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わたしは考えていたことを長谷川さんに伝えました。すると彼女はリボンで綺麗な薔薇の花をつくりながら言うのです。わたしたちが宇宙人でないと言える根拠などどこにもないのだと。たしかにそのとおりです。わたしは雷にでも打たれたような心地でした! わたしが元は地球外の生物ではないと、だれが証明できるでしょう。UFOから降り立ったのではないと、だれが言えるでしょう。記憶や記録なんてあいまいなもの、いつだって論破してやります。わたしたちの見ている現実は、所詮、脳が勝手につくった錯覚でしかないのです。わたしや長谷川さんにそのような下等な理屈など、まったく通用しないことを教えてやります。わたしたちを形づくった種は、遥かむかしに宇宙からこの星に植えつけられたのかもしれない。わたしは地球人に紛れこんでいる、憐れな地球外生命体なのかもしれない。少なくとも、お前は地球人だ、と頭ごなしに言われるよりも、よほどしっくりきます。胸がすくようです。
わたしがもし宇宙人だったら、あなたはどうしますか? いえ、わたしが宇宙人であれば、きっとあなたも宇宙人ですね。たとえ地球上にほかの宇宙人がいなかったとしても、これについては断言できます。
ふう、やれやれ。どうやらわたしの貧弱な想像力ではこのあたりが限界のようです。なにより、わたしには未来の映像をうまく思い描けた試しがないのです。わたしに描けるのは、いまのわたしではない、別の世界線——つまり並行宇宙にいる、こうであったかもしれないわたしの姿だけ。長谷川さんは話しながら二年後のことを遥か遠い、膨大な時間を経た先の出来事であるかのように、目を細めていました。それは病気や寿命のせいでもあるのでしょう。そこに至るのが困難だと知り、それでも顔をしわくちゃにして微笑んでいました。そんな彼女のことがわからない。わたしには二年後のことを、歩みつづけるうちに自身の身に訪れるものと感じることも、自分から伸びた長い長い線上の、遠く彼方にあるものととらえて考えることもできないのです。それは〝自覚〟という枠から飛び出して別次元の領域にふわふわと漂っています。わたしはそれを視認しないしできません。興味も持てなければ手を触れようとも思いません。子供の頃からずっとこうなのです。要するに、わたしにとって未来とは、単なる他人事でしかないのです。
こんなふうに、自身を田舎者の年寄りと同じくらい信用できないなんて、とても悲しいことじゃありません? 長谷川さんの自室をあとにし、扉を後ろ手に閉めながらわたしは考えました。たったひとつでも信を置けるものがわたしにあったなら、たとえこの病気が避けようのないものに見えていたとしても、いまのような状態になるのとは違う運命になっていたのではないかと、ほとんど確信に近い情念が、形を持ってわたしの胸の奥に居座っているのです。
なんにせよ、宇宙人がくるのなら、彼らの肉体の大きさがわたしたちとさほど変わらなければと思います。なにか自分より大きなものに、意味もなく踏み潰されるのだけはごめんですから》