●36
「検査は何時頃に終わるの?」息を吹きかけてコーヒーを冷ましながらぼくは尋ねた。
「夕方まではかかると思う」
ぼくは少し躊躇ってから訊いた。「痛むのかな?」
律子さんは微笑んだ。綺麗な髪が鈴のように揺れた。「心配しなくていいのよ。採血をするときに、注射でちくっとするくらい」
「ふうん」
「小夜と二人でいるとき、そういった話はしないの?」
「病気を想起させるような話はいやがるんだ。彼女自身が語りたくなったときは耳を傾けるけど」
「あの子らしいわね」
ぼくは壁に寄りかかり、コーヒーをすすった。律子さんの視線が肌に刺さる。初めて会ったときから感じていたのだが、彼女には、これ以上このひとを悲しませたくないと思わせるなにかがあった。ぼくはむかしから、ひとの涙を見ても感情に波ひとつ立たない性質だが、おそらく彼女は例外だ。それゆえに、どうしても彼女の視線を避けなければならないときもあった。
「お祭りに、あの子を誘ったらしいわね?」律子さんは言った。
「うん。でも断られちゃったよ」
「ほんとうはあの子も行きたかったのよ。でもなかなか難しいの、わかるでしょう? 出先で体調を崩したりするかもしれないし、懸念材料が多いのよ」
「大丈夫だよ。わかってるから」ぼくは微笑んでみせた。
「この症状の厄介なところは、これっぽっちも予測がつかないことなのよ。最近は比較的安定してるけど、それもいつまでつづくかわからない。口には出さないけど、あなたの誘いを断ったことを気に病んでるみたい」
「口には出さないのに、どうしてわかるの?」
「表情に出てるのよ。とてもわかりやすいの。今度また誘ってあげて。きっと喜ぶわ」
「今日はわざわざそれを言いにきたのかい?」
「偶然よ、偶然。あなたがきてるなんて思わなかったもの」
ぼくは少し考えてから言った。「まったく気にしていないと言えば嘘になるけどね。ただぼくが急ぎすぎたというだけの話なんだ。彼女のペースを乱してしまって、怖がらせちゃったんだよ」
律子さんは首を傾げてこちらを見た。ぼくはコーヒーの表面に映った自分の顔を眺めた。