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エピソード3 魔窟を抜けて

「うっわー、すっげー!」

 生まれて初めて目にする夜の星空に、ライアス・マサリクは興奮を隠しきれない様子で歓声を上げた。

 時は宵。ライアス少年が一生涯を過ごすと信じて疑いもしなかった彼の故郷、地下都市バドゥトゥは地平線の彼方に消えて久しい。

「はいはいすごいすごい。つーかアンタさ、『すっげー』以外に感想ってないわけ? おんなじセリフばっか一日中聞き続けて、こっちはいい加減うんざりしてるんだけど」

 たしかに、本日早朝にバドゥトゥを出発してからこっち、ライは見るもの聞くもの触るもの、それらすべてに対しまったく同一の感嘆表現しかしていなかった。初めて接する外界に興奮しすぎているせいか、語彙(ごい)が貧困なのか、いずれの理由にせよレイン・ヒッチコックの辟易(へきえき)はもはや限界に達しつつあった。

「だってよー、とにかくよー、すっげーじゃん。なあ、ベアトリーチェ、お前もそう思うよな」

 いきなり水を向けられ、けれど大娼館の元顔役娼婦ベアトリーチェはまったく取り合おうとしない。枯れ木で火を起こしたり食料を人数分に取り分けたりと野営の準備に専心し、その隣で地図と方位磁石を交互に見比べるアッシュ・ザムもまた、無言で自分たちの現在位置確認に没頭している。

「ちょっと、座ってないで手伝ってよ。じゃないとアンタは一晩中見張り、もしくはどっかその辺で寝てもらうからね」

 ちなみに、レインもだ。無精者の彼女にしては珍しく働いている。今夜の一行の寝場所になるであろう大岩にぽっかりと口を開けた洞穴(どうけつ)へと、手持ちの物資をいそいそと運び込む。

「そうじゃなくても明日も朝早いんだし、さっさと飯食ってさっさと寝たいの、みんな。そこんとこ解ってんの?」

「わかってらぁ。まだもう少しっぱかり先なんだろ、オイラたちが目指してる廃坑の町……えっと、なんだっけ、ル、ルル」

「ルズ――だよ、坊や」

 ベアトリーチェの出した助け船にライは「それだ!」と言って膝を打った。レインがうんざり顔で嘆息した。

「そうよ。目的地のルズにはまだ遠いから、明日も今日みたくずーーーーっと移動だから、休めるときに休んどきたいんだってば。そのためには」

「人手が必要ってことさね」

 目隠し用の暗幕を投げ寄越されると、ライは直ちに腰かけていた倒木から立ち上がり、「これ、どうやって吊るすんだ?」

「……ベアトリーチェの指図(さしず)にだけは素直に従いやがって、このクソガキが」

 あからさまな態度の違いに青筋を立てるレインだったが、彼女のライに対する小言は至極真っ当、(ほか)ならぬ正論だった。

 バドゥトゥからここへと至るまでの道程(みちのり)()()く険しかった。頭上から容赦なく降り注ぐ陽光、からからに乾いた空気、そして、細かな砂礫(されき)と大小の岩石に覆われた道なき道。こうした大陸南部方面特有の過酷な自然環境の(もと)では、たとえ移動に馬を用いたとて進行は容易ではない。転倒による骨折で馬が駄目になってしまうのを避けるため、極力平坦な地形をあらかじめ見定めてごくわずかな迂回を繰り返し、速度も適切に管理する必要がある。無論、手綱を握る者への負担は大きい。暑さと渇きに加え、高度な集中力を長時間に渡って持続しなければならないのだから当然である。

「ところで坊や、どうだい、明日はちょいとばかし気分を換えてあたいと一緒するってのは」

「それ、賛成。だってアンタ後ろでギャアギャアうっさいんだもん」

 二頭の馬に分乗して先を急ぐアッシュら一行において、その重労働の担い手はもっぱら女性陣であった。馬術の練度の高さから導いたこの結論に従い、本日はレインにライ、ベアトリーチェにはアッシュがそれぞれ同乗者としてくっついていた。

「別にオイラはどっちでもいい、けど……」

「なに赤くなってんのよ、エロガキ」

「あ、赤くなんてなってないやい!」

 焚き火に照らし出されたライの顔は、なるほどレインの(げん)に相違なく、耳たぶまで真っ赤だった。

「つーかレイン、おめぇの操馬はヘタクソなんだってばよ! ゆれてゆれてムダにゆれまくって、おかげでオイラ腰と尻が痛くてたまんねーよ!」

「黙れガキ! しがみつくフリしてなんべんもなんべんもあたしのムネ触ったくせして、そのうち金取るぞ!」

「はっ、誰がおめぇの貧相なムネなんか! そういうの、じいしきかじょーってんだ、覚えとけ!」

「ぬ、ぬわぁんですってぇぇええええ! 黙って聞いてりゃ図に乗りやがって、もう許さねぇぞ!」

「上等だ! かかってこいや、まな板女!」

 壮絶なののしり合いの末、乱闘へと突入する両者を置いて、

「そっちの塩梅(あんばい)はどうだい、隊長さんよ」

 ベアトリーチェは(かたわ)らのアッシュを顧みる。

「そうだな――」アッシュは手元の地図を鳥瞰(ちょうかん)しながら、「この分なら明日の夕刻までには着けそうだ」

「そいつぁよかった。で、その後はどうすンだい」

「情報収集だ。終わったら宿をとって、実際に潜るのは翌朝だな」

「やれやれ、穴蔵からようやく出られたと思ったら、またすぐに逆戻りってね。つくづくお天道様に見放された女だよ、あたいは」

 細い肩を大仰にすくめて夜空を仰ぐベアトリーチェ。元女郎であると同時に、かつて大陸最凶と恐れられた傭兵集団デリコファミリーの筆頭剣士でもある妖婦がぼやくのは、一行が当面の目標として定めたルズの町――そこにあるという閉鎖された鉱山について。

 バドゥトゥを発つ直前のことである。アッシュたち四人の間で、エリスルム王国王都を目指す此度(こたび)の旅程が大まかに話し合われた。それによれば、まず大前提となる国境越え、即ちガイア渓谷を抜けて王国領へと至る方法には二つの有力な案が存在し、一つはバドゥトゥから遥か南に掛けられた橋を通過するというものだったが、こちらはひどく遠回りになるのと道程が過酷すぎるのとで即座に却下となった。

