●99
どうやって街まで帰ったか、よくおぼえていない。いつもの五倍の道のりだったような気もするし、一瞬だったような気もする。走ったというよりは、転げ落ちるように道を進んできた。よく事故を起こさなかったものだ。
街に着くと陽は沈みかけていた。病院を出たのはたしか昼頃だったはず。どこかで時間を潰してきたのだろうか。病院で過ごした時間が思っていたより長かったのだろうか。それとも時間を飛び越えてきてしまったのだろうか。駐車場にバイクを停めてカバーをかけ、部屋に荷物を置き、寮を出た。
街を歩いた。陽は山の陰に入り、平地よりはやい陽暮れが訪れていた。宿に帰る観光客が足早に通り過ぎる。波の音が船の航跡のように彼らのあとを漂う。ぼくは海沿いを歩き、街中へ足を向けた。
商店街の寂れた一角に差し掛かったとき、声をかけられた。相手はしばらく洗っていないであろうしわだらけのスーツを着た、腰の曲がった老人だった。服は全体的にサイズがあっていないのか、袖や裾が重そうに垂れ下がっていた。額は禿げあがり、両脇に瘦せ細ったちぢれ毛がこびりついているだけだった。頭のてっぺんから出ているようなキーキー声で話した。
「そこのお兄さん、ちょっと話を聞いてよ」
ぼくは立ち止まり、老人を見下ろした。それがしゃべると口元から銀歯のきらめきがのぞいた。まとわりつくようにぼくに近づいてきた。
「いまなら一時間一万円だよ。遊んでいってよ。お客を呼ぶまで帰ってくるなって言われてるんだよ。このままだとおれ、路頭に迷うことになっちゃうよ」
ぼくは老人を凝視した。それは憐れみを誘う姿だった。ぼくの胸のなかで、正体のわからない感情が芽生えた。
「一時間一万円よ。このあたりじゃ一番安いよ。遊んでってよ。かわいい女の子ばかりだからさあ」
ぼくは近くのコンビニでお金を引き出し、老人の案内でネオンの光る看板をくぐった。店に入ると、寂れた雰囲気が鼻をついた。入口のすぐそばにハンガーラックが立っていて、派手な衣装がいくつかかけられていた。巨大なサボテンの鉢植えが、ひとの形をとって空間の隅を占めていた。照明は薄暗く、目を凝らさなければ足元を見失ってしまうほどだった。老人が受付の女性に何事か話し、ぼくをカウンターの前に誘った。ぼくはそこでお金を払った。老人はぼくの背中をぽんぽんと叩き、訳知り顔で頷いてみせた。