●111
お昼になると船橋さんに、いっしょに従業員食堂でご飯を食べないかと誘われた。これが最後だからと。ぼくは了承して彼のあとについて地下に向かい、久方ぶりに昼の食堂を訪れた。ホワイトボードに書かれていたその日のメニューは、炊き込みご飯と季節野菜の豚汁、豚の角煮だった。ぼくらは皿とお椀に料理をよそい、期間雇用アルバイトの席に向かいあって座った。箸立てから箸を抜き、いただきます、とつぶやいて料理を食べはじめた。
「相沢くんにはずいぶんと世話になったな。きみがいてくれて、どれだけ我々の仕事が楽になったか、言葉じゃ言いあらわせないほどだ」
「そんなことはありません」そそられない料理を箸で口元に運びながらぼくはこたえた。「いろいろとご迷惑もかけてしまいました」
「迷惑? きみに迷惑をかけられたことなんてないよ。あのじいさんはべつだけどね」
ぼくは首を振ってなにも言わなかった。船橋さんは言った。
「はっきり言って、わしは期間雇用のアルバイトという人間を、あまり信用してはいなかったんだ。彼らには多くの場合、責任感というものが欠けている。自分は社員ではない、この会社に勤める人間ではないから、大きなミスをしても背中を向けて逃げ出せばいい。そんな態度で仕事にのぞむ連中を山ほど見てきた。ところが相沢くんはしっかりやってくれたよ。社員のだれよりもよく働いてくれた。長崎に帰ってしまうのは仕方ないけれど、落ち着いたらまた戻ってきてくれていい。なんだったら、いつまでもここにいてほしいくらいだよ」
ぼくは礼の言葉を言って頭を下げた。食欲がなく、料理を少しよそいすぎたと思った。
「これからこの国はますます負担を抱えていくのだろうな」船橋さんは豚汁を息を吹きかけて冷まし、ずるずるとすすった。「きみたちの世代は苦労をすると思うよ。職を探すのも難しくなってくるだろうし、給料だってなかなか上がらないだろう。とにかく、そういうふうに言う学者もいるんだ」
ぼくは頷いた。豚肉は筋が多く、噛み千切るのに苦労した。野菜には色がなく、熱が通りすぎていて、味のついた段ボールの切れ端を食ってるみたいだった。
「相沢くんくらい若ければ、旅をしながら仕事をしてお金を稼ぐのもいいだろう。でもいつまでもそんなことをつづけるわけにはいかないよ。いつかはどこか場所を決めて、そこに根を張らなきゃいけない。でないとどこにも栄養が行き渡らないまま、育つものも育てられないからだ。信頼や実績、仕事のコツ。仕事を変えるたびにそれまで積み重ねてきたものをリセットするなんてもったいないじゃないか。きみは頭もいいし、物事を一歩離れて多角的に見ている。いまの暮らしはきみのように能力のある人間には似あわないんじゃないかな。一番はひとつところにどっしりと腰を据えて、手に職をつけることだ。職人なんかがいいだろうね。刀鍛冶や和紙職人、伝統的なものだとなおいいだろうな。ほかのだれもが真似できないから、競争になることもない。食いっぱぐれることがないんだ。そういう職を手に入れることがこれからの理想になっていくんだろう。わしの親戚にも——」
そこから先は聞いていなかった。あるいはもしかしたら、彼は彼なりにぼくを気づかい、背中を叩いてくれていたのかもしれない。その可能性もある。だが真実を求めようともしない人間の言葉などあまりにも軽すぎて、ぼくの芯を構成する部分に届いてくるはずもなかった。