 そこで自動的に採択されたのが、もう一方のルズ鉱山を経由する案である。

 獄門街を出てしばし北上することで辿り着ける当該地(とうがいち)は、近年の急激な埋蔵量の減少に伴いすでに廃坑して久しい。アッシュの言うことには、どうやらその最深部が数か月前に発生した地震によって一部崩落し、偶然にも王国領側の自然洞(しぜんどう)と繋がったらしい。そう――要するに上ではなく下を、大河の地下深くを突っ切って越境しようというのだ、彼らは。

「……メシ」

「……あたしも」

 ほどなくしてライとレインが焚き火の輪に戻った。二人の戦いは熾烈(しれつ)を極めたようで、ライは鼻血を垂れ流し、レインの髪は乱れてぼさぼさである。

「次はこうはいかねーかんな、おぼえてろよ」

「それはこっちのセリフよ」

 保存食である塩漬けにした魚を手に手に、なおも小声での応酬が続く。

 そんなものどこ吹く風でベアトリーチェは堅焼きパンを千切ってのんびり食す。

 アッシュは干し肉を(くわ)えて見張りへと立つ。

 荒野の夜が、更けていく。



 ルズの歴史は非常に古く、本格的な採掘が始められたのは五百年前とも六百年前ともいわれている。

 主な産出物は鉄、銅、鉛の他、高性能武具の素材に用いられるロマロ鉱やバンデム鉱、希少なベイドナ鉱と多彩。また、封魔物(ほうまぶつ)の一角に数えられる〝生ける狂鎧(きょうがい)〟こと『カリオストロ』が当地に眠っていた不可思議な鉱物によって創られたとされるなど、興味深い逸話も残る。

 とはいえ、一時は帝国本国からの出稼ぎ鉱夫とその家族らで賑わったルズも、長年の継続的な採掘で資源が枯渇し鉱山が閉鎖になると、一人また一人と町を離れていき、今やかつての繁栄は見る影もない。アッシュたちが話を聞いた雑貨屋の主人は自分が元鉱夫であることを明し、「おかしなもんですよ。(とど)まる理由なんてないのに、こうして商売替えしてまで居座ってるんですから」

 長く暮らした土地に対する愛着か、費やした歳月への郷愁か、いずれにしても現在のルズがどうにか町の体裁を保っていられるのは斯様(かよう)な人々の下支えによるところが大きい。

 西へほんの少し足を延ばせば帝国第二の都市ガロットとてあるのだが、住めば都とはよく言ったものである。

「魔物が棲んでるなんて、そんなのウソに決まってらぁ」

 市中での情報収集を一通り終え、宿に落ち着くなりライが口火を切った。

「あたしもウソだと思いたいけど……でも、今回ばかりはマジかもね」

「おいおいおい、なんだよレイン、おめぇらしくもねえ。なにビビッてんだよ」

 (いずか)しむライを黙過(もっか)してレインはアッシュを見る。「アンタの見解は?」

 本日正午すぎにルズへと到着した一行は、その足で直ちに(くだん)の鉱山についての聞き取りを行った。するとやはり、坑道は地上にまで続くどこか別の空間と繋がり、現状では一本のトンネルとして成立しているに違いないとのこと。残念ながら実際に中へ入って確認してきた者はおらず、坑道付近一帯の空気の流れ方が以前とはまるで違うというのがその根拠らしいが、元は熟練の坑夫である彼らが口を揃えるのだから信ぴょう性はまずまず高い。

 ただ、問題はそこではない。アッシュたちの懸念材料はもっと別のところにある。

 坑道の奥。

 不気味な声。

 行方不明者。

 惨殺死体。

 聞き取りの過程でたびたび耳にした言葉をまとめると、ざっとこんなものだろう。

 住民は誰もが話の締めくくりに際し、恐怖に引き()った顔でこう言ったのだった。


『魔物だよ。坑道には魔物が棲みついてるんだ』――と。


「別段隠していたわけではないんだが」

 おもむろにアッシュが口を開いた。

「この状況では話さざるを得ないか」

 部屋の隅で壁に背を預けて立ち、滔々(とうとう)と語り始める。

「数か月前の地震を機にルズ鉱山と繋がった自然洞が、ちょうど俺とレインの駐留するクラスタの街の南方に位置することは以前に話した通りだ。実は一月ほど前、その自然洞へ向けてクラスタから小規模編成の調査部隊が派遣された。そう、エリスルム王国軍はかねてよりこの事態を想定していたんだ。ルズ鉱山の坑道がガイア渓谷を超えて掘り進められているのは調査済みであり、あちらとこちら、双方の最深部が将来的に何らかの地殻変動などの影響で一つに繋がってしまうという今回の事態をな。だが結局、たしかなことは判らず仕舞いだった。なぜなら調査部隊が全滅してしまったからだ。たった一人、瀕死の重傷を負ってクラスタに帰還した刀剣兵を除いて」

「第四小隊のイザベラって女よ、生きて帰って来たのは。そいつったら何かとあたしに突っかかってくるウザったいヤツだったんだけど、くたばる間際に言ったらしいのよね、あの洞窟には魔物がいるって」

 アッシュはレインの補足に(うなず)きつつ、話を結論へと進める。

「イザベラが持ち帰った情報には俺も懐疑的だった。なにしろ魔物は数百年前に根絶されて以来、今もってまともな目撃証言などは皆無なわけだからな。だが、王国領側だけでなく帝国領側でも同じ噂が囁かれているとなると、さすがに俺も考えてしまう。(ある)いはごく少数ながら魔物は生き残っているのではないか、人間が滅多に足を踏み入れないような極端な環境下で現在も反撃の機会を窺っているのではないか――とな」

 たとえば地面の下とかね、とベアリーチェが冷ややかに笑んだ。ライの喉からごくり、と生唾を飲み下す音が聞こえた。

「まあさ、斬っても射ってもどうにもなんない不死身の兵隊なんてもんと()り合ったウチらとしちゃあ、魔物の存在だって信じるしかないっていうか、出るって聞かされれば警戒して当たり前っていうか……」

