五章 私は見たのです、王妃が墓場で人を食らっているのを。(1)
「じゃあ、エリサは無事だったんだね」
フェランは嬉しそうにため息をもらした。
「よかった……」
エリサの行方がわからなかいあいだ、フェランはずっと心配していて、食事も喉を通らなかったのだ。
昼間、白鳥の姿をしているときはエリサを探してずっと空を飛び続け、強い嵐の日も無茶をして飛んだものだから、風に吹き飛ばされて建物に叩きつけられ羽を折ってしまった。
それで、しばらくはおとなしくしているよう兄弟たちから厳命されていたのだ。
本当はユリウスの代わりに、自分がエリサに会いに行きたかった。
もちろん怪我以前の問題で、兄弟たちは止めただろうが。
フェランは容姿だけならユリウスに劣らない美青年だが、中身は恐ろしくドジであがり症で、普段からぼーっとしている。そんなフェランに、芸人のふりをして舞踏会に忍び込むなんてことができるわけがない。
こういうことは、いつもラスターかバートラディの役目だったが、ユリウスなら竪琴弾きとして怪しまれずに城に入れるだろうということで、白羽の矢が立ったのだ。
「本当によかった」
フェランはもう一度、しみじみとつぶやいた。
「どこがいいんだよ! フェランの大間抜け!」
双子のサティがいきなり怒鳴りつけた。
続いてアディもわめく。
「ハドリーク王の妃がエリサだってことは、エリサはハドリーク王と結婚しちゃったってことなんだぞ! おまえ、エリサが好きなくせに、それでいいのかよ!」
「でも……元気そうだったって……」
「だ──っ、そういう気の弱さだから、エリサに気づいてもらえなかったんだぞ! しっかりしろよ、フェラン!」
この綺麗でぼーっとした従兄がエリサと結ばれるのを、普段はあんなに反対して邪魔しているくせに、双子は真剣に怒っている。
また今度は小悪魔のミルトが目に涙をにじませた。
「ど、どうしたんだ?」
毒舌で生意気な弟が涙を浮かべるなどはじめてのことで、フェランはドキドキした。
他の兄弟たちも、みんな驚いている。
「エリサが誰かの奥方になるなんてやだ……っ。フェランならいいけど、他の男と結婚するなんて許せないよっ」
双子もつられて涙ぐむ。
「そうだよ、おれたちだってやだよ」
「フェランと結婚してもいいよ。ヘルマンならもっといいし、バートでもエニセイでも悔しいけど我慢する。おれたちは本当の弟だから結婚はできないし……。でも、従兄の誰かがエリサを奥方にすればいいと思ってた。そしたらおれたちみんな、ずっと一緒にいられるってバートが言っただろう? おれたちがイイ男になったら、エリサと二度と離れなくてもいいって。おれたちがもっともっと頑張って強くなったら、エリサを取り戻せるのか!? って──なにがおかしいんだよ! ユーリ!」
べそをかく弟たちを見て、ユリウスが笑っている。
「子供だな」
と、愛情をこめて、彼は言った。
「可愛いよ、きみたちは」
「なんだよっ!」
双子もミルトも、ユリウスを睨みつけた。
ラスターがたしなめる。
「おいユーリ、あまり刺激するな。おれだってショックだぞ。誰だって心の中じゃ、エリサがバートたちのうちの誰かとくっつきゃいいと思ってたはずなんだからさ」
「ほぉ、きみまでそんなことを言うとは意外だったね。まぁ、気持ちはわからなくはない」
女好きで遊び人のラスターも、エリサは『特別』なのだ。
無口なヘルマン、毒舌家のミルト、その他ユリウスを含む兄弟、従兄弟たち全員にとってのエリサがそうであるように──。
兄弟たちを安心させるため、ユリウスは言った。
「エリサはまだ、ハドリーク王の妻にはなっていないよ」
「なんだって? でも王妃になった口のきけない娘はエリサだったって、さっき──」
「言ったよ。確かにハドリーク王の妃は、私たちの大切な妹だったけれど、まだ本当の妃にはなっていない」
ラスターが顔をしかめる。
「それって、つまり……」
「エリサはまだ乙女だ。舞踏会のあいだ、二人の様子を見ていて、なんとなく……ね。仲良く見せてはいたけれど、まだ夫婦になってはいないなと……勘にすぎないけど」
数多くの浮名を流してきた恋の手練れの言葉には、じゅうぶんな重みがあった。
長男でまとめ役のジークハルトが、考え込みながら言う。
「エリサが王妃を演じているだけだとしたら、どういう事情があるんだろう」
謎があまりに多すぎた。
そもそも、なぜエリサは突然口を閉ざしてしまったのか?
