●63
律子さんの車は律子さんらしく、コンパクトで淡い色あいのブルーだった。ぼくは後部座席のパワーウィンドウに頭をもたせかけ、つぎからつぎへと流れゆく外の世界を乾いた目で眺めていた。車のランプは列を成して闇夜を煌々と照らし、その脇を追い抜くと、ぼくの網膜に線となって焼きついた。律子さんの運転は穏やかで丁寧だった。スムーズな動作で左折し、混雑する東海道から熱海につづく一三五号線へと合流した。
運転に注意を向けている律子さんの眼差しは、外の灯火を宿していた。「まだ時間はかかるだろうから、到着するまで寝てていいのよ」彼女はバックミラー越しにぼくを見つめ、そう言った。
運転で前方にのみ注視する必要のない新鮮さが、ぼくを眠気から遠ざけていた。熱海と小田原の間をこんなふうに移動するのは初めてだ。外は暗く、見慣れた景色は闇に潜んでいたけれど、普段スイッチにしか触れていなかったラジオを分解して中身をのぞいてみたような、浮ついた気分になった。一三五号線は空いていた。乗っている車より、時折走り抜けていく車のエンジン音のほうが、高く大きく耳に響いた。これなら耳を澄ませば波の音さえ聞こえるのではないか。そんな気がした。海は近いようで、木々や崖によって遮られていた。車体の揺れは規則的で、曲がるときは緩やかな弧を描いた。試しに瞼を閉じてみると、外の景色——赤いテールランプの航跡や木々の影、その合間からのぞくひと気のない砂浜が、瞼を開いているときと同じように鮮明に見えた。ぼくはどこか懐かしい感覚に包まれ、それに身を任せた。
律子さんに優しく揺り起こされて目を覚ました。気がつくと車はすでに停止していて、窓の外を見ると、ここが熱海のスーパーの駐車場だということがわかった。律子さんは運転席からこちらを振りかえって、ぼくの膝に軽く手をのせていた。
ぼくらは共に車を降り、ひとまず海の見える場所まで歩いた。日中の疲れは眠っている間にどこかへ行ってしまった。時刻はほとんど二十時だった。律子さんは周囲を物珍しげに眺めていた。
「熱海は訪れたことがあるんだろう?」とぼくが尋ねると、「実を言うと二十年振りくらいなの」と返事が返ってきた。