 同意を欲してレインが再度アッシュに視線を送る。それに応じる形でアッシュはライとベアトリーチェ双方に対し自分たちが遭遇した奇怪な軍勢のことを、そのあらましをごく簡単にではあるが語った。

 一渡り話を聞き終え、二人は揃って沈黙した。

 元娼婦は紫煙をぷかぷかと吐きながら、心ここにあらずといった物憂い表情で。

 少年は椅子にふんぞり返ったまま、ひどく難しい顔で。

「その、気持ちはわかるけどよ、レイン」

 そうして、束の間の静寂を破ったのは少年の方だった。

「死なない兵隊の話は置いといて、とりあえず今のオイラたちにはアッシュ兄貴もベアトリーチェもいるんだし、もし坑道ん中で魔物と出くわしたって案外どうにかなるんじゃねえか?」 

 今度は自身が同意を求められる立場となり、けれど当のレインは「しらね」と投げやりな態度で腰かけているベッドに横たわってしまった。

「いずれにせよ、坑道を抜けてくしか手はないンだろ? あっち側に渡るにはさ。だったら決まりだとあたいは思うけどねぇ」

「同感だ。未知の障害が待ち受けている可能性が否定できないとはいえ、俺たちに他の選択肢を検討する余地がないのは事実だからな」

「兄貴、じゃあ」

 ライの緊張した面持ちを一瞥(いちべつ)し、アッシュは言った。

「当初の予定通りだ。坑道を進む。障害は無論、たとえ何であろうとすべて排除する」

「あーあ、やっぱりね」レインは寝返りを打ちながらぼそりと呟いた。「どうせこうなるって思ってたし」

 その一言を最後に会議は打ち切られた。

 かくて今後の方針が決定し、そこから四人は男性組と女性組に分かれてそれぞれ別行動を取ることに。

「兄貴、さっきの話だけど」

 旅の汗を流したいと女性陣が風呂屋へ出かけたことで、どこか殺風景に拍車のかかったかのような安宿の一室。ライは、ほんの(わず)かな気がかりをアッシュに(ただ)すことにした。

「ほんとにオイラたちに言っちまってよかったのかい? えっと、だから……」

「不死身の帝国兵のことか」

「うん。だって、機密事項ってやつなんだろ、それ」

 アッシュはライが座る椅子の真正面の壁にもたれて立っている。腕を組み、相変わらずの乏しい表情でこっちを見ている。

「問題ない。王都に辿り着くまでの一時的な措置とはいえ、お前もベアトリーチェも今は部隊の一員、つまり軍属だからな」

「そっか」

 ()きたいことはそれだけだった。問題がないのであれば、この件についての問答はこれで終わり――のはずだったが、

「やっぱ、死んじまったのか。兄貴とレイン以外は」

 今更ながらに思い至った。軍隊の知識はほとんど持ち合わせていないが、隊員がたった二人しかいない部隊などあり得ないのではないか。だったら、第三小隊の他の面子(めんつ)たちは一体どこに、否、どうなったのかと考えた場合、先刻の彼の話から結論は一つしかないように思われた。

「どうだろうな。実際に死亡を確認した隊員は一名だけだが、それ以外の生存もほぼ絶望的と見ていい」

 冷たい言い草だと、ライはつい眉をしかめそうになる。

 けれど、理解している。理解しているつもりだ。

 アッシュは兵隊で、たぶん世界一の兵士で、だから不死身の怪物たちと戦っても生き残って――

「でも、寄りにも寄ってどうしてレインなんだよ、兄貴」

「? 何のことだ」

「ま、たまたま運が良かっただけだろ。そうじゃなきゃ、兄貴の背中にべったりくっついて自分だけちっとも戦ってなかったとか」

 心根(こころね)はどうあれ、彼がそばにいてくれれば大丈夫だとライは思うのだ。嘘をついて(だま)したり、自分のいいように利用したり、そういう汚い大人たちに囲まれて育ったからこそ、少年ライアスはアッシュ・ザムという男を手放しに信頼できる。

「魔物なんか蹴散らしちまおうぜ、兄貴!」

「あ、ああ、その時はよろしく頼む」

 戸惑うアッシュを他所(よそ)に、ライは快活な笑みで明日への決意を固めるのであった。



 件のルズ鉱山の入り口は町の東端、そこで鬱蒼と生い茂る草木に覆われ(たたず)む山の岩肌に大きな口を開け、さながら一行を飲み込まんと待ち受けているかのようだった。

「隊列の乱れに注意しろ。それほど複雑な構造ではないとはいえ、はぐれたりすれば(こと)だ」

 松明を手に、アッシュが坑口の手前で注意を促す。彼を筆頭にその後ろがライとレインと馬二頭、そして殿(しんがり)をベアトリーチェが務めるというのが事前の取り決めである。要はずば抜けて優秀な人員二名で隊を前後から保護しつつ進むわけだが、暗く入り組んだ坑道で、おまけに敵の襲来も想定されるとなればこの並びが最適であろう。

「準備はいいな。では、行くぞ」

 先陣を切るアッシュに従って後続の三人も中へ。傾斜に足を取られないよう用心しながら急な下り坂を進んでいく。

 視界は存外悪くない。アッシュとベアトリーチェが持つ松明の灯りに加え、坑道内部には鉱夫らの手によるものらしいオイルランプが点在しており、それに火を入れれば暗闇は少なからず払拭できる。地下といえども、ここはあくまで鉱山だ。文明の威光が及ぶれっきとした人類のテリトリー内であって、未開の秘境というわけではない。

 やがて長い坂を下りきるとやや広めの空間に出た。シャベルやつるはし、産出物を外へと運び出すためのトロッコと、ここにも人類が天然自然の恩恵を存分に得んと発明した様々な利器が、しかし今はもう誰に使われることもなく、在りし日の姿そのままに打ち()てられている。

