●38
次に小夜の見舞いに訪れた日、彼女は珍しくぼくに近寄ることを許してくれた。ぼくはパイプ椅子をベッド脇に引きずっていってそこに座り、病院のロビーで借りてきた『ウォーリーをさがせ』を、彼女にもよく見えるように広げた。彼女がやろうと言い出したので、ぼくが下へ行って借りてきたのだ。ぼくらはどちらがよりはやくウォーリーを見つけだせるか競いあった。小夜はぼくが知っているほかのだれよりも、ウォーリーを見つけるのがうまかった。華奢で壊れやすそうな体を幾分こちらに傾け、ぼくがページをめくると視線を稲妻のようなはやさでぎょろぎょろと動かし、星の数ほどもあるダミーのなかから五秒とかからず本物を指さした。彼女にこんな特技があることを知らなかった。二、三ページもめくると、ぼくから熱量は失われてしまった。拗ねてしまったのだ。ぼくは彼女を糾弾した。最初からウォーリーの位置を知ってたんだろう。読んだことがあるんだろう。彼女はこの本を開くのは今日が初めてだと言った。ぼくは彼女が嘘をついてると思ったし、そう言った。彼女は怒って『ウォーリーをさがせ』をぼくの手から奪いとり、部屋の隅に向かって投げつけた。結局、ぼくが彼女のそばにいれた時間は五分もなかった。パイプ椅子を引きずり、すごすごと自分の定位置に引きかえした。
午後になって律子さんが検温に訪れた。彼女はいつものように小夜の隣に椅子を広げ、腰かけた。手を伸ばせば、小夜の太腿に触れられる距離だ。それは先ほどまでぼくがいた場所だ。ぼくの場所のはずだ。小夜の隣に座ることを許されないのはぼくだけだった。二人が笑いあっているのを、世界の端っこから眺めていた。律子さんはぼくらの間に流れる不穏な空気に気づいたみたいだった。なにがあったのかぼくらに尋ね、小夜がそれにこたえた。話すにつれて、ふたたびさっきの怒りが鎌首をもたげてきたらしい。口調は徐々に熱を帯びた。小夜は身振り手振りを交えてぼくを非難した。ぼくに人差し指を突きつけ、「あいつがわたしを嘘つき呼ばわりするのよ!」と叫んだ。ぼくはなにも言いかえさず、彼女の目を静かに見つめ、黙って耐えた。その態度が、ますます彼女の怒りに拍車をかけたようだ。もはや物事は収拾のつかない境界線を越えてしまっていた。やれやれ、と律子さんに向かって肩をすくめてみせ、荷物をまとめて立ち上がった。「また土曜日にくるよ」と小夜に言うと、彼女が枕をこちらに投げつけるような素振りを見せたので、ぼくは小走りにその場から逃げ出した。