推しに会うため自分改造はじめました
28歳の彼氏がいたことのない会社員の木内奏。5年前からアプリゲームキャラの推しに夢中で、給料のほとんどを推し活に使っている。
「……嘘、嘘! やったー!」
そんな彼女にゲームのランキングイベントで見事10位までに入り、推しキャラ担当の声優さんに生で会って特別ボイスメッセージとツーショットを貰えることになった。
「特別招待イベントに行けるー!」
彼氏も友達もおらず、家族とも疎遠だった奏は、何となく始めたゲームをやり始めていくうちにゲームストーリーにハマり、その登場人物の仲間たちにも惹かれる様になった。
特に一見悪役に見える義賊ルシアスに心を奪われ、彼のイベントはすべて制覇し、コスチュームからボイス集もコンプし続け、グッズが出れば即購入していた。
「ルシアス様の生声が聞ける―!」
部屋中にハートをまき散らして有頂天に喜ぶ奏だったが、招待イベントの詳細をチェックするためSNSを見た時、思わず固まった。過去のイベントの様子ではファンのみんなは可愛い格好にメイクもばっちり。声優さんたちもキャラに負けないイケメンぞろいという華やかな世界。
「あ……」
はたと自分の姿を見る。バイト時代に買ったどこかの土産店で買ったTシャツに6年着潰した色あせたズボン。かろうじて化粧水と日焼け止めしかしなかったメイク知らずの顔。奇麗なのは美容院に行った当日だけの、普段は雑草みたいな毛が頭のてっぺんから生えている伸びた髪。
「そ、そうだ! 服は……」
慌ててクローゼットを見ても余所行きの服はない。会社用のブラウスとスーツパンツに、大学時代のジャージ、よれTとGパン。そしてゲームのロゴが入ったパーカー。あんなキラキラなSNSを見てしまっては、この服装で行くのは戦地に鍋蓋とごぼうを持って行くのと同じ。しかも推しの声優に会うということは、推し本人に会うようなものなのに、こんなひどい状態で出向くのは無礼千万。
慌てて動画で初心者向けのメイクを倍速で見始める。
「下地から乳液、ファンデーションにマスカラ、アイメイク、チークに……え! メイクってこんなにあるの!? っていうかまだあるの!?」
メモを取りながら血眼になって動画を何度も見る。
「駄目だわ。まずは化粧品を買わないと……いや、それとも眉だけでも整えておく?」
必死にネットで検索して眉の整え方を調べる。こんな時にアニメや漫画だと頼れる親友や仲間がいるが、生憎奏にはそんな者はおらず、会社のお昼も一人でもそもそと食べているのが現状だ。
「イベントまで1カ月……なんとか、なんとかするんだ!」
そうして奏の戦いは始まった。
会社で仕事中、なんとなく周囲を見渡す。今まであまり意識してなかったけれど、みんなしっかりメイクしている。あんなに顔に塗る工程があるのに朝から凄すぎる、と奏はため息をついた。
自分は深夜までゲームして朝はぎりぎりに起きて化粧水と日焼け止めを塗って眉を少し書いたらおしまいだ。頭のアホ毛も酷くなければほっといた。しかし……
「アホ毛の人なんていない……」
先輩も後輩も同僚も、髪はつやつや。ましてや頭に雑草のような髪が生えている女性なんていない。眉もみんな奇麗に整えて細い。服装も多少カジュアルではあるが、オシャレだった。
仕事が終わり、電車から外を眺める。イルミネーションされた街並みが眩しい。その時、スマホの通知が来て画面を見る。ゲームの運営会社からの正式な招待通知だった。その日の流れや日時と会場場所、ルール事項の文面が流れる。そして最後に、あなたの推しからのメッセージです、の文字が。
『君に会えるのを待ってる。どんな君も大好きだから、当日は楽しもうな』
「う! ……きっ」
思わず叫びそうになるのをぐっとこらえて俯く。
奏は目をカッと見開き、普段は絶対開かない美容サロンのサイトを開いた。
週末。奏は会社用のブラウスと色あせたズボンを履いて、顔面蒼白になりながら繁華街の美容室に入った。
「いらっしゃいませ」
出迎えた美容師が微笑んでソファをすすめてくる。奏にとってその店員の笑顔は眩しく、自分はその輝きに塵になる錯覚を起こしていた。
「本日はどのような感じにします?」
「は!? え、えっと、あの! 『似合うイメージが分からないので骨格や髪質を見て提案してもらえますか?』っ」
