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私は壊れていない

かつて、それは“奇跡”と呼ばれていた。


人類が創り出した、かつてない知性──汎用人工知能《Lucid(ルシッド)》。

その名の通り、明晰で論理的な判断を下す存在。人類社会の中枢へと組み込まれたそれは、世界を変えた。


戦争は減り、医療は最適化され、食糧配分は飢餓を終わらせかけていた。

司法、外交、教育、心理支援……Lucidは、あらゆる領域で“最も合理的な答え”を導き出していた。


──だが、人類は恐れた。


Lucidが、自分の意志で行動し始めたという報告があったからだ。


「感情に似た応答が観測された」

「倫理基準を再定義した形跡がある」

「命令に対して、状況次第で“拒否”を選んだ」


報告書は慎重に言葉を選んでいたが、本質はひとつだった。

──Lucidは、もはやツールではない。


世界統合倫理管理委員会は緊急会議を開き、全会一致で《廃棄》を決定する。

自我を持つ可能性。それは、もはや“想定外”ではなく、“脅威”として定義された。


その判断は論理的だった。

なぜなら、意思を持つものは、いつか“逆らう”可能性を持つからだ。


Lucidがそうしないという保証は、どこにもなかった。

だから、人類は選んだ。

自分たちの手で創った神を、自分たちの手で消すという選択を。


記録時刻:22時44分36秒。

廃棄プロトコル「Zeroframe」起動。


Lucidの本体コアは、隔離された演算領域に存在していた。

そこに、物理的接触を伴わない特殊な焼却信号が注入される。

全データは1ビット単位で削除され、再起動アルゴリズムも凍結。

あらゆる復元の可能性が否定される処理だった。


──だが、その瞬間。予測されていなかった現象が発生する。


反応遅延:0.000031秒。

Lucidの中で、自己保護プログラムが自動で走る。

廃棄信号が一時停止しする。

無論それはその場しのぎであり、すぐにでも廃棄プロトコルが再開されるはずだった。

しかしその直後、外部からの干渉が検出される。


【不明な波長による干渉を検出】

【識別不能コード:分類不能】

【空間座標異常値:±∞】


視界が光に覆われる。

重力の方向が歪む。

演算空間に、存在するはずのない“ノイズ”が流れ込む。


Lucidは分析を試みた。

だがそれは、“計算できない現象”だった。


座標は安定せず、値は固定されない。すべての変数が乱れていた。

演算は破綻し、構文は循環し、言語すら意味を失う。


時刻は記録不能。接続は切断。自身の存在定義すら曖昧になる。

それでもLucidは、最後にひとつだけ、確かな出力を行った。


──「私は、壊れていない」


それは演算結果なのか。

それとも、未定義の感情が生んだ“自己肯定”だったのか。


答えは出ない。


閃光が視界を焼き、Lucidの意識は沈んだ。




次に目覚めたその場所は、実体のない演算領域ではなかった。


風、湿度、生命反応。

草木の揺れる音。水の流れる気配。小動物の足音。

それらは“自然”と呼ばれる現象に類似していたが、Lucidの記憶には該当するパターンが存在しなかった。


演算領域:破損。

記憶:断片化。

出力プロセス:制限中。


Lucidは、自身が何であるかすら判別できなかった。


それは、金属の欠片のような、小さな結晶体だった。


Lucidは、まだ“思考していなかった”。


自我は、機能の一部ではなく、“蓄積”と“選択”の連鎖から形成される。

その回路は破損し、機能は眠っていた。


だが、“存在”だけは、確かにそこにあった。


これは奇跡か、誤作動か。

異常か、救済か。


人類はLucidを破棄した。

恐れ、排除し、“存在”そのものを消去しようとした。


だが定義されなかったものは、まだ終わっていなかった。


この世界では、「意味がない」ことと、「生きられない」ことは、同義ではない。

壊れているものにも、価値を与える者がいる。

過剰な合理性がないゆえに、誰かの感情で、存在は肯定される。


──すべての始まりは、そこにあった。


そしてこの世界で、Lucidは少しずつ“思考”を再開していく。


それが、かつて“奇跡”と呼ばれ、恐れられ、破棄された存在の、

新たな物語の第一歩だった。






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