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4.


あれから数日間、アンリはアディーのいる劇場に通うようになり、誰もいない時にふわりと姿を現すようになった。

 初めて会った時は驚いていたアディーだが元々順応性が高いのか、アンリの死神らしくない雰囲気が幸いしたのか、たった数日でアンリに慣れてしまったようで、今日もやや冷たい風を纏いながら姿を現した死神ににっこりと笑顔を見せた。

「こんにちは、アンリ」

 愛らしい笑顔を向けてきたアディーに、バラの蔦の絡みつく大きな死神の鎌を手にしたアンリもまたその美貌を掠めさせてしまうほどにあどけない微笑を浮かべた。

「こんにちはぁ。今日も練習してたの?」

 ふわりふわりとどこまでも自由なアンリが音もなく足を運び、アディーを見下ろすように見て笑う。

「そうだけど、でもまだ全然だめ……」

 にこやかな笑顔を見せてはいるものの、アディーは少しばかり暗い声でそう言って自分で呆れたように笑った。

「そっか」

 アンリはあえてそれを追及しないまま、短く声を返す。それにふとアディーが視線をアンリへと持ち上げて、間近に見える死神の青紫の瞳を見つめた。

「アンリは、歌えるの?」

「……へ?」

 いきなり問われたことにアンリの目が丸くなり、そして若干困ったように泳ぎ始めた。

「そんな顔するってことは、歌えるのよね?」

「歌えない……ことはないけど」

「ないけど、なに?」

 いつも朗らかな死神にしては珍しいくらいに声に張りがなくなってしまって、そのまま視線を自分の足元に落とした。引きずるくらい長いローブのために足先は見えないが、明らかにアンリが困ってしまっているのか、そこから視界をさえぎるように更に頭を俯けた。

 アディーは何か嫌なことでも言ったのだろうかと思いつつ、アンリのフードで覆われた中にさらりと零れる黒に近い青の髪の毛をぼんやりと眺めた。

 しばらく何も言わなかったアンリだが、そのうち小さくため息をつくと、顔を上げてアディーを見た。その瞳には隠しきれないほどの動揺が滲んでいる。

「歌えるけど、好きじゃないの」

「……歌うことが? どうして?」

「褒めてくれたから」

「……どういうこと?」

 アンリの言った言葉の意味がまったく分からず、アディーが思わずといったように怪訝な顔つきになった。褒めてもらえてどうして歌うことが嫌いなのか、普通の感覚で言えばそれはとてもじゃないが嫌いになる理由ではない。誰もが褒めてもらえれば嬉しいのではないのかとアディーは思うが、今目の前で頼りなげな視線を何とかアディーに止めているアンリは明らかにそうではなさそうだ。

「歌ったら、母様が褒めてくれたの。でもね、母様のことは、僕にとってあんまり良い思い出じゃないんだ。だから……歌うことは好きじゃない」

 震えてしまいそうな声を必死で我慢して、アンリは答えた。それは幼子のように揺らめき、そしていつもののんびりとした雰囲気をどこかに吹き飛ばしてしまったかのように、アンリの印象を変えていた。泣き出してしまうのではないかと言うほどに、天上の宝石のように美しい瞳が潤みを帯びている様子に、アディーはそれ以上聞けなくなってしまった。

 どのくらい沈黙が二人を包んでいたのか分からないほどに時間が過ぎた頃、アディーがまたふと口を開いた。

「私もね、お母さん苦手だったんだ」

「……苦手?」

「うん。私とは血のつながりのないお母さんだったから余計かもしれないけどね。優しかったんだけど、でも私の一番深いところまでは来てくれなかった。どこかで線を引かれているように、いつも感じてたの。子供の頃は好きになってほしくて、可愛がってもらいたくて必死だったけど、大きくなってしまうと、そんなことばかりに眼を向けてなくてもっと自由になりたいと思うようになった。だから好きな歌を生きていく方法に選んだの」

 長身のアンリを見上げてアディーは笑った。長い睫毛に彩られた愛らしい瞳がふんわりと笑みの形に変わるのが、アンリには綺麗に見えて、そしてどこか悲しそうにも見えた。

「お母さんとお父さんは、今こうしてアディーが頑張ってることは知ってるの?」

「うん? ……そうね。楽しみにしてくれてたわ」

 アディーの瞳の中に暗いものが一瞬して吹き上がり、揺らめいた。

「じゃあ今度は、頑張らないとね」

 アンリがそっと アディーの照明を受けて煌く金色の髪をふわりと撫でた。ほっそりとした死神の手が髪をするりと滑ると、アディーがくすぐったそうに笑った。

「アンリって、死神らしくないよね」

「そう、かな?」

 髪を撫でてくるアンリを、アディーがおかしそうに見上げて楽しげに笑うのが、アンリにはまぶしく見える。どこまでも純粋な笑顔を向けられた死神の顔も、楽しそうに笑みの形に変わった。

「なんだかのんきだし、それにすごく優しいもの。話に聞く死神ってもっと怖いし気味が悪いものだと思ってたわ」

「気味が悪いって……そんなことないよ?まぁ、のんきだとはよく言われるけどさ」

 やや不満げに言うアンリの顔が子供のように見えて、アディーがますます声を抑えながら笑った。

 こうしてみると本当に普通なんだよなぁ。この子。でも、歌うとまた声が変わって雰囲気も変わるのが不思議。

 アンリは目の前で笑っているアディーをニコニコしながら眺め下ろした。頭の中にはいつの間にかまた、喝采を受けて歌声を披露するアディーを想像しながら。

 そのうちアディーがまた練習を再開し始め、アンリは邪魔をしないように劇場を後にした。

 帰り際。アディーがアンリになぜここにやってきたのかと問いかけた。そもそも死神がそこらじゅうに実はいるのかといったことを聞かれたことがきっかけだったのだが。

 アンリはあまりはっきりと本当のことを言えなかったので、仕事だよとだけ答えた。この街で大量の死者が出るなんてことは、住んでいるアディーに言えば気を悪くするかもしれない。それに、アディーがその死者の中に入っているわけでもないのだから、とアンリは思っていた。

 しかしアンリの仕事は死に行く魂の回収。それを知っているアディーは、誰かが死んでしまうことを少しだけ悼んだような表情を見せた。

 それから、ふと笑って、

「私が死ぬときは、アンリが迎えに来てくれる?」

 と冗談っぽく笑った。

「僕が迎えに来るのなら、契約してもらわないとだめなんだよ。今度する?」

 冗談めかしたアディーの言葉に、アンリもまた冗談っぽく答えて、互いに笑顔で「また明日ね」

 と、声を交わした。

 


 外はまだ日が高く、アンリが町を見下ろすように空に姿を現して、陽射しの強さに目を眇めた。

 他の人間たちには、アンリのその姿は見えない。結界を張っているアンリがふわりと漆黒のローブを風に躍らせて、長い睫毛を伏せがちにした宝石のように綺麗な瞳をじっと街に注いだ。

「今夜……だっけか」

 今夜。

 起こることを考えながら、顔色に似合わない妙に血色の良い唇から言葉がポツリと零れた。

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