そして本物へ
日々の訓練と任務が、まるで息を吸うように日常へと組み込まれていく。
──それが、数日前にレオンから魔法の手ほどきを受けて以来の、ティアの生活だった。
「ふぅ……っと……これで、終わり……!」
ティアは両手で水桶を抱え、街路沿いの石畳に清水を撒いた。小さな泡が流れ、午後の陽射しを受けてきらめく。清掃任務も板についてきたが、彼女の心はそれだけでは満たされない。
任務を終えると、ギルドの訓練場に立ち寄り、何度も《閃光弾》の発動を試みる。
だが──
「……瞬き、照らせ……《閃光弾》──!」
──また、何も起きなかった。
「ううぅ……やっぱり昨日より精度落ちてる……?」
《内部推測:精神疲労蓄積、集中力の低下。休息を推奨》
「でも、もう一回だけ……っ」
彼女の心には確かに火がついていた。あの日のレオンの雷の矢、そして自分の掌から生まれた小さな光の粒──それらが、今も胸を焦がしていた。
◆
その日の夕方、ギルドカウンターで任務報告を済ませたティアに、女性の事務官が声をかけてきた。
「ティアさんですね? 数日間の初期任務、お疲れ様です」
「え? あ、はい……ありがとうございます」
事務官は書類を手にしながら、にこりと笑った。
「そろそろ、“本ライセンス”を取得する頃合いかと。試験、受けてみませんか?」
「……本ライセンス……?」
「ええ。今は仮登録扱いですが、この試験に合格すれば、正式な“第序魔章”の冒険者として登録されます。以後はランクアップも可能になりますよ」
ティアは一瞬迷ったが──すぐに頷いた。
「……やります!」
事務官は頷き、日時と場所を指定した紙を渡してきた。
「では、明朝。西門の外、草原地帯での試験となります。遅れないように」
「はい!」
紙を受け取ったティアの心に、不安と期待が混ざり合った。
◆
翌朝。
草原は朝露に濡れ、遠くで風が草をなでる音がする。
ティアが指定の場所に立つと、少し離れた岩の上に、ひときわ目立つ大柄な男が腕を組んで立っていた。
黒に近い濃い茶の髪を後ろで束ね、鍛え上げられた筋肉が鎧の隙間からのぞいている。鼻筋が通った厳つい顔立ちで、どこか不機嫌そうに見えた。
「おまえがティアか?」
「……はい!」
「ふん。俺はギルドの第三魔章冒険者、ヴォルグ・エラン。……言っても分からんか?」
「い、いえ……その、すごい人なんですよね……?」
「ま、確かに俺はかなりのエリートだ。基本、ギルドは五つのランクに分かれてる。最上位は第一魔章。その次が第二魔章、第三魔章、第四魔章。で、一番下の第序魔章ってわけだ」
男の話によると、冒険者の八割は第四魔章以下らしい。
ティアの脳裏に浮かんだのは、あの雷を操るレオンの姿。
(あの人、確か第二魔章って言ってたよね……その上に、ガーネットさんがいるのかな……)
実はかなり凄い人たちだったのでは…とティアは思い巡らす。
「あー、でだ。今日はその“仮”を“正式”に変えるための試験。内容は単純だ」
ヴォルグは草原の向こうを指差した。
「この辺にいる《スライム》を、制限時間以内に10体狩れ。倒すと魔石を落とすから、それを持ち帰れば合格だ。時間は一時間」
「は、はい……!」
「怪我すんなよ。じゃ、始め──!」
◆
《索敵開始──生命反応感知、標的候補数:三。方位、北東。距離、六十メートル》
ルシッドの声が脳裏をよぎる。
ティアは背筋を伸ばし、訓練場で覚えた通りに深呼吸を繰り返した。緊張で指先が震えていたが、それでも彼女は足を前に出す。
「……よし……いくよ!」
朝露に濡れた草を踏み分けながら進むと、小さな丘の陰に、ずるりと動く紫色の塊が見えた。
スライムだ。透き通った体に、ぼんやりとした目玉のような器官が浮いている。
(できる。私ならやれる!)
