02 父と息子の再会
『キタキタキタァァァ!!! 今年もやってきた!! バース大学に3年連続、自己記録を2年連続更新のお祭り男ジョージ・キャラハン!! 圧倒的な跳躍を見せて今!! ゴォォォォール!!』
通常の宇宙服とはまったく違う、体にぴっちりとフィットしたスーツ。
スポンサーの名「コズミック・ランナー」が太ももに走る派手なカラーリングと背中に輝くバース大学の紋章ゴルゴン。
空気のない世界は、透き通る映像を見せる。
熱排気を抑える繊維と、全身に走る神経デバイス、新しい空間に人間をマッチさせる新機能を織り込んだスーツが、ゴールテープを切るシーンに絶叫がかぶる
「オーレ!! ジョージ!! 我がバースの誇り!!」
耳元に届く実況、コロニードッキングベイ管理室でアーロン・アダムスは録画していたレースの再演をしていた。
コロニー外縁部に作られた突起物、ともすれば大戦時に作られた塹壕のような港外無線室は人が二人入れればいいような狭い場所。
ここでラジオをつけっぱなしにするのはご法度の部屋で、アーロンは四角いメガネを飛び上がらせるガッツポーズを自慢げに晒していた。
窓の外、コロニーの外で働く、ジョージに向かって
「アーロン!! いい加減にしろ!! こっちにまで音をいれるなよ!!」
「いいじゃないか!! 僕は見に行けなかったんだぞ!! ジョージの活躍を見たかったこの思いを何度反芻しても許されるべきだ!!」
「もう一週間も前の話だぞ!!」
「まだ一週間だよ!!」
一週間前。
宇宙に飛び出した多くの大学が開催する有名なレースがあった。
月面マラソン。
古くは地球を飛び出した最初の冒険者たちが、月開拓の余興で行った「月面競歩」に始まり、今や大学連がこぞって参加する一大競技となったそれに、バース大学を代表するジョージは大学の名誉である連勝記録を伸ばし更には自らの高校からもってきた記録更新とダブル連覇を成し遂げていた
「我が校の名誉!! これを見られなかった僕の気持ちがわかるかい。だからゴールシーンをヘビロテだよ!!」
「わかったから、一人でやれよ!! わざわざ俺の回線にいれるなよ!!」
「本人と勝利を分かち合いたいんだよ!!」
通信相手である男は、その競技を制した当の本人。
ジョージ・キャラハンは自分の疾走を喜ぶ友人を当初照れた感情で見ていたが、さすがに連日聞かされるのは耳が痛いを通り越して心をざらつかせる領域に達していた。
「アーロン、次の大会でも俺は勝つ!! 今年の事はすでに過去だ。前を見ろよ!!」
「当然だよ!! だから今年の勝利を心に刻んでいるんだよ!!」
工学系の頭デッカチ、絵に描いたようなギーグ。
癖毛混じりの短い金髪、四角い洒落っ気少ないメガネという病弱アーロンは自分には出来ない白亜の荒野である月面を飛ぶように走ったジョージの姿を心から賞賛していた
「いつか僕もあんなふうに月をという夢がさ、親友によって叶えられたんだよ。この喜びで脳みそをジョージで満員御礼にしてもいいぐらいだよ」
「きもちわりーよ!!」
勘弁してくれ、正直そう思う。
勝利を祝してくれるのはこのうえない喜びだが、野郎の頭脳が自分の姿で満たされるなど気持ち悪いの一言に尽きる。
あやうく宇宙服を脱ぎ捨てて、全身をかきむしりたくなる衝動で身震いを始めた体がキレのある声に背筋を正す
「やかましいですよ!! 二人とも、今日は特別な客もいらっしゃるのよ、しっかりと仕事しなさい!!」
若い二人の怒鳴り合いに、女らしい甲高い声は容赦なく入る。
コロニー港の責任者クレア・オルブライト港長の喝に二人はすみやかな静寂と了解の二つ返事を返していた。
ここはバース大学宇宙学練の大外、宇宙コロニー大学本館へとつなぐ玄関口のコロニー。
かつてはバース大学が所有した最初のコロニーだったが、老朽化した実験施設を移送し空いた空間は大学の玄関口として多くのシャトルが出入りする港と改装されている。
「アーロン・アダムス生徒、寄港シャトルの予定時刻の確認はできましたか!! ジョージ・キャラハン生徒、誘導灯の整備はおわりましたか!!」
「イェッサ!! 終わってます!!」
「こちらも航行シャトルの時間に問題ありません!!」
