●92
「相沢くんは将来の計画を立てているのかい?」
「いえ、特になにも。いつもその場しのぎです」
山口さんは頷いた。「それもいいかもしれないな。ある種のひとはいつだって、その場そのときに、己が抱えられる限界を抱えて生きている。きっといまのきみは飽和状態なんだろう」
ぼくはなにも言わず、揃ったペアを場に重ねた。
「ぼくは考える」彼は場に広がったカードを空いた手で几帳面に整えた。「十年先、二十年先、三十年先まで考えている。もちろん、ひとはいつ死ぬかわからない。たったいまなにかの発作を起こして死ぬことだってあり得る。それでも未来のことを考えているのは楽しくてね。きっとぼくは怠け者なんだろうな。いま抱えきれる分を抱えず、荷物の半分くらいを地面に置いて休んでいるんだ」
「すべては現実にも繋がっていますよ」
「そう言ってくれて嬉しいがね。まあとにかく、ぼくはこの職場をそう遠くないうちに辞めることになるだろう」
「熱海を出るんですか?」ぼくは少し驚いて尋ねた。
「ああ、もちろんそういうことになるだろうな」彼は眉間にしわを寄せ、透視を試みるかのようにぼくの手札をにらんだ。「ぼくはこんなところで終わりを迎えたくはない。お金持ちになって、もっと生活を充実させたいんだ。ここで阿保みたいに命令どおり動いているのは楽ではあるけどね。でもそんなの退屈にもほどがある。従業員食堂の飯はまずいし、冷暖房もない無機質な灰色の部屋で、これから先何年も生きていくだなんて、考えただけでぞっとする。それにこんなところじゃ異性のパートナーだって見つけられやしない。そんな人生は残念すぎる。はっきり言って、ぼくはもっと女の子と仲よくなりたいんだ」
彼はぼくの手札からジョーカーを引き抜き、しまったという顔を見せたけど、すぐに真顔に戻った。
「ぼくは自分の店を持とうと思ってるんだ」彼は言った。「せっかく英語を話せるんだから、外国人向けの店がいいだろうな。ゲストハウスか、あるいはなにかの土産物屋か。いまそのために大量の本を読んでいるところさ。経営のこととか、法律のこととか、知らなければならないことが多いんだ。なにしろ大学では生物学を専攻してたんでね。あれが役に立たないとは言わないよ。生命の仕組みをある程度でも理解できたことで、ぼくの哲学も少しは充実したろうから。それでもひとつのことに集中しすぎたせいで、ほかのものがおろそかになっているんだ。ぼくがこれから学ばなければならないことを素材にすれば、熱海の街が丸々ひとつつくれちゃうだろうな。とりあえず、いまはできることを全部やる。実は店を開く場所は目星をつけているんだ。香川に親戚が住んでいてね。こちらが望めば、とある離島の廃屋を譲ってくれることになっている。そこを改修し、島を訪ねてきた観光客相手に、なにかはじめようと思っているんだ」