1-4 バルバロス(上)
たき火がパチパチと燃えていた。
結局、傷のついた手には包帯を巻いた。いま、あたしは地面で寝袋にくるまりながら本を読んでいる。ビーストテイマーの指南書だった。どうすればビーストが自分に懐いてくれるのかを読んで探しているのだ。そして見つけた方法は2種類。恐怖あるいは愛情であった。
1つ目の方法、恐怖。つまり主人に対してビーストが絶大なる恐怖を抱けば良い、と言うやり方である。ビーストが主人の命令に従わない場合はムチを与え、それでも聞かない場合は無関心を与える。それを徹底的に繰り返すことで、ビーストは恐怖を覚え、言うことを聞くようになるらしい。
……このやり方はあたし向きじゃないな。
2つ目の方法、愛情。つまり主人に対してビーストが家族のような愛を感じられるような関係を築く、というやり方である。ビーストに対し、親が子に接するような愛情を与え続ける。しかしいくら愛情を与えてもビーストは懐かない。やがて愛情は薄くなり、何も与えるものが無くなる頃、ビーストは主人に従順を示すのだという。
……やるとしたらこのやり方ね。でも、これは時間がかかるわ。
あたしはたき火の対面をちらりと見た。そこではヒューイが体をまるめるようにしてグーグーと寝息を立てている。結局、あたしはお昼ご飯を与えてしまった。夕食もそうだった。甘いと思われるかもしれないが、自分が授かったばかりのビーストに空腹を強いるのはどうしても可哀想だったのである。
あたしは肘を立てて、手のひらに顎をのせる。そしてヒューイの横顔をまじまじと見つめた。ウルフのような立派な顔立ちをしている。これがドラゴンだと言われれば、そう見えなくもなかった。背中には小さいが翼があるし。体は毛が生えており、この数日でもう長くなってきた。モフモフである。可愛い。絶対に仲良くなりたい。両手でその体を抱きしめたい。だから、恐怖で手懐けるなんて方法は絶対にダメだ。
「ヒューイ」
あたしは意味もなく名前を呼んだ。ドラゴンは起きない。すやすやと眠っている。あたしたちはこの世界でたった二人ぼっちだ。帰る場所なんて無い。ヒューイだけが、今のあたしの家族である。そう思うと泣けてきた。
「絶対、あたしが守ってあげるからね」
あたしは右手を下ろして空を見上げた。満天の星空が輝いている。この数日間、雨が降らなくて本当に良かった。テントなどは持っていないので、降られたらその日は木の下に泊まることになる。もちろん眠ることはできない。
明日の昼には森を抜けて町に着くだろう。町に着いたら宿屋を探して、食堂で食事を摂って、次に冒険者ギルドに行って、それから、それから……。だけどその前にヒューイを手懐けなければいけない。結局、思考はまた振り出しに戻るのであった。
その時だ。森の木々が揺れるような風が起こった。
「な、なに!?」
あたしはびっくりして寝袋から這い出る。ヒューイも起きたようで、顔を上げて目をパチクリとさせていた。
バサッ、バサッ、バサッ。
いくつもの翼がはためく音がして、空を見上げると大ワシをもっと大きくしたようなモンスターが三匹いた。こちらを狙っている。このモンスターは村でも見たことがある。
――バルバロスだ!
バルバロスの一匹が翼をはためかせて、空中からあたしに突っ込んでくる。あたしは地面を転がるようにして回避した。風圧でたき火が吹き飛んだ。木枝が地面に散らばって、火をくすぶらせ、やがて火は消えた。
バルバロスはまた空中に身を躍らせる。
「バローウ!」
二匹目のバルバロスが突っ込んで来る。今度の標的はあたしではなくヒューイだった。あたしは叫んだ。
「ヒューイ、避けて!」
「が、がるぅぁぅぁぅぁぅぁぅ」
ヒューイは動けずにぶるぶると震えてわなないている。そりゃあそうだろう。生まれてからまだ二日と半日しか経っていないのだ。初めて出会った巨大生物に、なすすべも無い様子だった。
……あたしがやらないと!
あたしは移動してヒューイを守るように立った。バルバロスのかぎ爪がもう目前に迫っていた。短剣を取り出して、踊るようにその前足を切り裂こうとする。
ガツンッ!
……お、重い!
バルバロスの足は傷ついただけで切断とまではいかなかった。二匹目が通過し、空中に帰って行く。あたしはヒューイを振り向いた。
「ヒューイ逃げて! 逃げて逃げて!」
「が、がろわぅわぅわぅわぅわぅ」
「いいから逃げてってば! 早く!」
「バローウ!」
三匹目のバルバロスがこちらを狙っている。大きく翼をはためかせて、突っ込んできた。
「ヒューイ! 逃げてってばあ! 後ろへ走って!」
「がうわぅわぅわぅわぅわぅわぅ」
ヒューイは震えてばかりだ。あたしはバルバロスの攻撃を弾こうと両足を精一杯踏ん張った。しかし油断した。後ろから、先ほど攻撃したうちの一匹が同時に突っ込んできたのである。
「バローウ!」
「くっ!」
ガツンッ!
あたしは正面のバルバロスの足と短剣を交差させて、瞬間しゃがんで避けた。正面から来たバルバロスが空中に身を昇らせる。後ろから来たバルバロスも通り過ぎたようだった。あたしは立ち上がってヒューイを見た。いない! さっきまでそこにいたのに! まさか!?
空を見上げると、後ろから来たバルバロスのかぎ爪にヒューイの体が握られていた。
……しまった!
「がうわぅわぅわぅわぅ! がうわぅわぅわぅわぅわぅ!」
ヒューイが泣いているような鳴き声を上げている。そして三匹のバルバロスは翼をはためかせ、森の向こうへと飛んで行こうとしていた。ヒューイを捕獲したため、満足したようである。
……どうしよっ! どうしようどうしよう!
あたしはパニックになりそうな思考を必死にこらえた。リュックの中から魔法書を取りだし、ウインドムーヴの欄をめくる。それは走るための速度を上げる魔法であった。ビーストテイマーであるあたしは、もちろんテイム以外の魔法が不得意である。だから魔法を発動させるためには呪文の全文を読まなければいけなかった。10行もある。あたしは読み始める。
「か、風の魔法シルフよ。我の足を加速させたまえ。ね、願わくば疾風をここにもたらしたまえ。わ、我はいい韋駄天となるために汝の力を今ここに求める者なり。サラサニダサヤ。テ、テリマエリエマ。我は祈り訴える。ね、願いを大気に放つ。正義のために戦うことをここに誓う。こ、ここに汝の力を具現化させたまえ。うっ、ウインドムーヴ!」
古代語も含まれているその全文を読み上げる。かなり声が震えてしまった。瞬間、あたしの足が緑色の光に包まれていた。良かった、震えた声でもちゃんと発動したようだ。魔法の制限時間は十分間。あたしは魔法書を捨てて、バルバロスが飛んで行った方向に全速力で走り出した。獣道のような道では無い道を通り抜けていく。途中、藪や枝に体がこすれてたくさんの傷がついた。