「待て。一旦経路を確認する」

 アッシュの指示で一行は停止した。すかさずベアトリーチェが松明をかざし、周囲を注意深く観察する。

「異常なし。ガーゴイルだのスライムだのはもちろン、猫の子一匹だっていやしないよ」

 索敵の結果を受け、念のためライとレインも銘銘(めいめい)辺りの様子を窺ってみたが、たしかに生き物らしき気配はない。

「今、よかったぁって思ったろ」

「アンタこそね」

 こんな場所に来てまで鞘当てを始める二人はともかくとして、

「右の側だ。あちらがさらに奥まで通じている」

 アッシュが事前に入手していた鉱山の地図から顔を上げた。この先は道が左右二股に分かれていて、彼らが進むべきはどうやら一際大きな方の坑道らしい。

 そこからは緩やかな下り傾斜が、アッシュら一行を延々と地の底へ導いた。

 およそ人の手で掘ったとは思えないような広大な隧道(ずいどう)状空間は、空恐ろしいまでに荒く激しく切り立った岩々によって形作られ、或いは右に或いは左にと自在な曲線を描きつつ、いつ果てるともなく続く。

 じっとりと湿った冷たい空気、岩壁の裂け目より(したた)る粘性の高い水、どこからともなくぼうぼうぼうぼうと聞こえてくる淀んだ大気のうねり。まるで地獄への道筋を辿るような、そんな一種異様な雰囲気は途中二度に渡る分岐を経ても変わらず、こうなってくると絶えず散見される鉱夫たちの遺物でさえ、どこか陰鬱さを漂わす不吉な呪物の数々に見えてくる。

「地図によれば、ここを左に進んだ先の採掘現場が坑道の最深部だ」

「地震で崩落したって場所もそこなわけね、要するに。でも、あれってほんとにマジなんでしょうね」

 ここまで来て行き止まりとかやめてよね、とレインが(しか)め面で言う。

「それはないな。町で鉱夫たちも話していたが、はっきりと空気の流れを感じる。彼らほど鋭敏な感覚を持ち合わせていない俺でも、さすがにここまで来ればそうと判る」

 振り向くと、ライも知ったふうな顔でうんうんと頷いている。鈍いヤツだなぁと馬鹿にした態度が(しゃく)に障ったが、レインにはそれ以上に引っかかることがあった。

「ベアトリーチェ? どうかしたの、怖い顔して」

 隻眼(せきがん)を鋭くし、何故かしきりに周囲を警戒するよう見回す妖婦は、

「臭うね」

「臭うって――なにが?」

「糞と小便、それから血だ、こいつぁ。しかも新しい」

 ベアトリーチェが言い終えるが早いか、レインは身を固くした。

 ――何か、いる。

 二本の松明の灯りでは完璧に拭い去ること困難な、大規模坑道内部の深い深い闇。

 その中に。

 確かな息遣いを感じる。ベアトリーチェが言うような悪臭も、今は鼻が曲がりそうなほど、しっかりと。

 ――ヤバい!

 本能が警告を発した瞬間、すぐ目の前のアッシュがブロードソードを抜いて暗闇を切りつけた。

「ゲギョア!」

 鳴き声――らしきものが聞こえた。レインは咄嗟(とっさ)にアッシュの足元を見る。

 最初は人間の子供かと思った。

 でも、違った。

 そいつの暗緑色の肌も、醜怪(しゅうかい)極まりない風貌(ふうぼう)も、明らかに人間のそれとは異なっていて、

「ちょ、ちょっと待ってよ。これってあたしがガキの頃に見た絵本に……そうだ、ゴブリンとかいう――」

「矢を放つんだレイン! 先端に火を点けて矢を放て!」

 考えるよりも早くレインは行動に出た。暗中行軍に役立つかもしれないと先端にたっぷり油を塗り付けた矢に着火し、ボーガンで一発二発三発、(まと)も定めずでたらめに撃った。

 そして、にわかに明るさを増した坑道の中、一行は信じがたい光景を目の当たりにした。

「ニ、ニンゲン、キキキ、ニンゲンダ」

 ルズの住人たちが言っていたことは本当だった。

「コロセ、ニンゲンコロセ」

 第四小隊のイザベラは嘘などついていなかった。

「コロセェェェ、ニンゲン、コロセェェェェエエエエエエ!」

 豚鼻の獣人『オーク』。

 緑色の小鬼『ゴブリン』。

 どちらも遥か昔に絶滅したとされる人類の敵性生物――魔物と呼ばれる存在が、手に手につるはしを持ち、シャベルを携え、アッシュたちを取り囲んで奇声を上げる。その数ざっと、二十匹。

「まさかな、実在していたとは。だが…………ベアトリーチェ」

「あいよ。こっちは準備万端、いつでもいけるさ」

「レイン」

「わぁってるわよ。あたしはじゃんじゃん火矢を放って、アンタたちの視界を確保すればいいんでしょ」

「頼む。では最後に、ライ」

「おう!」

 アッシュは思わず背後を顧みた。予想外だった。こんなにも威勢のよい反応が返ってくるとは。

「兄貴、ひょっとしてオイラがビビッて縮こまってるとでも思ったかい? へへ、おあいにくさま。こちとら自分のやることなんて、ちゃあんと解ってらぁ」

 ベアトリーチェの手から松明をふんだくり、ライアス少年は腰の鞘から己が得物である逆刃剣を抜き放つ。

「こんなもん持ってちゃうまく振れないだろ、バカでっかいベアトリーチェの剣はさ。オイラが預かっててやっから、思うぞんぶん暴れて来いよな」

「カッコつけてないで、あたしの護衛ちゃんとしてよね」

 クソガキ――とレインが憎まれ口を叩いたのと同時に、アッシュとベアトリーチェが敵の包囲網に突っ込んだ。

 アッシュは左手の松明で闇を照らしつつ、もう一方の右手でブロードソードを振るう。目にも止まらぬ超高速の斬撃がオークとゴブリンをそれぞれ一体ずつ切り裂き、葬り去る。

「なるほどな、皮膚の強度はこの程度か。ならば問題ない」

 立て続けに一閃、さらに一閃。視認した刹那に断ち切る。しかし魔物たちも負けてはいない。可能な限り灯りの届かない死角へ死角へと周り込み、かつての鉱夫らの商売道具をアッシュの脳天めがけて一斉にけしかけてくる。

 ――そこか。

 アッシュにはその挙動が手に取るように判っていた。右斜め上空をブロードソードで扇状に払う。たちまち三本のつるはしが、それらを支えるオークたちの六本の腕ごと斬り飛ばされ、彼方に消えた。

