閃光と共に
陽が昇るたびに、ティアはギルドの掲示板を眺めた。
小さな依頼、配達、素材採取、簡単な討伐。……一つ一つは報酬が少ないが、ティアは確実にそれをこなし、地道に金貨を稼ぎ続けていた。
《気温32度、湿度78%。本日の作業量は過剰気味です。休憩を取るべきです、ティア》
「だいじょうぶ、ルシィ……このくらい、ぜんぜん平気……!」
手には泥だらけのカゴ。魔獣の巣から採取してきたという粘液質の苔を引き渡すと、ティアは報酬の銀貨を慎重にポーチへと収めた。
そんな日々が、三十日以上も続いていた。
毎朝、ギルドへ向かい、依頼を一つずつ片付ける。時には日が暮れるまで働き、時には失敗して泣きながら帰る日もあった。
それでも、ティアは手を止めなかった。
そして──ある夜、宿の部屋で、ルシッドが静かに問いかけた。
《ティア。あなたは、すでに『ファルツ鍛治街』への旅費と向こうでの強化費用として十分な資金を蓄えました。それでも、なぜなお依頼を続けるのですか?》
「……ん……」
布団の上、ティアは小さくうなずいた。
「……ちょっと、考えてることがあって……」
《具体的に聞かせてください。あなたの行動原理の解析精度を高めたいです》
「うん……」
ティアはルシッドを抱きしめるように、そっと胸に寄せて話した。
「……わたしだけじゃ、やっぱり……駄目だと思う。だから、レオンさんに、いっしょに来てもらいたいなって思ってて……。でも、それって、わたしのお願いでしょ? ちゃんと、お金払いたいの」
《……理解しました。あなたは、便利屋であるレオンへ同行を依頼することが目的。ただ、同行者の好意に甘えるのではなく、自立した交渉を望んでいる……そういうことですね》
「うん、そういうこと!」
そうしてさらに数日、依頼をこなしたティアは、ついに覚悟を決め、レオンの元を訪れた。
ギルドの近くにある便利屋の事務所。看板には手彫りで《なんでもやるぞ!レオン屋》と書かれている。
「こんにちはっ!」
扉を開けると、ちょうどレオンが棚に地図をしまっているところだった。
「おっ、ティアちゃんじゃないか。今日もお疲れさん」
「あのね……お願いがあるの!」
ティアは緊張した様子で、きゅっと拳を握った。
「わたし、やっぱりファルツ鍛治街に行きたいの。ルシィともっと強くなるために。それで、レオンさんに……いっしょに来てほしいの!」
「……」
レオンは一瞬目を見見開いたが、すぐに穏やかに笑った。
「いいよ。……もちろん、協力する」
「ほんと!?」
ティアの瞳がぱっと輝く。
だが、次の瞬間──
「じゃあこれ、旅の同行費用。わたしが貯めたお金!」
そう言って、ティアはずっしりと重い革袋を差し出す。
その仕草に、レオンの表情が少しだけ変わった。
「……ふふ」
彼は笑って、ティアの頭を軽く撫でた。
「……よく頑張ったね。俺としては、要らないと言いたいけど……」
「……?」
「でも、それを出してくるってことは、君なりの“けじめ”なんだろ?」
ティアは小さくうなずいた。
「そっか。じゃあ、受け取るよ。俺もプロだからな。受け取らないほうが、かえって失礼ってもんだ」
「……ありがとうっ、レオンさん!」
こうして、出発の日が決まった。
その朝。
空は晴れ渡り、鳥の鳴き声が澄んでいた。
ティアとレオンは街外れの街門前で集合していた。
手には地図と、十分な装備、そしてルシッドの軽やかな光。
「よし。じゃあ、いよいよ出発だな」
「……うんっ!」
ティアは少し緊張した面持ちで、でも力強く頷く。
「ね、レオンさん……」
「ん?」
「……どうして、わたしに付き合ってくれるの?」
「……」
その問いに、レオンはしばし黙った。
そして静かに言った。
「……昔な、俺にも似たような時期があったんだ。何もできなくて、大事な奴を守れなくて……それでも立ち上がらないといけなかった」
「……」
「ティアちゃんがあの時、一人でギルドまで走ったのを聞いて──ああ、こいつ、踏ん張ってるなって思ったよ。だったら、俺がその背中を押してやらなきゃって、思っただけさ」
「……レオンさん……」
「それに、君はまだまだ伸びる。俺の目は節穴じゃない。だから──」
彼は笑った。
「全力で、手伝うよ」
「……うんっ、ありがとう……!」
──こうして、ふたりの旅が始まった。
◆
山間の街道に差しかかり、三日目の昼過ぎ。
ティアたちは古びた石橋の前で足を止めた。
そこには、異様な雰囲気の男たちがいた。どうやら橋を占領している。
粗末な武装。皮の鎧、安物の剣、数本の弓矢。
奴らに見つかる前に、レオンはティアを後ろに下げ、草陰へと身を伏せた。
《彼らの人数、確認。少なくとも八名。魔力反応は低め。リーダーのみ、やや高》