「無駄口を控えなさい。アーロン生徒は港口3番バースへと連絡を。ジョージ生徒はエアロックの準備を」
黒髪に白の混ざる老女クレア・オルブライトは、元は大英王族に使える侍従次官。
口調と教育の厳しさは折り紙付き、港の管理という地味な仕事を率先して受け持ったのは
「玄関口こそ、学校の顔。英国を代表する学校は全てにおいて礼儀正しく美しく、です」が口癖の、母校の礼儀促進に来たいわゆるロッテン◯イヤーさんである。
英国系大学には王族侍従の天下りは普通であり、彼女もその一人でもある。
「……ちぃっ、アローンのせいで目をつけられたかもしれねーな」
コロニー壁外での作業をしていたジョージは腰につけられたスラスターを0.2秒だけ放出して前進を開始する。
学生身分で命綱なしの作業は基本禁止だが、ジョージは単独宇宙作業の有資格者。
競技で使ったスーツを完全に使いこなす彼は、暗く広く静かすぎる宇宙を眺めていた。
「まったく、スポーツでもしなきゃこんなつまらないところになんの意味があるんだよ」
ジョージ・キャラハンはバース大学に入る前、ブライトンの高校にいた頃から宇宙で学業を学んでいる。
16歳の時、特待を得て宙に登った。
初めて見た宇宙の感想は今口からこぼれ出た言葉と大差なかった。
宇宙から見る地球の美しさは身にしみたが、そこから向こう、闇のつづの星の海を見た時心底思ったのは
「寂しい世界」だという事だった。
どんなに大勢の人間がいようと宇宙空間では靴音さえしない、空気もなく触れられる感触も皆無にして音さえ響かない世界に夢見て未だ外宇宙へと希望を持つ者たちが多い中で冷めた考えを持っていた。
「エネルギー開発と資源調達さえできれば後は人類に必要のない空間だ」
それがジョージの持論になっていた。
スキップを踏むようにゆっくりとコロニーの外壁を蹴って進む。
コロニー自体は回転しており、内部には重力を持っている。
だからよほどに強くステップを踏まなければ宇宙へと放り出される事はない、足先につくアイゼンでコロニーの壁に爪を立てて歩く。
一般的に考えられているような金属製のコロニーはまだ少ない。
バース大学宇宙工学科が持つ最古のコロニー外壁は月工場で作られた特殊なコンクリート製だ。
金属の大型加工が宇宙でできるように確立されたのは80年ぐらい前で、それ以前に人間が居留する「箱」を作るのに重宝したのはコンクリートだった。
コロニークラスの大きな建造物を作るのに最適な資材だった。
だから外壁を歩く時にはアイゼンが必要となる。
コロニーの全景はコマのような形をしている、少し胴長でベルナール型の発展したタイプで本体を囲むように小型の付属施設がたくさんついている。
「それにしても直通でここにくる客なんて珍しいよなぁ……あっ」
大学の玄関口に変わったこのコロニーではあるが、ここだけを目的にやって来るシャトルというのは珍しい。
左腕の情報端末で、寄港予定のシャトルの時間をたしかめたジョージは思い出していた。
「あれか、星崎が見つけた変な石を見に来るのか?」
ヘルメットの中でしかめた顔。
同級生だが、今年になってバースの宇宙工学科にやってきた日本人の少女がいた。
留学生の受け入れはどの学校でもやっている事だが、日本人が旅行以外で宇宙まで勉学のために飛び出してくるのは珍しい。
だから覚えていた。
星崎春香、長めの黒髪にくっきり二重の黒目。
東洋人は年齢の割に幼く見えるというが初めて星崎に会った時の感想は正直に
「小学生?」と思ったジョージ。
留学生資格を18歳からと決めていたバースが、年齢解禁した現在飛び級で編入留学を果たした秀才少女といわれた彼女だが、工学科の学科とは別におかしな研究をしていた
宇宙遺物研究会という、珍妙なクラブを立ち上げて。
「宇宙には人類以外の文明を持つ種が必ずいる、その証拠を探すクラブ」
という科学も進み切ったこの時代に反逆するようなクラブだった。
大学で宇宙に飛び出した工学科の生徒がやるには非科学的で運営費用など出ようもないクラブは、学練本館コロニーに居場所がなく結果的にこの港口コロニーにクラブハウスを持っていた。
「どこの世界にも頭良いのにバカっているのなー、星崎が拾った石なんざイタズラにきまっているのになー」