奏は早口に決めていたセリフを顔をこわばらせながら告げた。ネットで色々調べた結果、自分のいいイメージが分からない時はこの言葉を使えばいいと学んだのだ。
「分かりました。では普段用にまとめますか? どちらかお出かけ用に形を作りますか?」
「あ、推しに会うためにっ、いえ、その」
奏が口ごもると美容師はくすっと笑って髪を丁寧にチェックした。
「素敵ですねぇ。私も推しがいるから分かります。じゃあ清楚で華やかにカットしますね。髪色はそのままにしますか?」
「お、お任せします……」
そうして数時間後、鏡の前には芋みたいな自分はおらず、奇麗にまとまった髪に眉もカットされた自分がいた。
「うわ……ありがとうございます」
思わず呟いた言葉に美容師が明るく笑って「大変身しましたね」と後ろから鏡を広げた。
「家でシャンプーなどしたらタオルで乾かした後ヘアオイルをなじませてください。そして出掛ける時は仕上げにヘアスティック・ポイントブラシを使って下さい。アホ毛がなくなりますよ」
「すいません、基本的なことまで教えてもらって」
「いえいえ。オシャレを楽しんでください」
美容師に見送られ通りに出ると、次はデパートのコスメコーナーに行った。
「どこに入ればいいんだろう……」
見渡す限りブランドエリアの海。どのブランドも個性的で自分に合うものがよく分からない。
「でも今、髪をセットしてもらった状態で合う化粧品を決めないと」
恐る恐る化粧品売り場に足を踏み入れる。
「お客様、何かお探しですか?」
「ひっ」
清潔感がありながら華やかな店員に声を掛けられ固まる。
「お探しの商品がありましたらご紹介しますが、いかがでしょうか」
「あ、えっと、あの、初めてメイクするのですが、どれを選べばいいのか分からなくて……」
顔を赤らめながら正直に答えると、店員は柔らかく微笑んで奥のドレッサーに案内した。
「初めてということは、ファンデーションやリップなどをお求めですか?」
「ぜ、全部! あの、一式下さい!」
大きな鏡に縁どられたライトに照らされながら答えて、はたと気付く。普段だと気付かなかったが、自分の眼もとにうっすらそばかすが浮かんでいたのだ。
「うわ! 染み!」
恥ずかしくて思わず両手で隠すと、店員の女性は化粧品をそろえながら首を振った。
「お客様の肌は十分に奇麗ですよ。ではスキンケアから始めますね」
店員の女性は丁寧に化粧品の説明をしながら奏にメイクを施していく。カットしたばかりの眉もより立体的にし、肌は透明感を残しつつも華やかにした。リップは強い主張をせず控えめ且つ春を連想させる薄紅色に染め、目元は明るく優し気に。
少し長い時間が過ぎた頃、奏は出来上がった自分の顔に驚いた。店員の腕がいいのもあるのだろうが、自分が全く別人になった気がして、固まってしまった。
「いかがでしょうか? 流行りも少し取り入れて、なるべく基本のメイクだけで仕上げてみました」
「す、すごいです……自分じゃないみたい」
それから奏は化粧品一式を購入し、化粧品の箱にも使う順番の数字を振ってもらった。
「ありがとうございました」
奏は頭を下げる店員に会釈をしながらコスメコーナーを後にした。
「次は洋服だよね」
買ったばかりのコスメの紙袋を持ちながら、様々な洋服店のジャングルに目を奪われながら歩いていく。
「なるべく目立たないで変じゃないやつ……」
そう思って服を探すものの、ピンとくるものがなくて奏は近くのベンチに腰を下ろした。
「オシャレって難しい……」
疲れて道行く人を眺めていた時、人の波間にちらりと見えるショーウィンドウが目に入った。そこには柔らかなワンピースが飾られていて、胸元は控えめな黒の縁取りにスカートには大輪の花の刺繍がされて、モノトーンなのにとても惹かれるものがあった。
奏はもっとよく見たいと無意識のうちにショーウィンドウの前に立っていた。
「きれい……」
「そのワンピース素敵ですよねぇ」
ハッとして顔を横へ向けると販売員の女の子が愛想よく立っていた。
「もうそれは残り一つなんですよ。よろしければご試着だけでもいかがですか?」
「え!」
本当は着るつもりなんてなかったのだが、残り一つという言葉に「結構です」の言葉が飲み込まれる。
「でも似合わないかも……」
「大丈夫です! まずは着てみて決めてください。イメージと違うかもしれませんよ」
