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小夜はくすっと笑った。「わたしもそのとき、気づいたのよ。我が家はまわりより、ちょっと多めにお金を持っているんだなって。それまでは自分の家で温泉に入れることを当たり前だと思ってたんだもの。パパが買おうとしていた、サラブレッドの仔馬の値段を聞いたらびっくりしちゃった。熱海で中くらいの一軒家がひとつ買えるくらいなのよ。それでも海外に比べたらずっと安いって言うんだから、途方もない世界よね」小夜は言葉を切った。部屋の気温が下がりつつあったけど、ぼくも彼女も窓を閉めようとはしなかった。
「何日もの間、パパは移住計画の素晴らしさをわたしの耳元で語りつづけた」小夜は言った。「わたしは妄想するの。大草原のどまん中に、わたしたち家族が暮らすには十分なくらいの小さい家を建てて、三人で静かに生きてゆく。すぐ隣には馬たちを放すための牧場が見渡す限りに広がっていて、畜舎のそばには東京タワーみたいに大きいサイロが建っている。その塔はわたしの家のシンボルでね。遠くからでもひと目見れば、あそこは乾さんとこの家だってわかるの。わたしはいつもパパとママに手を振りながら、そのサイロをぐるっとまわって通学する。学校までは毎日スクールバスが出ていて、通学中には席で揺られながら、朝日を受けてまどろ微睡む。学校は広いけれど、都会とは違って同じ学年に生徒は十人もいないの。みんなが顔見知りで仲よし。粗野な陰口も悪意も、そこは狭すぎて入りこむ余地がないのよ。学校から帰ったらまず宿題をやって、夕飯の時間は家族でのんびりと、テレビでも見ながらおしゃべりする。その日は体育の授業で走り高跳びをやったんだとか、授業中にどこからか野生の鹿が校庭に迷いこんで、だれの目を気にするふうもなくゆったり草を食むのを、先生までいっしょに眺めていたとか、クラスメイトの牧場で、この間、仔牛が生まれたんだとか、そんなことをだらだらとしゃべりつづける。パパとママはじっと耳を傾けてくれるの。眠る時間になると、ベッドでママが本を読んでくれる。毎日毎日読んでくれる。わたしが好きな小説じゃなくて、パパが好きな小説なんだけど、それは赤ん坊の頃に聞いた子守唄みたいにわたしの体をあたためて、次第にわたしもその物語を好きになっているの。そうしてわたしが眠りに落ちるまで、彼らはそばに寄り添って、わたしが決してひとりではないことを教えてくれる。休日は友達を呼んでもいいし、パパとママの手伝いをして過ごしてもいいの。三人でお揃いのオーバーオールを着てね。馬や牛の世話なんてしたことないけど、それは三人ともいっしょだから、なにも不安をおぼえる必要はない。朝がはやくて大変だし、動物たちの菌が移ってお腹を壊しちゃうこともある。でも、これ以上くだらない人間の相手をしなくてもいいんだ、だって。ほんと、あの頃のパパになにがあったのかしらね」