「キャラハン生徒!! エアロックに着きましたか!!」
のんきな歩みに規律の楔が耳に響く、思わず飛ぶほどの威圧に応え
「あと5秒で着きます!!」
外壁を蹴って港内とダイブする。
『月面ティコ・クレーター空港発バース大学港口行き、チャーターシャトルは後12分で3番バースに到着』
飛び込んだ港から身を翻す、真空を泳ぐ彼の前、近づいてくる白銀の機影が見えていた。
「どんな奇特な客がくることやら」
いつもは資材搬入がメインである港に、久しぶりの部外者の訪問。
軽口を叩いたそのしっぺ返しが、直後に戻ってくるなど考えもしないジョージだった。
「うのぉぉぉぉおっおっ」
鷹夜源助は壮絶に酔っていた、宇宙に出た頃からリラックスのために与えられていた酒にではなく宇宙そのものに酔っ払っていた。
「この、なかなかに世界の丸く、そして回っている事を教えてくれる衝撃……」
弱音は吐かない、それが身上の鷹夜博士の強がりは大声になって狭いエアロックの中に響きわたっていた。
「博士、コロニー内部には重力エリアがありますから、そこで一息つきましょう」
アイリ・シュナイダーは千鳥足のうえに盆踊り状態にある鷹夜の背中を押して歩いていた。
コロニーに着いたのはいいが、宇宙未体験の人間がホイホイと気軽に出歩けるというのはまずないこと。
エアロックがつながる間も悶絶と戦う鷹夜博士を励ましながら、警護の2人に荷物をまとめさせていた
「いやいやいや、中に入ればすぐに落ち着く。一も二もなく獲物が見たい!!」
強がりは確実に意識を正常に戻し始めていた。
回った目玉を正すためにコメカミを叩き、頭を振って酔いを払う。
白塗りの薄ぺらい壁の続くエアロックの向こう側は重厚な扉が開かれている、青白い光が照らす通路で鷹夜は重力に踊らされながら前に進む。
簡素ではあるがゲート先には入稿管理のための透明な四角いボックスがあり、身体検査が行われる。
そのゲートまでを宇宙に酔っ払った姿以上に見苦しい形で、初めての水泳で手を引かれる子供のように鷹夜はアイリに引かれてすすんでいた
「うむうむ我ながらうまく泳ぐようになったな」
「……少しずつなれましょう」
苦笑いを見せるアイリに、すっぱく口をまとめた鷹夜だったが次の瞬間目の前に新しい標的を見つけていた
「おおおおおっ!! バカ息子!!」
犬かきの要領で前に進もうとする鷹夜の前、ゲートの向こう側にいたのはジョージ・キャラハンだった。
「……なん……だと……」
ヘルメットを取ったジョージの顔は盛大に歪んでいた、額に亀裂を入れる怒りと嫌気が体を支配しているのが周りを囲む者たちによくわかる程に
「息子よ!! ついに父も宇宙の海にやってきたぞ!!」
「……」
返す言葉もないジョージに、まとわりつくよう鷹夜博士
「おうおう斗真よ、わしが宇宙には来れないと思って自由きままにやっておっただろう。うーん、背は伸びたな、大きくなった」
「うるせえバカ野郎! 俺の名前はジョージだ!!」
馴れ馴れしく触れる鷹夜をジョージは思い切り放り投げていた。
振り払うなんていう生易しい動作ではなく、本当に砲丸を投げるような綺麗なモーションで鷹夜博士を投げて言った
「何しにきやがったクソ野郎!! あんたとは縁を切ったはずだ!!」
勢いよく資材ブースの箱へと埋もれてバウンドした鷹夜をアイリが慌て捕まえる。
このまま飛ぶと跳弾のように鷹夜の体がバースの高い天井まで跳ね回ることになる、さすがに初老に入った博士が壁との衝突を何回も繰り返すのは危険なことだと咄嗟に理解していたからだ
「ちょっと!! あなた、いきなり暴力とはどういうこと!! これがバース大学の流儀なの!!」
事件発生、生徒が客を投げるという図に湾長クレア・オルブライトは青ざめ、周りを囲む者たちの時間までも止めている。
「いやいや待った待った、こんなの親子のコミニュケーションじゃよ!! こいつは私の息子斗真。鷹夜斗真じゃよ」
騒然とし止まった場にダミ声は愉快と弾んだ音を響かせ笑っていた
「うるせぇ……俺は鷹夜なんて者じゃねー、俺はジョージ・キャラハンだ!!」
怒りに震える拳、久しぶりの再会を果たした親子に感激はなく、むしろ黒いものが渦巻く世界を広げていた。