☀️3
「いまからわたしが尋ねることをよーく考えてみてほしいんですけどね。過去の出来事でなにか、いまでも心に引っかかっていることはありませんか? 何年も経っているのに、ふとした瞬間に思い出してしまったり、夢に出てきてしまったりするもの。怒りとか悲しみとか、あるいは自分の感情はよくわからないけどもやもやしていて、どこかにつっかえているみたいに思考回路から離れないもの。些細なことでもいいんです。学校であったことか、あるいは家庭内であったことかもしれませんが、なにか思いあたることはありませんか?」
それを聞いたとき、まるで内科の診察ではなく、精神科のカウンセリングを受けているみたいだ、とわたしは思った。
「多分、いくつかはあると思います」わたしはあまり考えずに言った。まだ吐き気が喉のあたりをうろついていた。「べつにあたしじゃなくても、だれにだってあるものだと思いますけど。それが今回のことと関係あるんですか」
「現時点ではなんとも」医者のその返答に、わたしは露骨にいらついた顔をしてみせた。
やがてわたしの母が到着し、医者と話しあった結果、その日は病院に泊まることになった。結局、入院は長引くのだけれど、そのときのわたしに、そんなことはわかるはずもなかった。母さんは保健の先生にしきりに頭を下げていた。「うちの子は体だけは丈夫なんですよ。風邪だって一度もひいたことありませんし、昨日だってお腹いっぱい晩ご飯を食べたあと、もらいもののマンゴーを切ってあげたんですけどね。ちゃぁんと残さず食べきりました。ほんと、体だけは丈夫なはずなんですけどねぇ。学校にはご迷惑をおかけしました。先生がたにもなんとお礼をいっていいやら・・・・」そのようなことをしばし並べ立てたあと、ふたたびなんども謝った。保健の先生はお大事にとわたしに言って、学校へと帰っていった。
看護師の案内で病室のある四階へ向かった。エレベーターに乗っている時間は短かったけれども、何時間も船に揺られていたみたいに気分が悪くなった。降りた階の床は診察室のリノリウムと違って、綺麗に磨かれた木の床材だった。足音が廊下にコツコツと虚ろに響いた。部屋の前に着き、先に入るよう促されたときになって初めて、わたしはその看護師の顔を見た。鴉の濡れ羽色とでも言えばいいのだろうか。篠突く雨みたいな黒髪が肩のあたりでざっくりと切りそろえられていて、最後に外側へぴょんと跳ねている。それが包むように彼女の顔を縁取っていた。歳はわたしの母と同じくらいだろう。なんだか疲れた表情をしているひとだな、とぼんやり思った。目があうと優しく微笑みかけてくれた。