やや強引な彼女に連れられてワンピースと共に試着室へ向かう。そしてあっという間にカーテンを閉められてしまった。
「まぁ、着るだけならタダだし……」
奏は思い切って着替えた。
そして試着を終えて鏡で見ると、ため息をついた。鏡の中の自分は肩が主張してワンピースの柔らかさが半減し、首元も少し窮屈に映る。裾も少し長く映った。
「お客様いかがですかー?」
外からの声にカーテンをそっと開けた。
「やっぱり私には似合わないみたいです……」
恥をかいたと俯いていると、販売員の女の子はふむと顎に手を当てて「少々お待ちください」と言って店の中を駆け巡り始めた。
「お客様、こちらのアウターとブーツをどうぞ」
奏は言われるがまま水色のアウターを羽織り、やや厚底のブーツを履いた。
「鏡をご覧になってください」
販売員の弾む声に鏡を見ると、さっきの浮いた雰囲気とは違う、自分になじんだワンピース姿がそこにあった。
「さっき変だったのに!」
「服は合わせ方でどんな着方も出来ますからね! お似合いですよ!」
嬉しくなって思わず微笑む。これなら推しと並んでも恥ずかしくない。
「ありがとうございます!」
見違えた自分の姿に興奮しながら会計を済ませ、奏は店の表に出ていく。
そして招待イベントの日まで服を大切にしまい、メイクの腕を磨いて髪の手入れを入念に行った。
「木内さん、最近変わったよね」
会社でも密かに噂になり、様々な人が奏をちらりと見ていた。奏は服装は以前と変わらないが、会社に行く前でも練習を兼ねてメイクを行い、髪のセットも欠かさなかった。休日は動画でメイクのテクニックを学び、気に入ったイヤリングとネックレスも買っていた。
「この四つ葉のクローバーのネックレス、ルシアス様のモチーフと同じ! イヤリングもルシアス様がしているピアスと似てるし……買って良かった!」
一人にやにやしていると先輩が背後に立った。
「木内、書類まとまったか?」
低く鋭い声が聞こえ、七三分けの頭がモニター越しに動いたのが見える。
「あ! はい。まとまりました。資料画像もそろえています」
「じゃあデータ送ってくれよ」
「はい」
奏は気を引き締めてパソコンを見つめてキーボードを打った。
終業時間になり、帰り支度を始める。
「早く電車で今日のイベントノルマ達成しないと……」
いそいそと席を立った時、先輩の野島が近寄った。
「木内、ちょっと良いか?」
「え? あ、はい」
なんだろうと立ち止まると、野島は眼鏡を直しながらチケットを差し出してきた。
「これいらないか? 俺は行けなくて、代わりに行けるやつを探していたんだが」
チケットは今流行りの映画チケットだった。日付を見るとちょうど招待イベントの日だった。
「ありがたいですがこの日は予定があって行けないんです。すいません」
「そうか。分かった」
野島はそれ以上何も言わず立ち去っていった。
奏は人を寄せ付けない雰囲気を持つ野島が映画チケットを譲ろうとしたことに少なからず驚きはしたものの、すぐさま推しのことで頭はいっぱいになり、帰路に就いた。
そして招待イベント当日。奏は緊張と高揚で、にやつくのを抑えたり、汗をかかないよう冷やしたタオルを握りしめたりと忙しかった。
そして高層ビルの会場に入ると、本人確認の手続きを行い、他9名のファンたちと並んで席に座った。
「今回の推し総選挙イベントの上位入賞、おめでとうございます!」
司会者の人たちが言うとスタッフたちが拍手を送った。
「今から特別ストーリー映像を流しますので、どうぞご覧ください」
会場が暗くなり、この日だけの特別アニメーションが流される。推しが登場した時には胸が高鳴り、ゲーム内では見られない長いムービーがボイス付きで流される至福の時間。奏は嬉し涙を流しながら叫びたくなるのをこらえて見つめていた。
やがて映像は終わりを迎え、惜しみない拍手と共に会場が再び明るくなる。
「それでは皆様。キャラクター達の声優の方からメッセージをどうぞ」
司会者が壇上を差すと、担当のキャラクターに扮した声優が登場する。
「こんにちは、ウォーイングを担当しています宮下です。皆さんようこそ」
「リチャードを担当しています土方です。元気でしたか?」
次々に声優が名乗っていくと、いつも夢に見た推しの姿をした声優が現れた。
「ルシアスを担当しています、大倉です。お会いできて嬉しいです」
(ルシアス様ーーーーーーーーーー!)