 たとえ暗がりから奇襲を仕掛けようとも、否、そもそも闇に身を隠したとて、魔物どもが放つ強烈な悪臭はそれだけで格好の目印となる。加えて彼はアッシュ・ザム伍長、血煙(ちけぶ)る戦場を幾多と越えてきた本物の修羅闘士。臭いだけでなく剥き出しの殺意をも敵が垂れ流しているとあらば、斯様にいち早く察知し回避するのは容易(たやす)い。

「ご機嫌さンじゃないのさ、アッシュ! 流石はあたいが見込ンだ男だね!」

 ところでこちら、アッシュと同じく修羅の道を地で行く元女傭兵はといえば、愛器である『羅刹姫(らせつき)の大鉈』を臭気と殺気が密集する場所へやたらめったら叩き込み、ひたすら攻戦一方。分厚い鉄板を彷彿とさせる彼女の戎具(じゅうぐ)は、広範囲の敵を一刀の許に何体も破断することが可能だ。つまり、殺られる前に殺る、先手必勝の戦法。回避は最初(はな)から必要ない。

「だからってきりがないってもンさ。こうもぞろぞろと出て来られちゃね」

 実に五体ものオークを峻烈無比(しゅんれつむひ)な兜割りで一時に両断すると、ベアトリーチェは攻撃の手を止めた。

 周囲を見渡せば、レインが放つ火矢によって格段に明るくなった坑道内に、おびただしい数のオークとゴブリンがひしめいている。一体どこから――と考えるまでもなく、人外たちの発生源が岩壁のあちこちに穿(うが)たれた横穴であることを知る。先刻までは暗くてよくわからなかったが、穴はいたるところに存在しており、敵はそこから絶え間なく姿を現し続けているのだった。

「レイン、あんたから見て十時の方向の岩棚――投石しようとしてる奴がいるよ! 狙い撃ちな!」

 突然のベアトリーチェの指示にレインは泡を食いつつも、教えられた地点にボーガンの照準を定める。本当だ。舞台か何かのように側壁からせり出す岩の上に、一匹のゴブリンが。しかも彼奴(きゃつ)は先端に石くれを備えた付けたぼろ縄を頭上でぶんぶん振り回し、今にもこちらへ向けて投げつけてきそうではないか。

「冗談じゃ――ないわよ!」

 あんなものをまともに食らえばただでは済まない。レインは引き金を絞り、敵の喉笛を打ち抜いて即座に片づけた。

「おっほぅ、やればできるじゃねえか、レイン。オイラちょっとだけ見直したぞ」

「ちょっとだけってどういうことよ、ちょっとだけって!」

「言葉どおりだってばよ。あんな程度じゃまだまだ」

「このっ――生意気なこと言いやがって、だったらテメェがやってみろや!」

 水と油がまたぞろいがみ合いに突入した――その直後。

「撤退だ! 全員左の坑道に入れ!」

 アッシュの怒号めいた指令が両者の耳朶(じだ)を打った。

 何事かと、虚を突かれて立ち尽くす(いとま)はしかし、今の彼らには少し足りとも残されてはいなかった。なぜなら、

「投石が来るぞ、全方位から!」

 恐怖が、レインを彼女の人生史上最速と呼べるほどの高速で走らせた。

 戦慄が、目指す場所へ向かって邁進(まいしん)するライの両脚を覚束(おぼつか)なくさせた。

「道をっっっ――開けなぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 そんな二人を背にかばい、ベアトリーチェは咆哮する。羅刹鬼の大鉈をフルスイングし、旋風と化した大刀身で行く手を阻む魔物たちを片っ端から薙ぎ払う。

「ひゃあ!」

「うひぃ!」

 と――そこへアッシュが乱入する。彼はすでに松明どころか得物さえもどこかへ捨て去っており、空になった左右の腕にライとレインをそれぞれ抱え、

「このまま振り切るぞ」

「おうさ」

 妖婦と並んで一気に加速した。

 いくら人類を古くから脅かし続ける魔性の生物とはいえ、ただでさえ腕力だけが取り柄で敏捷性の方はからっきしの亜人族と、人並み外れた強靭な足腰を有するアッシュ及びベアトリーチェでは勝負にすらならない。彼我(ひが)の距離はまたたく間に開いていく。

「追ってくるか?」

「いいや。(やっこ)さんたち、とっとと諦めてくれたみたいだよ」

 およそ三十秒程度の全力疾走を(もっ)て、一行は辛くも窮地から脱することに成功した。とはいえアッシュの腕から解放された例の二人は、いまだに茫然自失といった(てい)で地面にへたばっているのだが。

「ここは――もう王国領側の自然洞か」

「らしいね。この感じは、人の手で掘られたもんじゃあない」

 いつの間に崩落地点を通り抜けたのか、先刻までとは打って変わって明らかに自然浸食によるものと思われる丸みを帯びた岩石群や、きめ細かな砂粒(さりゅう)で周囲の空間は構成されている。無論、つるはしだのトロッコだの、鉱山で見られた道具類は認められない。

「にしては変だねぇ。あんたの話じゃ自然洞は分岐のない一本道ってことだったけど」

 これから一行が進もうという洞窟は、左右二手に道が分かれていた。

「その点は間違いない。崩落が起きる前の王国軍による定期調査で確認が成されているからな」

「だったらどうして分岐してんのよ。間違えて進んで迷子とか、絶対かんべんだからね」

 レインは活力を取り戻したかと思いきや、早速アッシュに噛みつく。しかし、彼女の懸念(けねん)はもっともであろう。洞窟は迷路のように入り組んでいるかもしれず、おまけに最前の魔物の襲撃で一行は馬を二頭とも、物資を積んだまま失っているのだ。或いは時間をかけて探索すればひょっこり地上に出られる可能性もないわけではないが、水も食料も一切欠いた今の状態でそんなハイリスクな賭けに出るのは無謀というものである。

