☀️16
わたしはそれにはこたえず、集めていた意識を散らした。律子さんも外の風景も、壁の染み程度のものでしかなくなった。
わたしは律子さんの動向をぼんやりと眺めていた。彼女はわたしに背を向けて、無言のまま、しばらく空のベッドを見下ろしていた。がらんどうの背中。そしておもむろに窓側とは反対のベッドの縁に——いつも座るのとは逆側に腰をおろした。それが初めてのことだったので、わたしの注意を惹いた。加えて、律子さんは無表情にわたしから目を逸らさなかった。顔の筋肉はこれっぽっちも動かないのに、目の奥ではなにかが蠢いていた。なぜだろう。このひとはいまにも朝露のように、どこかへいなくなってしまうのではないか、とわたしは思った。
「どうしてそんなふうに、こっちを見るの?」ささやくように、そう訊いた。
「前から知りたかったのよ。ここから涼ちゃんがいま座っている場所は、どんなふうに映るのかなって」と彼女は言った。
わたしは椅子の骨枠をしっかりとつかんだ。手の平が汗ばんでいて、それを通じて金属部分から精気が流れこんでくるみたいだった。
「笑わないで聞いてくれる?」わたしは言った。「ここに座るとね、そっちに座っているのとは違うの。ずっとここにいてもいいんだって気分になるの。このまま、おばあちゃんになってもいいんだって」
律子さんは笑わなかった。
「ごめんね」わたしはまた謝った。「薬を飲んだばかりなの。頭がぼーっとしてて、うまく説明できないや」
「わかるわよ。涼ちゃんの言いたいことは。わたしも時々、同じことをしていたから」
わたしはふっと力を抜いて天井を仰ぎ見た。でも、すぐに気分が悪くなって視線を戻した。
「ずっとベッドの上にいると、お尻の下が柔らかすぎて、体がふわふわと浮いてくるの」わたしは言った。「それぞれのパーツが勝手な動きをしそうだから、怖くなってくるんだ。あばらの一本一本まで、ふわふわゆらゆら、風に吹かれたシャボン玉みたいに、ばらばらに飛んでいっちゃいそうな気がして。だから硬いとこに座ると安心するんだ。ねえ、律子さん。この椅子、だれかがいつのまにか仕舞ったりしないよね?」
律子さんは首を振った。「その椅子は備品じゃないの。病院のものじゃないの。ただみんなから忘れられているだけ。わたしがなにもしなければ、だれからも見向きもされないと思う。だから涼ちゃんが心配するようなことにはならないわ」