表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

一歩目の証

 ティアは息を詰めたまま、目の前の女を見つめていた。

強すぎる。そう直感できた。魔力の残滓が空気に震えている。肌がぴりぴりとするのは、熱ではなく、威圧だ。


「返答がないな。……怯えたか」


女は、表情ひとつ変えずに言った。


「……あ、あのっ、助けて、くれて……ありがとうございますっ」


ようやく絞り出した声は、かすれていた。ティアの小さな身体が震えているのに気づいたのか、女は一歩、静かに距離を詰める。


「名は?」


「……ティア、です」


「ティア。ふむ。一般の子供かと思ったが、ギルドのライセンスを持っているな。」


ティアは、胸ポケットにしまっていた石板をぎこちなく取り出す。


「はい、でも、仮ライセンスで、まだほんとに始めたばっかりで……」


女はしばらく無言でティアを見下ろしていた。

その視線には侮蔑も怒りもない。ただ、興味のなさ――あるいは「何かを測っている」ような、冷静すぎる思考の残響があった。


「ごめんなさい……。ちゃんと、森の外側にいただけ、だったのに……あんなのが、突然……!」


その言葉を聞いた女の眉が、わずかに動いた。


「……なるほど。あの個体……自然発生にしては妙だな。まるで、人の手によって創り変えられたように見える」


その言葉に、ティアの背筋がぞくりと冷えた。


《選択肢の一つとして――「何者かの犯行」の可能性を排除すべきではありません》


ルシッドの言葉は、予感というより仮説だった。

だが、それは冷たい現実の一端をティアに突きつける。


「……ごめんなさい。でも、本当に、知らなくて……」


ティアがそう言った瞬間――女はふっと息を吐いた。気配が和らぐ。


「責めているわけではない。生き残っただけ、上出来だ」


それだけ言うと、女は魔獣の骸を一瞥した後、森の奥へと視線をやった。


「この森にしては、やけに“質”の悪い魔獣だった。……上に報告する必要があるな」


そう呟き、踵を返す。


ティアがはっとして叫ぶ。


「あ、あの……っ!」


女が歩みを止めた。振り返りはしない。


「……なんていう名前なんですか……っ?」


しばしの沈黙の後、女はわずかに口元を動かした。


「……ガーネット。ガーネット・ヴァレンティナ。忘れていい」


その言葉を最後に、彼女は森の奥へと消えた。


ティアはしばらく動けなかった。目の前に転がる獣の焼け焦げた骸と、あの圧倒的な魔法の余韻が、現実だったとは信じがたかった。


「ルシィ……今の、ほんとに人間の、魔法だったの?」


『映像・音響記録に誤差はありません。事実です。

解析結果:人為的な魔力行使。威力、精度、速度ともに生活魔法とは一線を画しています』


戦闘に特化した《攻撃魔法》である。


「……すごい……。あんな魔法が使える人がいるなんて……」


ティアの声には怯えと、そして――どこか、憧れの色が混じっていた。


《ティア。今後もあの様な事に巻き込まれる可能性を考慮し、対策を講じましょう》


「うん。うん……わかった。ルシィ、私……頑張るね」


少女は、小さく笑った。


 その手の中には、少しだけ潰れてしまった薬草の束。

それでも、彼女はそれを大切に袋に入れて歩き出した。



 都市に戻った頃には、日は西へ傾きかけていた。ティアの小さな影が石畳の上に長く伸びる。体中が草の匂いと汗にまみれていたが、それでも足取りは今までで一番、力強かった。


 腰には薬草を詰めた袋。その重みは、努力の証。


「ルシィ……ちゃんと、報告できるかな」


《緊張の兆候:心拍数増加。だが問題ありません。今回の任務は十分に“達成”されました》


 ギルドの扉を押すと、いつも通りあの男の事務官が受付カウンターにいた。


「おう、お疲れさん。……ちゃんとできたか?」


「し、仕事は、終わりました。薬草、これです」


 ティアは袋を差し出す。その中には《緑涙草》や《クレソリ草》、その他指定された薬草が丁寧に仕分けられて入っていた。泥や傷みの少ないものが大半で、見る者が見れば、真面目な作業ぶりが分かる出来だった。


 男は袋の中を一瞥し、ふぅんと鼻を鳴らす。


「まあ……量は悪くないな。品質も許容範囲。……よし、じゃあ、報酬払うぞ」


 木箱の中から銀貨を数枚取り出し、カウンターに並べる。


「基本分と、品質加算。……これが、今日の“稼ぎ”だな」


 銀貨五枚。2日分の宿代と食費に値する。


 ティアは目を見開き、小さな声で呟く。


「……ほんとに……?」


《確認。相場価格と比較しても、誤差範囲内。妥当な対価です》


 そっと銀貨を手に取るティアの手が、震えていた。こんな額、人生で触れたことがない。


「よかった……ちゃんと、できたんだ……」


 受付の男は、そんなティアの様子にやや呆れたように言った。


「なあ……そんなことで感動するなよ。ここは冒険者のギルドだ。いくら低難易度の任務だって、お前ら冒険者は体を張っている。その対価はそれ相応じゃなきゃならない。だろ?」


「……はい」


 ティアは小さく頷いた。その目には恐れではなく、決意のような光が宿っていた。



 ギルドを後にして、ティアはまっすぐ宿へと向かった。


 その道すがら、ルシッドが低く響く声で話しかける。


《ティア。任務と納品を終えた今、次の目標を定めるべきです。提案は以下の三点》


 ──①:回避行動と地形把握のため、都市外縁のマッピング

 ──②:攻撃魔法の知識取得のため、魔法を使用する冒険者への接触

 ──③:ギルド上層への“変異個体”情報の提出および記録照合


 ティアは少し考えた末、ぽつりと答える。


「……2番、かな。あのモンスターの報告はきっとガーネットさんがやってくれてるし、いつまでもルシィに頼って逃げてちゃダメだと思う…」


《了解。明日は任務に充てる時間を短縮し、ギルドに所属している冒険者と接触を計りましょう》


 ティアは頷いた。まだ、やらなきゃいけないことが山のようにある。それでも、今日一日で確かに「前へ進めた」のだ。


 夕暮れの中、宿の看板が見えてくる。ふわりと、安堵の吐息が漏れた。


「……帰ってきた、ね」


《本日、初めての“自発的成功”です。記録保存中──》


 その声を聞きながら、ティアは静かに扉を開ける。


 まだ、始まったばかりの物語。


 だが少女は、確かに歩き始めていた。



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