「あたいらが今いるここは、きっと元々は地下で独立してた空間だろうね」

 ベアトリーチェは、開いた両方の手の平を胸の前で合わせた。

「こンなふうに直接繋がったってわけじゃないのさ、坑道と自然洞は」

 さらに今度は離して見せて、

「この手と手の間があたいらの現在地さね。そいでもって――地上はもうすぐそこだよ」

「ああ、空気の流量がさっきまでとは段違いだ。お前も感じるだろう、レイン」

 言われて彼女ははっとした。「ほんとだ、風が吹いてる」

「この空気の流れを追っていけば遠からず出口に到達できるはずだ。たしかに遭難の危険性はあるものの、こうして手掛かりとて皆無ではない」

「どっちにしたってよ、ここでこうしてるわけにもいかねえしな。進もうぜ、兄貴」

 大気の揺らぎに呼応してゆらめく松明の火を見て、ライは決心したらしかった。

「風を頼りに進んで、結局人の通れないせまーーーい隙間とかにぶち当たらないといいんですけど」

「そンときはあたいの出番さ。叩き崩して通れるようにしてやるよ」

「はいはい、よろしくねー」

 気流と妖婦の愛器に望みを託し、一行は分岐を左へと入った。

 それから先の道程はなかなかに険しかった。中腰にならなければ通行不能な狭路(きょうろ)や、腰まで浸かる深い水たまりを越えて四人は懸命に進む。幸いなのは気流がどんどん強くなっていることと、分岐があまり現れないこと。希望があったればこその強行軍だった。

「……妙だな」

 そうした折、不意にアッシュが違和感を口にした。

「なんなのよ、もう! あとがつかえてんだから早く行ってよ!」

 半身になってようやく通れる狭苦しい道――というよりは岩の裂け目でレインはぶうたれる。

「この先に開けた空間があるんだ。そこから光……いや、これは光なのか。こんな不可解な可視光は見たことがないぞ」

「アッシュ、あたいもちいっとばかし胸がきつくってさ、ちゃちゃっと進んでくれるとありがたいンだけど」

「兄貴、オイラ、ションベンしてえから早く」

「先頭進め! ボケカス!」

 後方から他メンバーのぼやきが飛んでくる。アッシュは吟味を諦め、慎重に前へと進行した。

「そんな――これは一体」

 そして、我が目を疑った。続いて裂け目を脱した三人に至っては、全員絶句を余儀なくされた。

 

 浩蕩(こうとう)たる地下空間は、光で満ちていた。

 天井も地面も、壁も、緑とも青とも紫ともつかぬ不可思議な色調で、岩々が淡く発光している。

 ライは手を伸ばした。虚空に数多(あまた)と舞う蛍火に似た(きらめ)きの、その一つに。

 けれど、捕まえられない。捉えたと思った瞬間、それは指の隙間からするりと抜け出て、また宙をたゆたう。

 レインは知らぬ間に涙していた。

 なぜだろう。ここにこうしていると、この光の只中(ただなか)にいると、懐かしさで胸がつまる。

 ……いや。

 故郷とは違う。

 そうじゃなくて。

 もっと根源的な。

 ああ、そうだ――

 この場所は。

 ここは母の胎内だ。


「人間カ……。ヨクモコンナ辺鄙(へんぴ)ナ場所マデ来タモノダナ……」

 それは誠に唐突であった。アッシュたちの目前で、当初は岩かと思われていた巨大な物体が、のっそりと動いた。

 ドラゴン、だった。

 翼と四本の足と、長い首を持つ竜。

「驚いたな。まさかこんな大物まで実在するとは」

 まさしく伝説としてしか語られないはずの魔族の主席に、しかし彼らは臆することなく相対(あいたい)する。

「ここはどういった場所だ。なぜ、岩が発光しているんだ。お前はどうしてここにいる」

 矢継ぎ早に繰り出される質問にドラゴンは、

「貴様………………フ、フフフ、ソウカ、今ハソノヨウニシテ(なが)ラエテイルノカ、鳥ヨ。人ノ子ニ寄ラネバ生キテイケヌトハ、堕チタモノダナ」

 愉悦に踊る瞳でアッシュを見ながら、不可解な反応を示す。

「人間ノ来訪ハ実ニ百年ブリカト思エバ、ヨモヤコノヨウナ珍奇ナ輩トハ。ヨカロウ、哀レナル獣ノ憑代(よりしろ)ヨ、貴様ノ問イニ答エテヤロウ」

 アッシュら四人が互いに顔を見合わせているのを置いて、ドラゴンは大きく翼を広げた。するとたちどころに紅蓮の鱗で覆われた巨躯(きょく)が縮み、一人の老爺(ろうや)へと姿を変えた。

「我は赤竜、名をファフニール。今より遥か昔――そうだ、貴様ら人間からすれば気が遠くなるような古き時代、四つ柱の獣神どもが引き起こした下らぬ覇権争いに巻き込まれて深い(きず)を負った我は、ここを安住の地と定め降り立った」

 霊素が集まるこの場所に――と、自らをファフニールと名乗った竜の化生(けしょう)は言った。

「霊素だと? それなら聞いたことがある。王都の魔術講究院(まじゅつこうきゅういん)が研究している、たしか生物が発する一種の波動、力場……」

「残念ながらその認識は誤りだ。霊素は、貴様ら人間が言うところの生物だけでなく、この星に根付く(あまね)くすべての存在から放出されている」

「じゃあ、その辺に落ちてる石ころとか、オイラたちが毎日飲んでる水とか、そういうもんからもその――霊素ってのは出てるってのか?」

「左様。そして、放出された霊素には溜まり易い場所がある。この地のように、集まった大量の霊素が光として目に見えるほどな」

 ファフニールは黒いローブの袖をまくった。しわがれた右腕には大きな裂傷があった。

「霊素は肉体を活性化させ、治癒を促進する。かつてあの忌々しい四聖の一柱――大蛇につけられた我の瑕も、今ではこうして大分落ち着いてきた」

「ファフニールとやら、お前は死なない兵隊というのを知っているか」

「それはアンデッドのことを言っているのか。我ら魔族の中でも特に卑小な種、あの生ける腐肉どものことを」

「いいや、違う」

 問いかけをアッシュはきっぱりと否定した。

「そうそう、あれって魔物とはなーーーんか違う気がすんだよね、あたしも。さっき実際に本物の魔物と戦って、すごいそう思ったわ」

「ならば我も知らん。不死と聞かされればアンデッドか、さもなくば大蛇をまず第一に考えるが、彼奴は碧狼(へきろう)や一角馬といった他の四聖らと同じく大戦で力を使い果たし、今の世にあっては存在そのものが消滅したと風の便りに聞くが……何故(なにゆえ)そのようなことを問う」

