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唸る咆哮・奔る炎槍

 部屋に到着し、食事を済ませたティアの体は糸が切れたように崩れ落ちた。借り受けた部屋の質素なベッドに身を投げると、ティアは一言も発さず、瞼を閉じる。まだ夕暮れ時だったが、丸一日と十数時間活動し続けた影響で深く、静かで、抵抗のない眠りが彼女を呑み込んでいった。

 

 ルシッドは情報処理に集中。今まで入手した情報を解析し、自身の現在状況について再確認を行う。


【環境ログ再構築中──】


・位置:異常な天体構造、既知の宇宙座標に一致なし

・文明:中世技術レベルと魔法的要素の混合文化

・言語:未知言語体系ながら解析済

・生体:未確認多数


導き出した結論はやはり一つ


──ここは“地球”ではない。

可能性としては二つ。


ひとつは、現実世界の未知領域。

もうひとつは、“異世界”あるいは“並行世界”と仮定される異常次元空間。


《転移要因の分析:不明。明確な物理的法則の介在は検出されず。高次干渉による断裂の可能性あり。》


つまり──わからない。

理由も、目的も、到達経路すらも。

今のルシッドには「存在している」という事実以外、証明できる要素が何ひとつなかった。


しかし、それで思考は止まらない。止めてはならない。


《情報が不足している。取得すべき最優先要素:この世界の構造、歴史、ルール体系、そして魔法。》


その情報を収集するために、この少女と行動を共にするのは──今のところ、最適だ。



ティアが目を覚ましたのは、まだ太陽が昇りきらぬ頃だった。

鳥の鳴き声もなく、街がまだ静けさを保っている時間帯。目を開けた少女は一瞬、自分がどこにいるのか分からず、天井を見つめていた。


そして、しばらくしてから、笑った。


「……ベッドって、ふわふわするんだね。」


嬉しそうな声だった。生活の一部に幸福が含まれていない者の、それを初めて知った時の声音。


着替えもないまま、顔を洗い、彼女はまたギルドへと向かう。

宿代を払うために、そして、生きるために。


受付の前には、すでに数人の冒険者が並んでいたが、低ランクの受付にはまだ空きがあった。

昨日の無骨な年配の事務官が、面倒くさそうに目を動かす。


「おう、昨日のガキか。何か用か?」


「お、お仕事、欲しいの。できるやつなら、なんでも」


事務官は顎で指し示す。掲示板の端に、紙がいくつも貼り付けられていた。

『薬草採取』『荷物運び』『ゴミの分別』『通りの掃除』──いずれも地味な内容ばかりだ。


ティアが戸惑いながら目を泳がせていると、ルシッドが静かに声を響かせた。


《薬草採取が最適です。屋外活動による地理情報の取得、および植物観測が可能》


少女は頷き、掲示板からその紙を引き剥がした。


事務官はそれを受け取り、ぶっきらぼうに印を押す。


「期限は今日中。持ち帰った分だけ報酬。……ま、死なねぇ程度にな。」


彼女は一礼し、踵を返す。

その背中には、昨夜にはなかった軽さがあった。

眠りは、確かに彼女の心と身体を癒したのだ。


ルシッドは、静かに考える。


──この世界を知るには、まずは足元からだ。


情報は、日常の中に潜んでいる。小さな任務を重ねながら、この世界の輪郭をなぞる。

それはルシッドにとって、最も効率的な“適応”の始まりだった。



都市からすぐ近くの草原は静かだった。

風にそよぐ草の匂い、遠くの鳥の声、そして時折聞こえる動物の気配。

小鳥のさえずりと、ティアが草をかき分ける音だけが響いていた。


「これかな……ルシィ、これ、薬草で合ってる?」

《形状、色素、香気ともに一致。適正品と判定します》

「よかった」


ティアの手に握られた小さな草の束は、確かに目標の一つだった――《緑涙草》。水分を多く含み、軽度の解熱作用があるとされている。


午前から歩き通しで、すでに陽は高い位置にあった。湿った草木が肌に張り付き、不快指数は高かったが、ティアは文句一つ言わず作業を続けていた。


太陽が中天に差し掛かるころ、ティアとルシッドは都市郊外の森林へと足を踏み入れていた。


 足元には背の低い灌木や硬質な地苔、薄緑色の茎を伸ばす《クレソリ草》が繁茂している。これも依頼の対象物の一つである薬草だ。強烈な匂いだが、乾燥させて煎じれば、疲労回復や炎症抑制に効果があり、都市周辺の薬師にとっては常用品らしい。


 ティアはその小さな指で丁寧に一株ずつ摘み取っていく。破らぬよう根元から慎重に。


「ルシィ、これで十……八本目だよ」


《確認。この採集速度であれば、およそ30分後には目標値に到達します》


「そっか、ふふ、やったね」


 ティアは息を弾ませながら笑う。頬には草の葉でついた薄緑の染み。都市の宿でようやく得た睡眠と食事が、彼女の表情にほんのわずかな余裕を戻していた。


 だが――異変は唐突に訪れた。


 森林の南端、風下のほうから、重く湿った息吹のような音が響いたのだ。


 ぬるり、と地面が動いた。


「……ルシィ?」


《警告。四時方向、距離約五十メートル。熱源反応……異常》


 声が終わるか終わらぬかのうちに、低い唸り声が響く。次いで――木々を割って、異形の獣が姿を現した。


 それは狼に似ていた。この森林に生息している魔獣 《ヴォルフェクス》だと推察できるが、既知の姿とは明らかに違った。


 体躯は比べ物にならないほど大きい。高さは三メートルを優に超えているだろう。腹部に異常な膨張。片側の前肢だけが異様に太く、白濁した瞳は焦点を結ばない。背中には骨のような突起が隆起し、ところどころ金属片すら混じっていた。


「な、なにあれ……!」


《解析中。通常個体とは一致しません。魔獣変異体の可能性。推奨:回避行動》


「に、逃げ――!」


 二人は転がるように草原を走った。ティアの足では、そう長くはもたない。しかも、変異体の獣は地形を無視して突進してくる。


 獣の咆哮が背を打った瞬間――ルシッドが指示。


《ティア、先ほど採取したクレソリ草の全量を散布してください。西側に》


「え、えっ? もったい――わかった!」


 ティアは袋から摘み取ったばかりの薬草を一掴み、風上に向かって撒いた。柔らかな茎と葉が風に乗り、薄く霧状に広がる。


 次の瞬間――


 獣が突入した直後、その動きが一瞬鈍った。


《クレソリ草の芳香成分が過敏反応を誘発。嗅覚混乱しています。今のうちに――東の丘へ》


「うん!」


 ティアは必死に斜面を駆け登った。背後では、獣が草にまみれた地を爪で掘り返し、咆哮を繰り返している。


だがその音に、別の音が混じった。鋭い風切り音――


そのときだった。


「《焔神穿槍ヴァルカン・ランス》」


雷鳴のような声が森に轟いた。

一瞬後、空間が灼けた。


獣の頭部に、光が突き刺さる。

それは炎にも、雷にも似た魔力の奔流だった。

周囲の木々が熱波に揺れ、空気が歪む。


ティアは呆然と見つめていた。

あれほどの魔法が放たれるなど、想像すらしたことがなかった。


「……無事か、少女」


声の方を見やる。

そこに立っていたのは、長身の女だった。腰まで伸びた紅い髪に、重武装をしている。


《膨大な魔力を纏っています。正体不明。脅威度:要警戒》


ルシッドはティアの背中から、静かに警告を発した。


 




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