「……盗賊だな。無理に金を渡しても、後をつけられるだけだ。ここは──排除する」
《その判断に賛同します。後方支援、続行可能》
ティアは拳を握りしめた。
「……わたしも──」
「今回は、俺に任せてくれ。君は“後衛”だ。ちゃんと守るから、見ててくれ」
レオンは物陰からゆっくりと出て、盗賊たちの前へと立つ。
「……あぁん?なんだお前、ここを通りたいか?」
「通りたきゃ出すもん出しやがれ!」
盗賊たちはレオンに向けて次から次へと無理な要求、罵倒を繰り返す。
「悪いけど、お前らに付き合ってやる義理はないんだよね…」
レオンは静かに、ダガーを抜いた。
──風が止む。
瞬間、レオンの姿が忽然と消える。
盗賊の一人が叫んだ。
「なっ……!? どこ行った!?」
「上だ!」
その声と同時に、石橋の欄干からレオンの影が降りる。
──鋭い着地音とともに、一人の盗賊の喉元へダガーが深々と突き立つ。
「ぐっ──!」
そのまま体を引き寄せて盾代わりにしながら、右手の指先から放たれた小規模の雷撃が、横の弓兵の胸を貫いた。火花とともに男が吹き飛び、橋の欄干に叩きつけられる。
ざっ、とレオンは前へ出る。すぐに残りの盗賊たちが包囲を図るが、彼の動きは止まらない。
「囲め! 数で押せば──ぐあっ!?」
レオンは前方の男に向かって斜めに踏み込み、腰を低く沈めた体勢から思い切り膝を突き上げた。
膝蹴りを受けた男は悲鳴を上げ、もんどり打って後方へ吹き飛ぶ。数歩下がったその先には、もう一人の盗賊がいて、巻き込まれるように倒れた。
──二対一の状況を、意図的に“分断”した。
間髪入れず、レオンは右の男へ体を捻り、反時計回りに回転。足払いでバランスを崩させた瞬間、背後に抜けるように滑り込み、ダガーを肩口から突き入れる。
「ッ──次っ!」
抜いたダガーを返すように投げると、それは直進ではなく、橋の欄干にわざと当たり、跳ねた。
跳弾した刃が予測外の角度から、左側の盗賊の太腿に突き刺さる。
「がああああっ!!」
動きが止まったその隙を突き、レオンは駆け寄り、手刀のような平打ちで男の首元を叩き落とす。
ごふっ、と吐き出した唾液とともに、男は意識を失った。
「……あと四人だな」
盗賊たちの連携は崩れ、焦りが顔に出ている。各自が勝手に動き出すその一瞬が、レオンにとっては最大の好機だった。
一人の大男が、背後から振り下ろした棍棒を構え、無言で襲いかかる。
しかし、レオンはわざと背を向けていた。
「はい、お待ちどう」
振り下ろされた棍棒がレオンの頭に届く直前、彼は上体を低く屈めてくぐるように回避。
次の瞬間、彼の足が逆関節気味に跳ね上がり、大男の顎を思いきり蹴り上げた。
バキッという音とともに男はその場で仰向けに倒れ、後頭部を橋に打ち付けて動かなくなる。
「あと三……」
レオンの額にわずかに汗が滲む。戦場であっても、冷静に時間と動きを計算しているのがわかる。
残った下っ端二人は、呆然と立ち尽くしていた。
「……な、なんだこいつ……人間かよ……」
「ひ、ひとまず距離を……!」
「逃がさねぇよ」
レオンが腰を低く構え、疾風のごとく突撃する。
左右の盗賊へ同時に詰め寄ると、まず一人の脇腹へ思いきり拳をめり込ませ、その反動を利用して逆側の男を蹴り飛ばす。跳ねた男の身体が橋の縁にぶつかって半身を乗り上げ、そのまま川へ落ちる。
レオンはひとり、影のように動き、次々と倒していき、残るはリーダーだけとなった。
「……チッ、あんた……ただの旅人じゃねぇな……!」
男は懐から黒い小瓶を取り出し、一気に呷る。
「ぐあっ……ああああああああああッ!!」
全身が膨れ、目が血走る。筋肉が異常に肥大化し、口からは熱い魔力の霧が漏れ出す。
「……違法薬物、『ルイン』。魔力と肉体を一時的に限界突破させるが、反動は──」
レオンは眉一つ動かさず、ダガーを構えた。
「……命、削ってでも勝とうってか。でも──」
リーダーが突撃してくる。炎を纏った腕が地面を砕くが、レオンは身を翻し、片足で回転しながら──
「そんなんじゃ、俺には届かない」
閃光。
次の瞬間、リーダーは膝をつき、動かなくなった。
「す、すごい……っ!」
戦いの後、ティアは駆け寄り、興奮したようにレオンを見上げた。
「分かってはいたけど、レオンさんって……こんなに、強かったんだ……!」
レオンは息を整え、肩をすくめた。
「まぁ、便利屋ってのはな、色んなことやるんだよ。戦うことも、誰かを守ることもな」
ティアの目に宿るのは、尊敬、驚き、そして──
「……わたしも、強くなりたい。レオンさんみたいに!」
《そのために、次の段階へ進む必要があります。目標地点まで残り約二日──準備を整えましょう》
二人と一つの意志は、確かに一つの方向を見ていた。