「この先そいつらと戦う可能性があるからだ、俺たちは」

「なるほど、骨を折っているというのだな。しかし無理もあるまい」

 ファフニールの白髭に覆われた口元が嘲笑うように歪んだ。

「森羅万象の創造主たるミュクサーヌが成した禁呪。それにより魔術は失われ、貴様たち人間の脆弱は甚だしいものになったのだからな。にもかかわらず大戦の後に到来した混沌の世をしぶとくも生き残り、あまつさえこの地上から魔族を駆逐しようとしただけでは飽き足らず、同族間の殺し合いまで続けるとは。まったく、これではミュクサーヌも浮かばれぬというものよ、なあ――」

 鳥よ。

 そう言ってファフニールはまたしてもアッシュを見据えた。

「さっきから何を言っている。鳥とは一体何のことだ」

「いずれ解る時が来る……ことはないか。どちらにせよ魔術は失われた。器として壊れてしまった以上、水は決して満ちることはなく、満ちないのであれば使えない。ただ、これだけは教えておいてやろう。貴様はそうした壊れた器の中でも特別だ。本来であれば微量ながら溜まるはずの水もすべからく吸い尽くされ、一滴たりとて残ってはいない。無論これから先も溜まることはない」

「おい、謎かけはよせ。質問に答える気がないのか」

 食い下がろうとするアッシュだったが、

「モウ行ケ。コレ以上ノ問答ハ不要ダ」

 ファフニールは元の翼竜の姿に戻ってしまった。

 取り付く島がないのを悟り、アッシュは心ならずも追及を断念した。

「奥ニ進メバ地上ヘト出ラレルダロウ。――アア、ソノ前ニ、ソコノ魔術ヲ内ニ宿シタ剣ヲ持ツ女、貴様ノ横ニアル岩ノ陰ヲ見テミロ」

「……あたいかい? 魔術を宿した剣ってのは、あたいの得物のことだろ」

「ソウダ。貴様ノソレトハ比較ニナラン安易ナ代物ダガ、多少ノ役ニハ立ツダロウ」

 言われるがままベアトリーチェは自身のすぐ真横の大岩の向こう側を覗き込み、そこに落ちていたいくつかの物品を皆の前に引きずり出した。

「久方ブリニ面白イ時ヲ過ゴセタ礼ダ。持ッテイケ」

 一振りの長剣と、左手一方のガントレット、そして古びた布袋の中には色とりどりの宝石が入っていた。

 ブロードソードを失ったばかりのアッシュが長剣を手に取る。

「相当な業物(わざもの)だな、これは。加えてこの感覚は……全身の筋肉が引き締まるような、妙な体感があるぞ」

「ソレハ我ヲ討チニ来タトカイウ旅ノ剣士ガ所持シテイタモノダ。奴ハ『バルザック』トソノ剣ヲ呼ンデイタガ、ソウカ、長イ年月ニ渡リ霊素ヲ浴ビタセイデ、ソノ女ノ物ホドデハナイニセヨ、魔力ヲ宿スニ至ッタカ」

 アッシュはガントレットにも腕を通してみた。指先から肘までをすっぽりと覆う、いかにも頑強そうな重手甲は軽量かつ強靭なベイドナ鉱で作られているらしく、これならバドゥトゥで手放してしまった円盾の代わりになりそうだった。

「きゃーーーー! 宝石よ、宝石! あたしの大大大好きな、ほ、お、せ、きっ! 王都に着いたら売ろっかな、それとも加工してアクセにしよっかな。ああん、レインちゃんときめいちゃうぅぅ!」

 レインは布袋を胸に抱いて転げまわった。よほど嬉しいのか、頬が緩み切ってだるだるである。

「欲深イ娘ヨ、貴様ガソレヲ如何ニシヨウト貴様ノ勝手ダガ、ユメユメ熟考シテカラ事ヲ成セ。魔石ハ巧ク使エバ必ズヤ貴様ラノ窮状ヲ救イ、マタ強大ナ敵ヲ滅ボス助ケニモナルハズダ」

「その話、詳しく聞かせてくれよ」

 ひょいとライに布袋を取り上げられてレインは怒り狂った。しかしベアトリーチェから「お黙りよ!」と一喝された上に平手で頭を張られると、急にしゅんとして大人しくなった。レインはベアトリーチェに滅法弱い。

「魔石トハ、ソノ男ニクレテヤッタ剣ト同ジク、濃密ナ霊素ニ長期間サラサレタコトデ魔力ヲ内包スルニ至ッタ宝玉ノコトヲ指ス。ドレ、試シニ一ツ使ッテミルガイイ。百聞ヨリ一見ダ」

