●96
次の休みの日。駐輪場へバイクを停め、病室に向かった。穏やかな天気だった。梅雨明けも近いのだろう。中庭は四日前のひと気のなさが嘘のように活気であふれていた。子供たちが走りまわり、その足元ではマーガレットの花が陽光を受けて七色に輝いていた。
病室の前で律子さんがぼくを待っていた。彼女の顔は青ざめていて、少しでも揺らげば、冷静さの仮面が音を立てて地に落ちそうだった。彼女はぼくに言った。昨日の夜から急激に症状が悪化して、目を覚まさない。どうしてこうなったのかわからない。兆候などなにもなかったのに。ご両親が昨日の晩から付き添っている。
ぼくは彼女の言葉に頷いた。彼女の脇をゆっくりとすり抜け、扉の取っ手に手をかけた。べつになかでなにかをしようと思ったわけではない。ただ、それがぼくの習慣だったからそうしただけのことだ。
なかに入り、ベッドに歩み寄ると、いつもとは異なる光景が広がっていた。小夜はベッドの上で仰向けになり、わずかに眉間にしわを寄せ、血の気の失った顔で浅く呼吸をしていた。ベッドの脇で何度か顔のあわせたことがある彼女の父親と母親が、顔を上げて闖入者であるぼくを見つめていた。父親の顔はパニックと動転で芯を失い、母親は直前まで泣いていたみたいだった。
ぼくはベッドの近くまで歩み寄り、精気の失われ、燃え尽きた小夜の顔を見下ろした。ぼくの動きを父親と母親の目が追っていた。灰になった彼女を見つめ、しばらくただ立ち尽くしていた。なにをするでもなく、ぼーっとポケットの内側をいじくっていた。やがて見かねた小夜の父親が、座ったらどうか、とぼくに尋ねた。ぼくは彼らの表情を見て、かつて小夜に言われたことを思い出した。
「そういえば、ぼくがお見舞いにくる日はきみの両親を見かけないね。なにか気に障ることでもしてしまったのかな?」
「そうじゃないの。あのひとたち、あなたに嫉妬しているのよ」
「嫉妬?」
「そう。わたしがあのひとたちには決して見せない顔を、あなたの前では見せるものだから」