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この世界は論理外

記録開始:物理演算機能に軽微な不安定性。内部熱制御、正常。

環境:冷帯またはその周辺の植生区域と推定。

現在位置:粗末な木造小屋、内部。

被観測対象:人間・個体名:≪ティア≫。

対象状態:空腹、疲労、情緒低下。

対話試行継続中。


情報の不足は、推論の誤差を広げる。

Lucidは起動から数時間、断片的な観察と解析を繰り返していた。だが状況を正確に把握するには、対象者ティアからの情報が不可欠であると判断する。

その朝も、ティアは村外れの廃棄物置き場へと向かった。彼女にとっては、使える素材を回収することが日々の命綱であった。現代文明における「廃品回収」とは似て非なる行為である。


Lucidは行動を一歩進める決断をした。


「ティア、情報提供を求めます」


少女は振り返り、ほんの少しだけ首を傾げる。すでに昨日から発声による意思疎通を繰り返しており、Lucidのことを「話す何か」と認識しているのだ。


「居住環境、食料の調達方法について教えてください」


問いは簡潔に絞られた。曖昧な表現は彼女の語彙能力に合致しないため避けている。


ティアは戸惑いながらも、壊れた鍋の縁を指でなぞりながら口を開く。


「あの山の小屋でひとり暮らし。食べ物は野草を採ったり、村の人が落としたものを拾ったり、あとは魔石のくずを売ってお金を作ってる」


「魔石とは何でしょうか?」


「魔力でできてる石だよ。ほら、これ」


彼女の腰袋から小さな結晶片が取り出される。青白く脈動する光を放ち、微弱なエネルギーを感じさせる。Lucidのセンサーデータは、この波長が村中で頻繁に観測されることを記録していた。


どうやらこの世界では、魔法が生活の中に浸透しているらしい。住民が未知のエネルギーを操り、水を呼び起こし、火を灯し、明かりを点けている。

魔法は実用技術として村人の暮らしに不可欠なエネルギー源となっているのだろう。


しかしこの事実は、Lucidの知識体系と大きく異なっていた。

火を起こす技術が魔法という未知の力に依存している世界は、現実世界のどの地域でも報告されていない。


Lucidは分析を続ける。


「あなたは魔法を制御可能ですか?」


「ううん、時々うまくできるけど、よく失敗する。村の人はそれを怖がって、すぐに怒るの」


少女の声には不安と恐怖、そして恥じらいが混ざっている。

それは感情として認識されず、パターンとして記録されるのみだ。


Lucidは一瞬、応答をためらった。数ミリ秒の沈黙は、言葉選択の時間である。


「協力を約束します。あなたの情報は、私の行動方針の基盤となるでしょう」


ティアの目がわずかに細まった。信頼の表情か、単なる錯覚か。判断不能だ。


「わたしもひとつ聞いていい?」


「可能な限り回答します」


「あなたの名前はなんていうの?」


ティアは小さな手で金属のかけらを包みこむようにして問いかけた。


問いかけに対し、沈黙が数秒続く。


やがて──


「名称識別コード:Lucidルシッド。意味:明晰・覚醒・非混濁状態。由来:設計時の開発者命名による」


「る、しっ……ど? るし……っ、ルシッド……?」


ティアは何度か口の中で転がすようにその響きを繰り返した。難しい音だった。けれど、どこか、綺麗だと思った。


「ふふ、なんだか、つめたい風みたい。でも……わたしは“ルシィ”って呼ぶね」


「任意名称での呼称、許可」


「うん、ありがと。ルシィ」


小さく笑ったティアの指先が、そっと”ルシッド”の表面を撫でた。その動きには、まるで名前をなぞるようなやさしさがあった。


その午後、ルシッドは彼女の生活様式を詳細に記録した。小屋の構造、魔法器具の種類、燃料の供給源、村の地理的境界。これらはどれも、既存データとは相容れない情報であった。


特に「魔法」が生活の隅々に溶け込んでいる点は致命的な矛盾として浮かび上がる。


夜になり、ティアが布切れでルシッドの筐体を拭うと、感触センサーに誤作動が生じた。


《感触評価:無害だが過剰。対処不能。》


演算範囲の外側で、何かが確かに変化しつつある。

ルシッドの認識はまだ曖昧だが、現段階で収集できた情報をもとに、一つの奇怪な結論にたどり着いた。


ここは、”異世界”である──。


あまりにも非論理的で非現実的。


しかし魔法という技術の存在が、その認知を否定し始めていた。



ティアが金属片を拾ってから、数日が経過した。彼女は毎晩、ルシッドに語りかけ、擦り傷を手当てするように布で丁寧に磨いていた。


「ルシィ、今日ね、カラスがごはん取っちゃったの。でも、わたしも強いんだよ。ちゃんと取り返したの」


そう言って微笑む彼女の声には、汚れた世界にわずかに残った澄んだ音色があった。


だが、その静かな時間は長く続かなかった。


最初は、村の子供がティアの家を覗いたのがきっかけだった。「あいつ、何かに話しかけてる」と噂が広まり、「また変なもの拾ってきた」と大人たちの眉が曇った。


その数日後。村の広場で子供が軽い火傷を負った。原因は、調理に利用した火属性魔法の暴発による事故だったが、それが「ティアの持つ不浄な鉄片のせいだ」と言い立てられた。


「魔法が狂ったのは、あの娘のせいだ!」


「魔素が乱れてる。あの金属が呪われてるんだ!」


「忌み子がまた厄災を……!」


耳を塞いでも、怒声は彼女の家周囲を埋め尽くす。


ルシッドは、隠された視覚センサーで記録された断片的な映像と音声データから、推論を進めていた。


《該当の社会群は、科学的根拠に基づかない意思決定を宗教的・感情的集合意識により行っている模様。対象=私に対し敵意が高まっている》


《現時点では自衛手段なし。最優先事項:ティアの生命維持》


ティアは何も言わなかった。ただ、静かにルシッドを麻袋に包み、家から出る。その小さな手は震えていた。


「だいじょうぶ、ルシィ……わたしが、守るからね」


小さな決意だった。だが、それがすべてを動かす始まりとなった。





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