれば何もかもが一審されると思われがちだが、コストを考えれば変わらないものだって山ほどある。

荷造りやゴミ捨てに使うビニールテープは安価で凶悪だ。

 ジョージの宇宙服、脱いだ手袋の先に出た手首を紐で縊り切らんばかりの締め付け。

細いテープががっちり食い込みしびれ始めていた

「アーロン、お前大丈夫なのか? こんな縛り方されて」

「うーん、実を言うと手の骨折れちゃってると思う」

「……まじかよ」

 何箇所か開けた棚からカッターを取り出したジョージはアーロンに近づいて手を出せとゼスチャーする

「いつもの事だよ、参るよね地球から来た人って力加減っての知らないから」

「痛みは?」

 背中を向けたアーロンの手、ジョージと同じようにきつく縛られた部分が赤黒くなっている。

うっ血の跡にアーロンは苦笑いを続けた

「歯に緩和剤を仕込んでるからそれで麻痺しているよ。大丈夫」

 互いに背中合わせなのにジョージは器用にアーロンの紐を切り、続いて渡したカッターで自分の紐を切ってもらう

「見せてみろよ」

「大丈夫だよ、表面剥離程度だと思うから……」

 凹んだ前腕、時計をつけていた手首より少し後ろの部分で縛られていた箇所に、時計と同じく腕を巻くようにうっ血の紫色の輪ができている

「薬も必要だな」

「だね」 

 慣れているという顔。

アーロンは宇宙生まれの宇宙育ちというコロニー移民の典型的な病気を持っていた。

無重力のある場所に長く暮らすと骨は弱る、カルシュウムの流失によって脆くなる。

それを防ぐために特に幼少期に基礎を作るため人工重力のある場所で過ごすのが義務付けられているのだ。

 1Gという地球環境と同じ重力を作った環境がコロニー内でも完全確立された頃、迂闊にして怠惰な生活を送る人類は増えていた。

いちいち重みを感じて生きるより、軽々とした生活でいいじゃないかという「天使族思想」というものが流行った。

 アーロンの両親はその尻尾に飛びついてしまった者達だった。

とうの昔にわかっていた結果としてアーロンは取り返しのつかない病に苛まれることになった。

ひょろりと縦に伸びた高身長、なのにそれを補うほどは発達しなかった筋肉に骨。

いつも体の各所に骨を補う補助具をつけている。

アロハシャツの下には腹筋を補助するバンテージ・スーツを着用しなければならないほどに。

それでようやくコロニー内部重力に体を合わせているが、そうまでしても長時間はいられない。

外側の体を立たせる事ができても、内側を補助するのは今の科学でも難しいのだ。

呼吸ができなくなってしまうぐらいに重力に圧迫感を感じる。

「僕は月で走る事はおろか、地球にも降りられないんだな……」

 アーロンと知り合ったのは月面マラソンのために月とコロニーを行き来するシャトルの中だった。

やたら自分を褒め称えるメガネ、レディオギーヴ、そんな感じのやつに

「だったらてめーも走ってみないか」と、声をかけた時にそう言われた

「だから僕は君みたいに飛躍する人間の姿を見るのが好きなんだよ」

 重いファンだ。

そう思ったが、今まで友情は続いていた。

重いだけでなくユーモア溢れるアーロンは、ただひたすらに走る事へと没頭するジョージにとって良い友達になっていた。



「連れて行かれたと思うハルちゃんも心配だけど、博士の心配はしなくていいの?」

「バカどうだっていい、ひょっとしたら共犯者なのかもしれないわけだし」

「父親なんでしょう」

「あいつは考古学のためなら犯罪を犯しかねないやつだ」

 この言いよう、頑なな父親否定は体に染み付いた思いでもある。

アーロンは諦めたように笑い、紐を解いたジョージはスーツの調整に入っていた。

機密のチェックをすると研究室の中で赤字を浮かべる緊急ボックスを叩いた。

中には非常用の宇宙服とヘルメットか6体分入っている

「アーロン、とりあえずこれは着とけ。服のまま着られるタイプだからよ」

 大昔ロケットやスペースシャトル時代に着用されたタイプの宇宙服。

今はアンダーガードを着けず簡易的に着る服としてどの施設にも非常用装備として置かれている。

色は救難基準に合わせて少々派手な黄色が多いし、発酵用ライトと蛍光シールが各所に貼られている。

腹回りのチャックで上下に分割して着るそれを手早く分解してジョージはアーロンに渡す。

「チッ、ヘルメットは合わねーな」

「そりゃあそうだよ、ジョージの着てるような特注とは合わないよ」

 緊急用の野暮ったいスーツとジョージが来ているものはまったく形が違う。

簡易版が風船みたいだとすれば、ジョージの着ているものは体にフィットする、宇宙を走る男にふさわしいタイトな仕様だ。

しかしタイトゆえに、素人が着る事は不可能で鍛えられた者に与えられた鎧のようなモノにも見える。

「いやヘルメットは救命規格があるからそうでもないんだけどなー、まあ簡易版とは合わなくても仕方ねーか。よしよし酸素はあるみたいだな」

 着替える友を後ろにモニターで外部をチェックする

「ここ暮らしの俺たちを外から鍵かけて押し込めたつもりとはなー……それにしても管制室とは連絡とれないな」

 実験室の壁に備え付けてある受話器。

通路各所にも物理的につながるための有線回線があるのだが、無線も有線も繋がらない状態では監視めらの記録をチェックするぐらいしかできない状態だ。

「案外管制室も占拠されてるとか……そんな感じなのかな?」

「そんな大掛かりな犯罪組織にはみえなかったけどなぁ」

「王とか言ってるバカがいるんだぞ、このコロニーで独立宣言なんてされてみろ」

「うわー、やめてほしいねー」

 そういう事例も少なくない宇宙時代。宙の新大陸、新天地、独立を語った事件はチラホラあったが、たいていは頼る物資のなさに根負けして頭を垂れるのが現状だ。

 空気のない世界。

空気を必要とする人類にとって、器のコロニーなしにはどこにも行けない世界で戦争をするというのはいかにも無能であり、無知の反乱と罵られるのがオチだった。

「とりあえず外に出よう。キーロックの解除はできた」

 玄関口であるコロニー、最初の月面マラソン以来学校に入学してからもここでの生活が多かったジョージやアーロンは、ここを行き来するだけの学生とは違っていた。

このコロニーの管制室以外でも中身のコントロールの大抵はこなすエキスパート。

 宇宙服に着替えたアーロンは手持ちの酸素を何本か袋に入れて背負う。

ジョージは簡易マスクを付けて扉を開けた。



「そのまま手をあげろ」

 ……

 開けた向こうにある薄暗い通路、相変わらずコロニーが非常事態の滋養たいを保っている事がわかる避難経路を示す赤い矢印が見える。

赤と青の光の中に、その塊は立っていた。

 黒色の宇宙服に、それを覆うガードジャケット、畳まれた襟章。

空いたドアの向こう、ショックガンの金物が見える。

明らかにチーム編成を組んだ警察部隊と見えるものたちは高圧的に繰り返した。

「手をあげろ」

「なんなんだよ、あんたたちは」

 理不尽の波状攻撃、思わず怒りに着火のジョージをアーロンの手が止める。

「待って、喧嘩はまずいまずは僕たちが何者か証明しないと」

 その通りだ。

「俺はここの生徒だ」

「知っている。黙っててを挙げて我々に従え」

 難関と苛立ちの波が何度も押し寄せる非常の空間。

やっと実験室の扉を開けた二人は、黒衣の集団につかまり連れられていく事になった。


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