●16
桧山さんは煙草を吸い終えていた。缶コーヒーを人差し指と親指で傾ける姿はさまになっていた。彼はぼくに尋ねた。「乾さんはお元気ですか?」
「相変わらずですよ。ぼくといっしょにいるときは、退屈だ退屈だ、と日に五千回は言って、ベッドの上でのたうちまわってます」
桧山さんは笑った。「それでは、ここにいた頃とあまり変わりはないようですね。その情景が、容易に目に浮かびますよ」
「ええ。医者いわく、症状も特に悪化はしていないみたいです。よくもなっていないみたいですがね」
「食堂で三人いっしょにまかないを食べていたのが、つい昨日のことのようですよ。相沢さんとのやりとりを見ていると、だれだって笑わずにはいられません」懐かしさに彼は目を細めた。
「社員だというのに、ぼくらのテーブルに居座って、社員の間では浮いた存在になっていましたね」
「寂しかったですよ、乾さんがいなくなったあとは。日常がずいぶんと静かなものになった気がしました」
ぼくはなにも言わずに頷いた。
「最近になって親父のことをよく思い出すのは、きっとそんなお二人を間近で見ていたからです。ぼくのなかにある間隙に、ようやく手を伸ばせるようになったんです。ぼくひとりだったら、永遠にできなかったかもしれません。そしてこれは、ぼくが在るべきぼくになるためには必要なことなんです。彼女がはやいところ完治して、お二人が幸せになることを祈ってます」
「ありがとう」ぼくは頭を下げて礼を言った。「本人に伝えておきます。きっと喜びますよ」
「いくらでも伝えてください。安いものです」
ぼくは笑った。