ある日彼らが洞窟に戻ると、エリサは大量の緑の草を素足で踏みしだいていた。
草は洞窟の外に生えている刺草で、表面に細かい棘がびっしりついた葉っぱを踏みつけるエリサの足は血まみれだった。
「なにをしてるんだ、やめなさい!」
つかんだ手もまた、擦り傷だらけだ。
エリサは兄たちの言うことをきかず、葉っぱから細い糸をとり、それを全部とりおえると、長袖の肌着を一心不乱に編みはじめた。
兄弟たちは、エリサがおかしくなってしまったのかと思った。
「きっとアガーテ王妃が、エリサにも悪い魔法をかけたんだ」
アディはそう主張した。
確かに、なにか悪い力が働いているとしか思えなかった。
心配する兄たちに、エリサは身振りや表情で、わたしは大丈夫よ、と告げた。
口をきかないことと、奇妙な編み物をのぞけば、エリサは今までどおりのエリサで、その目は邪悪なものに汚されずに澄んでいたし、笑顔も明るかった。
では、エリサは、自分の意志で口を閉ざしているのだ。
兄弟たちは、ますます困惑した。
一体なぜ?
エリサが手足を傷だらけにして編んでいる肌着は、なにに使うものなのか?
そのうち今度はエリサの姿が洞窟から消え、そのまま行方がわからなくなってしまった。
兄弟たちはフェランをはじめとし、必死でエリサの居場所を探したが、さっぱり手がかりがつかめずにいた。
エリサがいなくなってから一週間ほどあと、洞窟から刺草の山と、まとめてたばねてあった糸、編み上がっていた肌着が、そっくりなくなっていた。
その日は誰も洞窟に残っていなかったので、エリサが肌着をとりに戻ってきたのか、それとも別の誰かが持っていったのか、やっぱりわからなかった。
エリサが自分たちに、なにも知らせずにいなくなることは、ありえない。
となると、やはりなにか事件に巻き込まれたのか、誰かにさらわれたのか?
兄弟たちの苦悩は続いた。
エリサの行方を探すうち、国王の花嫁の噂が耳に入った。
国王が結婚したのはふた月以上も前だだという。
なのになぜか王妃の姿も素性もあきらかにされておらず、『たいそう美しいかただそうだ』という噂だけが、ひっそりとささやかれていた。
それがいっき広まったのは、式典の二日目に、狩りで起こった事件のためだった。
薬草つみや金貨拾いを楽しむ人たちの前に、白い熊が現れ、王妃を襲ったのだ。
国王は王妃を守って勇敢に戦い、王妃は熊を不思議な力でおとなしくさせたという。
金貨を拾いに集まっていた農民たちも、会場を囲む幕が破れたため、王妃が熊を手なずける様子を見ていた。
──あの凶暴な白熊が、お妃さまに見つめられて、ぴたりと動かなくなっちまった。
──それはもう美しいかたで、まさに女神さ! あれでお口がきけないのは残念なことだよ。しゃべれたら、きっと綺麗な声だろうに。
──バカ、そこがまた神秘的なんじゃないか。
彼らの話す“王妃“は、兄弟たちの妹を思わせた。
まさかエリサが王妃に!