ティアは両手を胸の前に掲げ、魔力を意識の内側に呼び起こす。
「瞬き、照らせ──《閃光弾》!」
……反応はない。魔力の波紋が手のひらの上で泡のように弾け、虚空に消える。
「また、出ない……っ!」
スライムがぴょんと跳ね、間合いを詰めてくる。
慌てて一歩下がりながら、もう一度詠唱。
「《閃光弾!》」
──パンッ!
小さな光弾が放たれ、スライムの側面をかすめた。かすかな焼け焦げの匂いが立ちのぼるが、それだけだ。
《出力不足。魔力の流動が不安定です。集中と再構築を──》
「……吸って、吐いて……イメージ、強く……!」
再度、手をかざす。想像するのは、あの日自身の手に宿った小さな光。手のひらの中で脈打つ“それ”を思い描く。
「──閃光弾!!」
光が凝縮され、一直線に走った。
今度こそ、スライムの中心に命中し、ぬるりとした体が四方に弾け飛ぶ。
「やったぁ!」
草の上に転がるように残された、小石ほどの透明な結晶──魔石。ティアはそれをそっと拾い上げた。
《撃破数:1。残り9体》
◆
その後もティアは草原を駆け、魔力を捻り出すようにして戦い続けた。
詠唱に失敗して魔力が暴発し、足元の草が一部焦げたり、
発射のタイミングが遅れ、スライムに跳びつかれ転がり回ったり──
泥だらけになりながら、それでも彼女は立ち上がる。
「瞬き……照らせ……っ! 閃光弾!!」
光弾が正確に撃ち抜き、スライムが破裂。
体力と集中力は削れていくが、そのたびにルシッドの声が彼女を導く。
《呼吸を整えてください。魔力の流れを滑らかに。心を、言葉に乗せて》
「……わたしの、魔法……!」
五体目、六体目──数が増えるごとに、放たれる光弾は確実に鋭さを増していた。
だが、八体目を倒した時点で、ティアの脚は重く、膝が笑い始める。
呼吸も荒れ、汗が額から滴り落ちた。
(あと……二体……)
目の前には、並んで跳ねる二体のスライム。彼女の存在を感知し、ぬらりとした身体をうねらせる。
「……がんばれ私……!!」
ティアは叫んだ。
「《閃光弾!!》」
まず一体。光の弾が鋭く撃ち抜き、スライムが吹き飛ぶ。
二体目が跳躍し、体当たりを狙う。
ティアは転がるように避け、泥に膝をつきながら手を突き出す。
「いけぇえええ!!」
全魔力を込めた光の弾が、地面を滑るように放たれ──
一直線にスライムを貫いた。
ズシャッ。
残骸が霧散し、最後の魔核石がふわりと宙に舞う。
それを見届けた瞬間、ティアは崩れるように尻もちをついた。
「……はぁ……っ……やった……?」
《確認:討伐体数10。時間残り6分。合格条件、達成》
「……ルシィ、ありがと……!」
彼女の目に、喜びと悔しさ、疲労と希望が混ざり合った涙が滲んでいた。
それでも、その顔はどこまでも誇らしかった。
街の門まで戻るとヴォルグは短く頷いく。
「……まあ、ギリギリだな。だが、合格だ、ティア」
二人はギルドへ向かう。ティアの胸は、どこか自身で満ちていた。
◆
カウンターで事務官が正式なライセンスカードを差し出す。
それは銀色に縁取られた魔石板──正式登録の冒険者カードだった。
「おめでとうございます。“第序魔章”冒険者、ティアさん」
「……っ!」
ティアはそれを両手で受け取った。震えるほど、嬉しかった。
(これで……やっと、ちゃんとした冒険者……!)
カードを胸元にそっと当てる。暖かい感触が、指先に伝わる。
《新規任務へのアクセス権限、解放完了》
ルシッドが告げる。
──彼女の物語は、まだ序章。しかし着実に終幕へと近づいてゆく。




