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病室は個室だった。看護師が母親に一日のスケジュールやトイレの位置を説明している間、わたしはこれから過ごすことになる部屋を観察した。
部屋はわたしが想像していた病室よりも広かった。ティラノサウルスでも寝られるであろう巨大なベッド、窓枠の下に置かれた三人掛けのソファー。ベッド脇には学校の教室に並んでいそうな幅の狭い机があり、その上には取っ手のついた電気ケトルや読書灯が備えてある。反対の脇には簡素な洗面器が壁に取りつけられている。床頭台というものがあって、液晶テレビと冷蔵庫といくつかの引き出しが、縦に並んでくっついていた。木の床材はガラスのように滑らかで、立っているわたしの腰くらいの高さまで壁を覆っていた。そのおかげで新築のアパートのような雰囲気が漂っていた。入口の横の引き戸を開ければ、清掃の行き届いたトイレとユニットバスまでついていた。向かって正面の中央には、患者に圧迫感を与えないためにつくられたかのような大きな窓があって、白いレースと苔みたいな色の地味なカーテンが左右で留められていた。
話しこんでいるふたりをそのままに、わたしはベッドをまわりこんでその窓に近づいた。もう夕暮れが迫っていて、木々に囲まれた病院の中庭はひともまばらだった。どこかから車のエンジンをかける音がかすかに聞こえた。これから自分たちの家へと帰ってゆくのだろう。駐車場の出口には二、三台の車が列をつくっていた。目線を上げると、小田原城の天守が、庭を囲う木々の向こうに見えた。では、この病院は城址公園とは目と鼻の先にあるのか、とわたしはそのとき気づいた。あの藤棚も尊徳像もぼろぼろの図書館も、手を伸ばせば届くような位置に存在しているのだ。
不意にやりきれない気持ちになって、わたしは眺めていた光景に背を向けた。ふたりはまだ熱心に話しこんでいた。というより、わたしの母親が一方的になにかまくしたてていた。こうして窓際から振り向いてみると、部屋の入口からは陰になって見えない場所、ベッドからもっとも離れた壁際の角に、一脚のパイプ椅子が広げてあるのがわかった。黒い革張りで、留め具はわずかに錆びかけている。わたしは思わず首を傾げそうになった。ほかのもの——ベッドや机の上のケトルや白塗りの壁や天井などは、この部屋と深く結びついて馴染んでいる気がするのだけど、わたしが見つけたこのパイプ椅子だけは、部屋の空気とちぐはぐで、あっていないように思えたのだ。準備されたというよりは、そこにあることをだれからも忘れられ、仕舞われずにいる。そんな気がした。