 ライは頷き、袋の中から赤い宝石を摘み出して竜に示した。

「ヨシ、デハソノ宝玉ヲ、先刻ノ大岩ニブツケテミヨ。ソノ際、心中デ炎ガ燃エル様ヲ強ク思イ描クノヲ忘レルナ」

「炎が燃えるさま?」

 オウム返しに言いながらも、ライはごくあっけらかんと出された指示に従った。「こんな感じか?」

 やにわに火柱が上がった。

 深紅の宝石は岩にぶち当たるや砕け散り、灼熱の塊となって周囲の空間を焼き焦がしたのだった。

「解ッタカ、コウイウコトダ。魔石ハ即チ失ワレタ魔術ヲ今ノ世ニ顕現セシムル唯一ノ手段。他ニモ様々ナ効力ヲ有スル宝玉ガアル故――」

「ちょ、ちょっと待った、竜の爺ちゃん!」

「ドウカシタカ、小僧」

「どうもこうもねえってばよ! 火が出るなら出るって、初めに言っといてくれよ! じゃないとオイラ、オイラ」

 ライは地面に尻もちをついた(みじ)めな状態で、

「びっくりするじゃねえか! もうちょっとで漏らすとこだったぜ!」

「そうよそうよ! あたしなんてぶっちゃけ少しちびったんだからね!」

 レインと一緒になって非難轟々。なお、アッシュとベアトリーチェは彼らと違い、仰天というよりは感心している様子。

「ほら、他のも教えといてくれよ、どんな効果があんのか! ほら、ほらほら!」

「教えろってんだよ、ボケカスマヌケ!」

 散々な言われようだが、ファフニールは魔石の効果効能を一つ一つ、懇切丁寧に説明してくれた。

 そんなこんなで、十分後。

「なあ」

「あによ」

「よくよく考えてみりゃ、オイラたちすっげー体験したんじゃねえの?」

「うん、まあ、そうねぇ」

 一行は竜の住処(すみか)を後にし、再び暗い洞窟の中を進んでいた。

「でもよ、なんだか……」

「実感ないわよね、ドラゴンとか霊素とか」

 今の今まで夢の中にいたような、その夢から突然醒めたような――不思議な感覚だった。それでも彼ら全員の目蓋に焼き付く光の奔流と、何よりアッシュの左腕で銀灰(ぎんかい)に色づくガントレットや腰から提げた長剣が、すべては泡沫(うたかた)の幻などではなかったことをありありと物語っている。

「やれやれ、あたいも傭兵やってる時分は世界中色ンなとこに足を延ばしたもんだけど、さすがに竜だの霊素だのは初めての経験さね。とんだもんを拝ましてもらって、これだけでもあんたらにくっついて街を出てよかったって思うよ」

 そう言ってベアトリーチェは微笑する。ライも同じ気持ちだった。

「見ろ、出口だ」

 ほどなくアッシュが行く手に差すかすかな陽光を見て取った。傾斜が下から上へと転じていたことから、いよいよ脱出は近いと期待されていた矢先の出来事であった。

 四人の足取りは自然と速まる。

「ねえ、ここってほんとに王国領なんでしょうね」

「オイラに聞くなって」

 果たして抜け出た先は鬱蒼とした雑木林の中――地上に違いなかった。それなのに彼らの反応が今一つなのは、件の自然洞を一度でも訪れたことのある者が皆無なため、確認のしようがないからである。

「アッシュ、どうなんだい」

「間違いない。ここが俺たちが目指していた自然洞だ」

 アッシュが指で明示する方向に、建築途中の小さな山小屋がひっそりと佇んでいる。

「昨日話した調査部隊全滅の直後、洞窟の入り口に監視所を設ける計画が持ち上がった。繋がったかどうかは未確認でも、念のためというわけだな。つまりがあれがそ――」

 はたと発言を中断し、アッシュは目を見張った。

「マック…………か? お前は、第五小隊のマクドネル・イェーガー曹長だな。なぜこんな場所にいる」

 知り合いかと、咄嗟に剣を構えたベアトリーチェが訊くよりも前に、

「ちきしょうがぁぁぁぁぁぁ!!」

 相手は木々の隙間を縫って挑み掛かってきた。

 間一髪だった。

 アッシュがガントレットをかざして急襲をしのぎ切ると、両者はそのまま押し争いへと突入する。

「やっぱりなぁぁぁ、アッシュ・ザム伍長ぉぉぉぉ! 街では姿が見えなかったが、こんな場所で待ち伏せているなんてな! それもこれもすべてヤツの差し金か、差し金なんだろぉぉぉぉおおおおおおお!」

「落ち着け、マック! 話がまったく見えん! ヤツとは誰のことだ!」

「くそっ、くそくそくそ! 裏切り者め、俺を殺そうったってそうはいくかよ!」

「一体どうしたというんだ! その怪我は――クラスタで何かあったのか!」

 そうだろう。そうとしか思えない。

 中隊内では明るくひょうきんな人柄で多くの仲間に慕われているイェーガー曹長。

 けれど今の彼はまるで別人だ。

 常に気さくな笑みを絶やすことのなかった顔は恐怖と憎悪でねじくれ、全身のあらゆる箇所に剣傷を負い、矢が何本も突き刺さり、さながら血だるまの野獣と化したその姿にかつての面影は一切ない。

 相当な手練(てだ)れとしても知られるこの男をここまで追い詰め、そして豹変させてしまう事態などそうはあるまい。それこそ駐屯地が敵に攻め滅ぼされでもしない限り、絶対に(てい)し得ない異常極まる様相だ。

「詳細を、尋ねる必要がありそうだな」

 足払いが決まり、転倒したイェーガー曹長にアッシュはすかさず馬乗りになった。

「ライ、ドラゴンから入手した魔石の中に治癒能力を有するものがあったはずだ。こっちに頼む」

 ライがいそいそと布袋の中身を(あらた)めるのを見届け、瀕死の戦友に向き合う。

「待っていろ。すぐ楽にしてやる」

「アッシュ……お前……は」

「話なら後でゆっくり聞こう。死にたくなければ、今は黙っていることだ」

 彼が暴れないよう地面に両手を押し付けたままアッシュが言う。

「い……や……だま……され……」

「おい、喋るな。本当に死ぬぞ」

「う……うぉあ……ああ、あああああ、ああああああッシュ・ザムぅぅぅあああああぁぁぁぁああああああ!!」

 慮外(りょがい)の狂乱に驚く間もなく、アッシュは薙ぎ倒された。すさまじいまでの膂力(りりょく)は即ち手負いの生物特有の瞬間的な発奮(はっぷん)によるものであった。

「お見通しだぞ、アッシュ・ザム。お前はそうやって俺を助けるふりをして、この林の奥で宿営する他の仲間たちも襲う気だろう」

 ごぼごぼと血の泡を吹きながら、イェーガー曹長は「騙されてたまるか!」と絶叫した。

「だってなぁぁ、そうだよなぁぁ、お前は部下だもんなぁぁぁ! 仲間を裏切って帝国に寝返り、今現在も陥落したクラスタを占拠しているヤツの…………ルドラー・オルフェンのよぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーーーー!!」


「えっ――」

「ルドラー、だと?」


 愕然とするレインとアッシュを揶揄するかのように、マクドネル・イェーガーはさも可笑しげにけたけたと嗤うと、直後に血を吐いて死んだ。



 エピソード3 了


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