ゲイン洞窟にて
正式な冒険者登録から、わずか二日。
ティアは、ギルドの依頼掲示板の前に立ち、目を輝かせていた。
これまでの任務といえば掃除、荷物運び、買い出し……。いわば“冒険”とは名ばかりの雑用が中心だった。だが今は違う。彼女はもう、「第序魔章」の正式な冒険者だ。
「えへへ……ちょっとだけ、強そうな依頼……どれがいいかな……」
と、そこにティアが背負っている革袋から、ルシッドの声が響く。
《提案:依頼番号37、ヨドミガエル討伐および油の収集任務。》
「ヨドミガエル……?」
掲示板の端に控えめに貼られた一枚の紙。内容はこうだ。
【依頼番号:37】
ゲイン洞窟入口付近に生息するヨドミガエルを討伐し、体表油を回収せよ。
依頼主:鍛冶工房
難易度:☆
備考:収集対象は体表粘液。5匹分で達成。
「なんでこれ選んだの?」
《理由:比較的安全圏に位置していること。加えて、ヨドミガエルは鈍く、魔法の練習には適しています》
ティアは少し笑った。ルシッドはいつも通り冷静だが、彼女のことを考えてくれているのが伝わってきた。
「うん。……やってみる!」
こうして、ティアは初めての“討伐系”クエストへと足を踏み出すことになる。
◆
洞窟へ向かう途中の林道で、ティアは二人組の若い冒険者とすれ違った。
一人は活発そうな茶髪の少年。もう一人は少し落ち着いた雰囲気の金髪の少女だった。年齢はティアよりやや上、といったところだろうか。
「おや? そっちもゲイン洞窟?」
少年が人懐っこく声をかけてきた。
「あっ、うん。ヨドミガエル、倒しにいくの」
「奇遇だな! 俺たちも、その洞窟で素材を集める任務中なんだ。良ければ一緒にどう?」
少女が軽く頭を下げる。「危険なところではありませんが、道中は多少暗いので……助け合えればと思います」
ティアは一瞬戸惑ったが、ルシッドの声が背中を押した。
《複数人での行動は、初回任務の成功率上昇に繋がる。許可推奨》
「……う、うん! よろしくねっ!」
「俺はカイル、こっちはリセ。君は?」
「ティアだよ!」
初めての“仲間”に、心が少し弾む。
◆
洞窟の入り口は、岩壁にぽっかりと開いた縦長の穴だった。中は湿り気を帯びていて、わずかに冷たい風が吹いている。
「灯りをつけるね……」
ティアは掌を掲げ、小さく詠唱する。
「……閃け……《光灯》……!」
ふわりと、白くやわらかな光が手のひらに灯った。周囲の岩壁が優しく照らされる。
「おお……これ、火じゃないんだ?」
「うん、光属性の魔法なの」
「こりゃあいいな!火より明るいし、熱くもない」
リセが小さく感嘆の息を漏らす。
「光属性の魔法は珍しいですね。適性があるなんて、羨ましいです」
その光は実際、洞窟の奥まで柔らかに反射し、三人の行く道を確かに照らしていた──そしてその裏で、ルシッドはひそかに洞窟内の気流や湿度を記録し、洞窟内の地形を把握していた。
◆
洞窟の入口付近に入ってすぐ、じめじめとした空間の片隅で、何かがぬらりと動いた。
「いた……!」
青みがかった皮膚に、粘液を滴らせるカエル──ヨドミガエルだ。
三人が構えると、カエルは威嚇するように喉を膨らませ、跳躍。
「いくよっ……! 閃光弾!」
ティアの放った光弾が、一体を直撃。カイルの剣が二体目の動きを封じ、リセの風の刃が三体目を仕留める。
三人の連携は思いのほかスムーズで、時間もかからず目標の五体を討伐した。
粘液を慎重に回収しながら、ティアは小さくガッツポーズを取った。
「ふふ……できた……!」
◆
しかし、カイルが言った。
「俺たちはこの奥でもうちょっと素材が必要なんだ。……ティア、時間ある? できれば一緒に来て欲しいんだけど…」
ティアは迷った。けれど、今度は自分が手伝いたい思いもあった。
「うんっ。ついていく!」
こうして、三人は洞窟の奥へと足を踏み入れる。
湿度は増し、空気はさらに重くなる。だが、道中で出くわしたモンスターも、協力すれば難なく撃破できた。
やがて目的の採集ポイントへ到着し、カイルとリセは目的の鉱石を慎重に削り取る。
ティアは周囲を警戒しつつ、ルシッドの声に耳を澄ませていた。
──そのとき。
《警告:洞窟奥方向より、異常魔力波動を検知。危険度:高。備えを推奨》
「……え……?」
《詳細:おそらく高位個体の魔物。接近の可能性あり》
ティアの表情が緊張に染まる。だが──
「ねぇ、カイルくん。リセさん。終わった?」
「いや……こっちの奥に、もっと質のいい鉱石があるかもって話なんだ。少しだけ、進んでみるよ」
彼らは“その先”を見ていた。
ティアが慌てて声をあげたのは、そのほんの数秒後のことだった。
「ま、待ってよぉ……! 行っちゃだめっ、そっちは危ないの!」
だがその声が届く前に、カイルは剣を手にぐんぐんと歩みを進めていた。洞窟のさらに奥にある鉱石を求めて。
「大丈夫、大丈夫! そんな深部まで進まないよ!」
まるで競技の開始を知らせる鐘が鳴ったかのように、全身からやる気をみなぎらせて。
「ちょ、カイル!? 何してんのよっ、単独行動はダメって……もう……っ!」
リセも叫んだが、カイルは立ち止まらない。
ほんの一瞬、迷ったようにリセが振り返る。ティアは心配そうに手を伸ばしていた。
「リ、リセさん……」
「……っ、分かった。ティアちゃん、ここでじっとしてて。あたしが引き戻してくるから!」
悔しげに歯を噛みながら、リセも駆け出した。
「もう……ほんとに! こういう時だけ無駄に行動力あるんだから!」
置いてけぼりになったティアは、小さく唇をかんで地面を見つめた。
空気が妙に静かになる。
「……ルシィ。あたし、行ったほうがいいかな……」
《彼らを引き止めることを推奨。決して無理はしないように》
ティアは不安で胸がいっぱいになったが、彼らを守るために足を進めるしかなかった。