真相を確かめるため、ユリウスが舞踏会にまぎれこんだわけである。
結果、金の百合と呼ばれる王妃こそエリサであると判明したが、疑問はますます増えるばかりだった。
「エリサを取り返そう!」
アディが叫んだ。
「きっとハドリーク王が、無理やりエリサを王妃にしたんだ! エリサを助けてやらなきゃ」
「エリサが囚われの身にあるというならそうしたいが……どんな様子だった? ユーリ? エリサと話せたのか?」
ジークハルトに問われて、ユリウスは軽い息を吐いた。
「いや、ハドリーク王がずっとつきっきりで近寄れなかった。ただ、無理やり言うことをきかされているというのは、少し違う気がする。エリサはわたしを見て、とても困惑していた。助けようとしても、拒むかもしれない」
「だってエリサと国王は、本当の夫婦じゃないんだろ?」
サティが理解できないという顔で訴える。
「男女の仲は微妙なものなんだよ。わたしも今はそうとしか答えようがない。ただエリサがなにを考えているのかわからない以上、少し様子を見たほうがいいかもしれない」
ユリウスの言葉に、ジークハルトもうなずいた。
年少組はまだ納得がいかなかい様子だが、まとめ役のジークハルトがユリウスに賛同してしまった以上、どうしようもなかった。
◇◇◇
話し合いが終わったあと、フェランがユリウスにこっそり話しかけてきた。
「あのさ……ハドリーク王はエリサのことを、どう思っているのかなぁ。愛……しているように見えた?」
「大切にしていたよ。エリサから少しも目を離さなかった」
「そうか〜。よかった」
「そんな嬉しそうな顔をしたら、またアディたちに叱られてしまうよ」
ユリウスの言葉に、フェランが顔を赤らめる。
「でも、ぼくはエリサにこの世で一番幸せになってほしいんだ。もしエリサがハドリーク王を好きで、ハドリーク王もエリサを愛しているなら、エリサは幸せになれるよね。昔、エリサが小さかったころ、『一番大好きなひとのお嫁さんになりたい』って言ってた。エリサはぼくたちのことを、とても好きだけど、一番大好きなひと、っていうのは、きっとぼくら以上に好きな、特別な“運命の人”ってことだと思う。もしかしたらそれがハドリーク王かもしれない。だったらぼくは……」
フェランの声は小さかったが、優しい気持ちにあふれていた。
「エリサが幸せになったら、ぼくも幸せだよ、絶対」
そっとつぶやくのを聞いて、ユリウスの目に従弟への賞賛が浮かんだ。
「わたしもきみのように、たった一人の相手を優しい心で愛せたらと思うよ、フェラン。きみの愛情はとても気高い。わたしは、きみに憧れるよ」
「えっ、そんな。ユーリはいっぱい綺麗なひとに好かれてて……竪琴だって会話だってすごいし……」
すっかりあがって、へどもどしているフェランの様子は大変微笑ましい。
自分が人をどんなに優しい気持ちにさせるか知っているのだろうかと、ユリウスは思う。
そういう意味では、兄弟たちの中でフェランが一番エリサに似ている。
エリサは澄んだ泉のように人の心をうるおし、フェランはひだまりのように和ませる。
双子も口ではいろいろ言っているが、内心はフェランの想いがエリサに伝わればいいと思っていたし、他の兄弟たちも、ひそかにフェランを応援していたに違いないのだ。
(本当に、エリサがフェランに恋をしたならね……)
男女の仲というのは、
恋というのは、
どうしてこう、ままならないのだろう。
(だからこそ、興味がつきないのかもしれないが……)
恋の遍歴者らしい台詞を、心の中でつぶやく。
(ジークもな……よりによって、あんな凄まじい女に惹かれなくても……いや、ああいう女だからこそ、か)
口には出さないが、長兄の厄介な恋について考えると頭が痛む。
そうとも、口に出せるわけがない。
ジークハルトも完全なポーカーフェイスで気持ちを隠している。
それがわかるのはユリウスと──ジークハルトの親友のバートラディは気づいているかもしれない。
ユリウスはそっとため息をつき、思わずフェランにつぶやいた。
「みんなが、きみのように恋すればいいのにね、フェラン」
◇◇◇
城の夜の庭を、一人の青年が注意深く歩いていた。
時刻は真夜中で、すべてがひっそりと静まり返っている。
突然、水の音に混じって女の含み笑いが聞こえた。
青年はハッとして振り返り、声のするほうへ進んでいった。
庭内の池で、黒いドレスを体にぴったりはりつかせた美女が、水際にしどけなく腰をおろし、彼を見ていた。
