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瘴気の森にて その2

森の奥は、歩くたびに空気が重くなっていった。

 数度、瘴気に侵された魔物たちが現れたが──シルマは次々と洗練された魔法を繰り出し、危なげなく退けていく。

 それでも奥へ進むほど、濃密な瘴気が皮膚にまとわりつくようだった。

「……おそらく、この辺りね」

 

シルマが立ち止まる。

 無表情のまま両手を広げて、低く詠唱を始めた。

「……光よ、風に乗りて彼方を識れ──《光眼の覘(ルクス・ヴィジオ)》」

 

 詠唱を省略しなかったことにより、通常よりもさらに疾く、広く、光の粒子が霧のように広がる。

 森が淡く照らされ、瘴気の流れが光の筋となって可視化された。

「……反応あり。少し先、岩場の裏ね」


 シルマの声に、ティアは息をのむ。

 歩を進めると、やがて黒ずんだ石柱のような魔道具が姿を現した。

 淡い紫の光を発しながら、瘴気を放出している。

「これが……」


「瘴気の発生源よ。これを壊せば、瘴気の放出も止まるわ」


「一体誰がこんなことを……」


「不明よ。目的もね。その調査も任務の一環」

 

 シルマは手をかざし、魔法を放つ。

 だが、光弾は弾かれ、表面を浅く抉るだけだった。

「硬い……。ティア、もう少し下がって」


「わかりました」

 

 ティアが数歩下がると、シルマは腰の短剣を抜き、静かに魔力を流し込む。

 刃が光を帯び、鈍い音を立てて唸る。

 次の瞬間──

 白光が走り、魔道具が音もなく両断された。

 瘴気の流れが途絶え、空気が一気に軽くなる。

「これで発生は止まったわ。……次は浄化ね」


「浄化……」


「簡単よ。瘴気が溜まっている地面に光を流すだけ。優しく染み込ませるようにね」


「やってみます」


 ティアは両手を重ね、光を生み出す。

 ルシッドのサポートもあり、柔らかな光が地を包んでいく。

 シルマが隣で静かに見守る。

 その光景に、どこか満足げな眼差しを一瞬だけ向けた。

「……悪くない。けど、範囲が狭いわね」


「うぅ、やっぱりそうですよね……」


 「……こんなに広い範囲、全部を浄化しなきゃいけないんですか?

 この森、ずっと奥まで瘴気が満ちていて……。

 どれだけ時間がかかるんだろうって、少しだけ心配になってしまって……」


 「ある程度光を行き渡らせれば、瘴気は自然に霧散していく。十日もあれば十分」


「十日……長いですね」


「任務とはそういうものよ」


 短い返答に、ティアは小さく笑った。

 冷たく聞こえるが、不思議と不安は感じなかった。

 

 

 夜になり、二人は森の開けた場所に野営を設けた。

 シルマが展開した光属性の結界が淡く辺りを照らし、外から瘴気が入り込むのを防いでいる。

 焚き火の炎が揺れ、簡素なスープの香りが漂う。

「こんな場所でも、火があると落ち着きますね」


「そうね」


 シルマは膝を抱えて座り、無表情のままスープを口に運んでいる。

 その横顔は炎の明かりに照らされ、柔らかい光の影を落としていた。

 沈黙が流れた。

 ティアは少し気まずさを感じ、勇気を出して口を開く。

「……あの、シルマさん」


「なに?」


「どうして、そんなに強くなったんですか?」

 

シルマの手が止まる。

 炎の明かりがその横顔を照らし、瞳に淡く揺らめく光が映る。

 短い沈黙のあと、彼女は低い声で語り始めた。

「……私は、スラムの出身よ。生まれたときのことは

覚えてない。

 気づいたら、あの汚れた路地裏にいた。周りにいたのは、みんな同じような子ども。

 家族も、名前を呼んでくれる人もいなかった」


 淡々とした口調。それでも、その中にかすかな苦味が滲む。

「毎日、生きるために食べ物を探して、寒さをしのぐために廃屋に潜って……。

 誰かが倒れても、誰も立ち止まらない。助けたところで、自分も死ぬだけ。

 そんな場所だった」


 焚き火の火が小さく弾ける。

 ティアは息をひそめたまま、シルマの横顔を見つめる。

「……あの頃、私には、優しさなんて贅沢なものを考える余裕もなかった。

 奪うか、奪われるか。生き残るには、それしかなかったの」


 彼女はゆっくりとスープをかき混ぜ、静かに言葉を続けた。

「ある日、偶然、遠くから来た“冒険者”を見たの。

 彼らが使っていた魔法を見よう見まねで試してみた。

 最初はただ、力が欲しかっただけ。食べ物を奪うために、誰にも襲われないように」

 

 ティアの胸が締めつけられる。

 しかしシルマは表情を変えない。

「……魔法の才能はあったみたい。何度か試すうちに、火を飛ばしたり、石を浮かせたりできるようになった。

 でも、私はあの時、自分の魔法が嫌いだった」

 その声は淡々としているが、焚き火の音よりも小さく震えていた。

「力を使うたびに、人が泣いた。怯えた目で私を見る子もいた。

 “生きるため”って言い訳をしながら、それを正当化してた」

 

 しばし沈黙が流れる。

 シルマは視線を落とし、低く息を吐いた。

「……そんな時、冒険者ギルドの存在を知った。

 金を稼げるなら、多少はマシな生き方ができるかもしれないって思ったの。

 登録して、任務をこなして……生きることだけを考えてた。

 その頃の私は、ただの“器用な魔導士”だった」

 

 炎が少し弱まり、シルマの影が長く伸びる。

「でもある日、任務の途中、偶然通りかかった村で──魔物に襲われていた子どもを見つけたの」


 その時、シルマの瞳がわずかに揺れた。

「気まぐれで助けたわ。

 ……その時、初めて“奪う”ための力を、誰かを“守る”ために使ったの」

 

焚き火の音が、静かに夜を満たしている。

「その子は、泣きながら“ありがとう”って言った。

 ……笑って、泣いて、抱きつかれて。

 たったそれだけのことなのに、胸の奥が熱くなった」

 

 シルマは目を閉じた。

「その時、初めて知ったの。

 魔法は、人を傷つけるためのものじゃないと。

 守るために使うと、こんなにも温かいんだと」

 ティアの目から、ぽろりと涙がこぼれる。


「それから私は変わったわ。

 強くなりたい理由が、“生きるため”から、“守るため”に変わった。

 ……それが、今の私を作ったの」


 彼女は淡々とした口調のまま、焚き火を見つめた。

 だが、炎の明かりが映るその横顔は――どこか静かに、確かに優しかった。

「……シルマさん……」

 

 ティアの頬を一筋の涙が伝う。

 シルマはそれを見ると、小さく眉を寄せた。

「泣くような話じゃないわよ」


「だって……」


「だって、じゃない」

 

 シルマは淡々とした声で言いながら、ほんの少しだけ目を和らげた。

「私がしていることは、当たり前のことよ。……あなたも、いずれわかる」

 

 ティアは涙を拭き、笑った。

「……私、もっと頑張ります。シルマさんみたいに、誰かを守れる人になりたい」

 

 シルマはわずかに口角を上げる。

「その意気は悪くないけど──まずは、目の前の任務を終わらせてから言いなさい」

 

 ティアは照れくさそうに笑った。

 焚き火がぱちぱちと音を立て、夜風が木々を揺らす。

 二人の間には、言葉のない温かな静けさが流れていた。

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