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起こさない朝

この話は、

誰かの恋が始まったあとに残された、

静かな日常の記録です。



目覚まし時計をかけなくなったのは、社会人になってからだ。


起こす相手がいなくなったから、という理由に気づくまで、少し時間がかかった。


朝六時。

窓の外はまだ白く、カーテン越しの光が部屋をぼんやり照らしている。


制服も、ネクタイも、

誰かのシャツを整える役目も、もうない。


私は一人で起きて、

一人でコーヒーを淹れて、

一人で今日を始める。


まだ、卒業式の名残が身体に残っているせいか、

目覚ましがなくても朝は早く目が覚める。


本当は、もうそんな必要はない。

起こす役目から、私はとっくに降りたというのに。


ベッドの中でしばらく天井を見つめてから、

ゆっくりと身体を起こす。


夢咲が寝ぼけた声で名前を呼ぶことも、

シャツのボタンを留めながら小言を言うことも、

もう、私の朝にはない。


それでも、

「起きなきゃ」と思ってしまう癖だけが、

取り残されたままだ。


役目を終えたはずなのに、

身体だけが、まだそれを覚えている。


私の日常は、

メイクもせず、日焼け止めだけで成り立っていた生活ではなくなった。


鏡の前に立ち、

口紅を引いて、

少しだけ背筋を伸ばす。


それは誰かに見せるためじゃない。

学生だった頃の自分から、

きちんと線を引くための時間だ。


キリッとした大人になる準備をしないと、

私はきっと、

まだ同じ朝に戻ってしまう。


だから、今日も口紅を引く。

似合っているかどうかは、正直わからない。


それでも、

これは「私の朝」だ。


朝早く起きてしまうからか、

朝食ものんびりと食べられてしまう。


私らしいな、と一人で少し笑って、

玄関を出た。


電車に乗り、

いつもの位置に立つ。


ふと、スマホに視線を落とす。


当然、通知なんて来ていない。

来ているとしたら、

仕事の内容くらいだ。


それでいい。


そう思っているはずなのに、

画面を閉じる指が、

ほんの少しだけ、ためらった。


改札を抜けたところで、

スマホが震える。


仕事だ。


社会人一年目。

新人が電話を取らされるのは、

もう当たり前になりつつある。


名乗り方を思い出しながら、

少しだけ背筋を伸ばして応対する。


出社してすぐ、

トイレの掃除を任される。


誰かの後始末をする役目は、

まだ、ここでも続いているらしい。


それでも、

以前とは少し違う。


「おはようございます」と挨拶をして、

掃除道具を片付けて、

朝の朝礼へ向かう。


名前を呼ばれる。


夏目。


それだけで、

私はもう、誰かの先輩でも、

誰かの目覚ましでもないのだと知る。


私は今日も、

起こさない朝の続きを生きている。


読んでくださって、ありがとうございました。

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