ときほぐした長い髪から水がしたたっている。
女の肌も、唇も、濡れていた。
吸い寄せられるように自分を見つめる男に、女は毒々しく笑いかけた。
「なにをぼーっとしてらっしゃるの? わたくしがここにいるかどうかもわからないのに、危険をおかして城内を歩き回ったりして。白鳥の姿ならもっと楽だったでしょうに。わたくしにあの姿を見られるのが、そんなイヤ? ねぇ、ジークハルトさま?」
ジークルハルトはこの美しい義理の母に惑わされぬよう、顔をそむけて言った。
「この姿で来たのは、あなたと話をするためです、アガーテ。あなたがエリサを放っておくはずがない。いつかエリサのそばに現れると思っていた」
「いいお兄さまで、いいご子息で、本当にあなたははじめて会ったときから変わらないこと」
アガーテの声はバカにしたような響きを含んでいる。
「ご自分の花嫁としてやってきた女を、あなたは、お父さまに譲り渡したのだから」
ジークハルトの目に苦しげな光が浮かぶ。
七年前、アガーテはジークハルトの奥方になるべく遠国からやってきた。ところが父親の領主のほうがすっかりアガーテを気に入ってしまい、自分の後妻にしたのだった。
それからジークハルトはずっと妻を迎えていない。
長男で跡取りであったため結婚話は多かったが、いろいろ理由をつけて断ってきた。
「なのに、いまだにその女に未練を引きずってらっしゃるだなんて、まぁ、なんて可愛らしいんでしょう。わたくしはどちらでもよかったのよ? あなたでも、お父さまでも。わたくしのいうとおりにしてくれるかたならね。あなたがわたくしを本気で取り返したかったのなら、わたくしが言ったように、お父さまを殺して、あなたが領主になればよかったのよ。なのにあなたときたら、弟たちと共謀して、わたくしを追い払おうとするんですもの。ねぇ、わたくしが嫌い? わたくしが憎かったの?」
水から出て、アガーテはジークハルトに擦り寄った。
ジークハルトは口を閉じたまま、無表情を保とうとしている。
アガーテは濡れた指で、ジークハルトの唇をなぞった。
「違うわ、あなたはただ、わたくしを恐れているだけ。わたくしに溺れ込んで破滅してゆく自分を見たくないのよ。父親のようになりたくないと思っている。そうでしょう?」
アガーテの濡れた唇が、いきなりジークハルトの口に重ねられた。
赤い舌が、それ自体が生き物であるかのようにジークハルトの中で、ぬめぬめと動き回る。
ジークハルトはアガーテを突き放した。
しかしその顔には嫌悪ではなく、苦悩と切実さが色濃く現れている。
己のうちの欲望と必死で戦っているようだった。
「私は確かに、あなたに惹かれているのだと思います。だからといって、あなたが私の親しいものに害をなすことは、決して許さない。もし、あなたがエリサに対してよからぬ企てをしているなら、私は今度こそあなたを殺すこともできるだろう」
「エリサのためなら、ね」
アガーテの顔に怒りが満ちた。
「それが『話したいこと』というわけね。あなたがた兄弟ときたら、エリサ、エリサ、エリサって、本当に腹が立つわ。あの小娘はわたくしにとって敵だもの。生きてこの世にいると思うだけでイライラするわ」
「アガーテ」
「だからといって、そんな今にも剣を抜き放ちそうな恐ろしい顔で、わたくしをご覧になるのはおやめになって。わたくしはまだ、あの小娘になにもしてないわ」
「エリサが口をきかなくなったのは、あなたのせいではないのか? エリサが編んでいる肌着にはどういう意味があるんだ」
「こっちが聞きたいくらいよ」
アガーテは言い返した。
エリサがなにを考えて黙々と肌着を編んでいるのか、アガーテにもさっぱりわからないのだ。
ずっと心が落ち着かない嫌な気分を味わっており、だからこそ、さっさとエリサを始末しなければと思っていた。
おそらくエリサが災いに堕ちてゆくのは、そんなに遠いことではあるまい。
すでに黒い芽は育ちはじめている。
「わたくしは、なにもしてないわ」
アガーテはもう一度、含みのある声で言った。
「あの若い王さまのほうが、わたくしよりひどいことをしてるんじゃなくて? 逆らうこともできないか弱い娘を無理やり妻にして。どうしてあなたたちも、可愛い妹を助けようとしないの? わたくしが手を貸してあげましょうか?」
「エリサとハドリーク王のあいだに愛情がないとはかぎらない。エリサの思うとおりにさせてやりたい。あなたも余計な手出しはしないでほしい」
