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あとから聞いた話、その瞬間を見ていたひとたちは、わたしがすぐに立ち上がるものと思ったらしい。わたしに衝突した子がつまずいたかなにかしたのだと。でもわたしは吐いた。うずくまったまま、胃のなかが、からっぽになっても吐いた。教師や数人のクラスメイトが無事をたしかめに寄ってきたけれど、彼女らの声は耳障りな雑音にしか聞こえなかったし、わたしは言葉を発することもできなかった。まもなく保健の先生が校舎から小走りにやってきた。彼女の判断ですぐに救急車が呼ばれた。サイレンの音が競輪場のほうから近づいてくるのがわかる頃には、意識もはっきりしてきてなんとか体を起こせた。すぐそばでわたしに向かって謝りつづける声があったけれども、どう考えてもあなたのせいではない、というようなことをこたえて安心させようとした。明らかに彼女は避けきれなかった自分を攻めるだろうから、それを申し訳なく思った。やがて到着した救急車から二人の隊員がストレッチャーを引きずってきた。わたしは自力でそれに体を横たえ、とまどう同級生に見送られながら病院へと運ばれていった。
医者は樹皮みたいにひび割れた声をした女のひとだった。付き添いでついてきた保健の先生に見守られながら、わたしは医者の質問にこたえた。普段は何時に寝て何時に起きてるのかとか、フルーツや野菜は食べるのかとか、そのようなことを訊かれた。家族構成や所属する部活なんかも訊かれた。両親ともに健在で妹がひとりいてテニス部です、とわたしはこたえた。その女性医師はわたしが話した内容を、ほとんど残さずパソコンに入力していった。革のベッドに寝かされて、お腹のあたりを触診されたあと、その医者はディスプレイをにら睨みつけながらフーンと唸った。そしてわたしに最後の質問をした。