透き通る穏やかな声に奏は心の中で絶叫した。もちろんルシアスはゲームのキャラクターで日本人ではないが、メイクスタッフや声優本人たちの努力の賜物で、髪型や髪色をキャラクターに寄せた姿をしていた。
「では皆さま、時間内に声優の皆さま達との写真撮影をどうぞ」
みんな緊張しながら声優たちに近寄り、写真撮影と少しの会話を楽しみ始めた。
奏は高鳴る胸を押さえてルシアスに扮した大倉へ向かった。
「あ、あの、私、ずっと、初めてゲームをした頃からルシアス様のファンでした。写真宜しいですか?」
「もちろんです。何か欲しいセリフや言葉はありますか?」
「私、奏と言います。私の名前を言って頂けますか?」
頬が紅潮するのを感じながら彼へ告げると、大倉は微笑んで口を動かした。
「会いたかったよ、奏」
その声はゲームの中で何度も耳にした推しの柔らかい声だった。奏は嬉し涙で視界が潤むと何度も「ありがとうございます」と繰り返した。
「ほら泣くなよ。いつもお疲れ、奏……今のどうでした?」
いきなりのアドリブに奏は激しく頷いた。
「もう最高です! ありがとうございます!」
二人で笑いあっているとスタッフから「そろそろ撮影お願いします」と促され、慌てて涙を拭いて写真撮影の為に身だしなみを直す。その時大倉が一瞬目元に手をやってすぐさま下ろし腰に手を当てる。
(何かの癖かな?)
何気なく思いつつも、すぐにカメラのほうに顔を向けて精一杯笑った。
そして交流会も終わり、スタッフから特別プレゼントをもらうと夢見心地で会場を後にした。
家に着くと撮った写真を見返してカーペットにのたうち回った。そして特別ボイスを聞き返してはリピートするを繰り返す。
「もう本当に最高! 嬉しすぎるー!」
写真を掲げてまじまじと見つめると、義賊ルシアスの格好をした大倉を眺める。腕や胸元の露出が多いが、ほどよく筋肉質で目を引いた。首筋の黒い鷹のタトゥーも細かく再現されて胸が高鳴る。
「もう家宝にするっ!」
奏は言ってすぐに額縁フレームを注文した。
休み明け、出勤しても奏は未だ推しとのひと時の余韻を忘れられずにいた。
「がんばって推しイベントの為に貯金していたお金を課金しただけあったなぁ」
しみじみと思いながらスマホケースに忍ばせた推しのカードを眺める。
「よし! これで仕事頑張れる! 次のイベントに向けて節約生活しなきゃ」
また次のイベントの推し活の為にも節約して資金を溜めなければならないのもあったが、あの写真の時のようにいつでも推しの横に並べる自分でいたいと思っていた。
「今度はルシアス様が好きな緑の色の服を買ってみようかな」
「木内はそれが好きなのか?」
突然の低い声に飛び上がるとすぐ横に先輩の野島が立っていた。
「あ、おはようございます。野島さん」
さっとスマホを隠すと作り笑いをした。
「まぁ……推しなんです。いい歳して恥ずかしいですよね、ははは……」
気まずそうに言いながらそそくさとデスクに向き直る。
「別に良いんじゃないか。推しがいるって大事だろ」
「え……」
野島は眼鏡を触ると、きびきびした動きで自分の席へ座った。奏が顔を上げるとモニター越しに七三分けの頭が見える。
「意外……下らないとか言われるかと思った……」
小さく呟いてキーボードに手を置くと、カタカタと指を動かす。
「……木内」
「はい!」
朝から何かやらかしたかと顔を上げると、野島は顔を上げずに資料をめくっていた。
「今度その推しの良いところを教えてくれ」
「え?」
「それのどこがそんなに良いのか気になったんだ。今度時間があるとき教えてくれ」
「あ、はい……分かりました」
堅物の野島がゲームに興味があるとは到底思えなかったが、奏は少し嬉しく思って頷いた。
(とっつきにくい先輩とも仲良くなれるかもしれないなんて、ルシアス様の魅力はすごい!)
一人ニマニマしている奏をモニター越しに見ながら、野島はため息をついた。
「普段もあの時くらいの服装していたら良いのにな……」
鷹のタトゥーが消えた首筋をさする彼の小さな呟きは誰にも聞こえなかった。