「愛情……?」
アガーテは楽しげに笑った。
ゾッとするような笑みだった。
「愛情があるから、嫉みもするし、憎みもするのに……」
それから予言のようにつぶやいた。
「国王と王妃の関係は、とても危うい。お互いを刺しつらぬく刃になりかねない想いだわ。さぁ、心臓から血を流して死ぬのはハドリーク王かしら? それとも、あなたたちの大事な大事なエリサちゃんかしらねぇ……」
ジークハルトがどういう意味かを問いつめようとしたときにはもう、アガーテは水の中にするりと姿を隠し、そのまま浮かび上がってこなかった。
ジークハルトは苦悩の表情を浮かべて、しばらくのあいだ黒い水面を見つめていた。
◇◇◇
刺草の棘が指を刺した。
エリサは白い顔をゆがめ、左の薬指をそっと唇にあてた。
葉の表面についた細かい棘は、これまでもさんざんエリサを傷つけてきたのに、なぜか今、耐え難いほどの痛みが胸をつらぬいた。
朝からずっと、エリサは緑の部屋にこもりきりだった。
侍女が昼食の時間に呼びにきたが、首を横に振って、いらない、と断った。
それを聞いたハドリークが自らやってきて、気分でも悪いのかと心配そうに尋ねた。
エリサはなるべくハドリークのほうを見ないようにしながら、また首を横に振った。
ハドリークも、なんとなくぎくしゃくしている。
あの舞踏会の日からずっと、二人の関係はおかしかった。
ハドリークは一生懸命にエリサに優しくしようとし、それが思うようゆかず、そんな自分にイライラしたり落ち込んだりしているようだった。
エリサはエリサでハドリークに気を遣わせているのが苦しくて、目も合わせられず、顔も自然とこわばってしまう。
目を合わせたとたん、声を出してしまうのではないかと怖かった。
あれから毎晩、ハドリークに追いすがって叫ぶ夢を見る。
ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを嫌いじゃないわ!
行かないで、ハドリーク! 行かないで!
泣きながらそう叫んだとたん、兄たちの心臓がはじける。苦悶の声をあげ、全身を真っ赤な血で染めた兄たちが、エリサの足もとにつぎつぎ倒れていった。
──いや! お兄さま! いやぁぁぁぁぁっ!
気が変になりそうなエリサの耳に、アガーテの声が響き渡る。
──おまえが兄たちを殺したのよ。
──恋にめがくらんで、おまえが殺したのよ! エリサ、おまえが、おまえが!
目が覚めたあとも、あらたに恐怖に襲われた。
夢で見たのは、ありえない出来事ではない。
エリサのたった一言で、兄たちは死んでしまうのだ。
ハドリークに会うのが怖かった。
ハドリークの声をききたくない。
姿を見たくない。
ハドリークに、こんなふうに辛そうに見つめられたくなかった。
なのに、ハドリークから離れることはできないのだ。
舞踏会で次兄のユリウスの姿を見たとき、エリサは驚きと懐かしさに涙が浮かんだ。しかし同時にどうしていいのかわからなくなってしまった。
兄たちは自分を連れ帰ろうとするだろう。
けれどエリサはこの城から去ることはできないと思った。
兄たちに危険を冒させたくなかったが、それだけではなかった。
今、王妃であるエリサがいなくなれば、ハドリークは激しく誇りを傷つけられるだろう。
きっとエリサを恨むだろう。
誤解されたまま、彼から離れたくない。
兄たちとの接触を避け、エリサは窓を固くしめ、緑の部屋に引きこもった。
そうして自分を強くいましめ、ハドリークに対しても心を閉じた。
姿が見えても見えないふりをし、声が聞こえても聞こえないふりをし、彼がなにをしても、なにを言っても、感じないふりをはじめた。
自分の心をだまし、十一枚の肌着を編み上げ兄たちを救うことだけを考えていれば、なんとか平静を保てる。
心が痛くても、胸が苦しくて張り裂けそうでも、そうでないふりができる。
ハドリークはエリサがうつむいたまま仕事を続けているので、苛立っているような足音を立てて出ていってしまった。
エリサは、ひたすら編み続けた。
指に痛みを感じ、唇に押しあてたとたん、涙がにじんだ。
泣いてなどいない。
悲しくなどない。
(大好きなお兄さまたち)
(きっとわたしが救うわ)
肌着は全部で十枚編み上がっていた。
残り一枚。
けれど洞窟から持ってきた刺草で作った糸は、十枚めを編み上げたとき、もうほんの少ししか残っていなかった。