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八時五十分に出勤し、タイムカードに印を押した。九時にミーティングがはじまり、裏方作業の従業員が、ベッドシーツやピローケースが積まれた薄暗い倉庫に集合した。そこで今日の予定を船橋さんが説明し、ぼくらはそれに耳を傾けた。午前中は宿泊客が帰ったあとの客室清掃、午後は客室清掃と、大浴場やカラオケボックスなど、各地の清掃とのことだった。要するにいつもどおりだ。
この日のぼくの担当は二階の客室だった。同じ階を金井さんと分担することになった。ぼくらは軽く打ちあわせをし、ぼくが二〇一から二〇七までの七部屋を、後半の七部屋を金井さんが清掃することに決めた。ノックをして客がすでにいないのを確認し、階共通のマスターキーで扉を開ける。スイッチに手を触れ、暗くなった部屋を明るくする。閉じたカーテンを開いて留める。ベッドシーツを剥ぎとり、ごみ箱をからにし、掃除機をかける。新たなシーツをベッドにセットする。洗面台は専用の雑巾で拭いた。便器をブラシでこすり、アルコールを吹きかけて除菌する。浴室に入って扉を閉め、壁や浴槽や鏡に洗剤をばらまく。手の届くところはすべてスポンジでこすり、排水溝にたまった髪の毛を取り除き、シャワーで全体を流してから、水に濡れている箇所を乾拭きする。掃除機を持ち上げ、部屋を出ていくときに、テレビ台の上に鮮やかな紫色をした、飴玉の包装紙が捨ててあるのを見つけた。ぼくはそれをズボンのポケットに入れた。
正午になる一時間前に二〇七号室までの清掃を終えた。廊下の向こう側をのぞくと、金井さんが二一〇号室の清掃を終え、二一一号室に入っていくところだった。二部屋は手伝うことになるだろう。ぼくはひとに見られていないことを確認し、二〇八号室の鍵を開け、足を忍ばせることもなく、なかへ入った。
部屋は綺麗に清掃されていた。靴を脱いでなかに上がり、寝室を横切って窓に近づくと、時間が経って床に落ちていたほこりが、陽光に照らされながら、ふたたび空中に舞い上がった。窓の外には海が見える。海面が太陽を反射し、室内の暗闇に秘匿された一画を明るみに引きずり出す。ぼくは目を細めながら、思わず口元に笑みを浮かべた。
振りかえり、金井さんの努力の痕跡を見つめた。ベッドシーツは洗い立てで、しわひとつない。冷蔵庫についた指紋は綺麗に拭きとられている。ぼくは部屋の中央へと歩み、ズボンのポケットに手を入れた。取り出し、握った拳を開くと、手の平の上には、けばけばしい飴玉の包装紙。ゆっくりと手の平を傾けると、それはやがて重力に負け、名残り惜しそうに肌から離れる。ひらひらと宙を舞いながら、時間をかけ、音もなくゆるりと床の上に着地した。