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1-19 崖



 あたしは崖っぷちに追い込まれていた。崖の下を見ると、10メートルは高さがありそうだ。下は木々や藪が茂っている。だけどその先は出口が近く、平原が広がっていた。クラノヘイム領の夜店の明かりが遠くに小さく見えた。


 目の前には白銀のウルフがいる。馬のように大きく、目つきや牙は鋭い。その姿は神々しいのだけれど、今のあたしには死に神のように映った。あたしは何度も転んだせいで服や体がボロボロだった。もう、何かもあきらめてしまいたくなる。


 山賊の男たちからは何とか逃げ切れたようだ。だけどこのウルフだけはまくることができなかった。逃げ道はない。もう、戦ってウルフを倒すしかない。だけど勝てるだろうか? この疲れた体で……。


 あたしは一か八か両手に短剣を構えた。ウルフはあたしから一定の距離を保っており、攻撃してくる様子はない。生け捕りにするつもりなのだろう。させるものか。あたしは覚悟を決めた。


 りんっ。


 イヤリングの鈴が鳴った。戦いの開始の合図だった。


「おーどれおどれー、空は雷、地が揺れる~、踊る巫女には福音が鳴る~」


 四肢に力がみなぎる。あたしは一直線に突っ込んで、ウルフの目を狙って短剣を振るった。だけど鼻に命中した。


「グオウ、ゴオウ!」


 ウルフはあたしの攻撃を気にすることもなく、その頭で突き飛ばした。


「ぐうっ!」


 ズザーッ。


 地面に足をすらせて止まる。何とか落っこちずに済んだ。だけどびっくりした。たしかに短剣が鼻に当たったと思ったのに、ウルフに傷がついていない。嘘! ウルフの肌にはあたしの攻撃が通らなかった。それだけ皮膚が硬いってこと?


 あたしは歯をかみ合わせて、もう一度攻撃を仕掛ける。


「いーくさいくさー、斬れや斬れやで、猛者の体を踏んでは踊れ~」


 りんっ。


 駆け抜ける。今度はウルフの目を狙うと見せかけて顎を狙った。


 ガジッ。


 短剣を噛まれた。ウルフは顔を振ってあたしの体を吹き飛ばす。


「ああーっ!」


 あたしは地面に転がって止まった。崖から落ちる寸前で停止する。ダメだ。このウルフ強すぎるよ。あたしは尻餅ついて上半身を上げた。肩をがっくりと落とす。


 もうどうでもいい気分だった。あたしは癇癪を起こしたようにまくしたてる。


「何よ! 何で貴方たちはあたしを襲ってくるのよ! あたし何か悪いことした? 何も悪いことしてないじゃない! なのに、なんで攻撃してくるの!」


「グオ? ぐおーぅ」


「貴方は主人の言うことを聞いているだけなんでしょうけれどさあ。あたしは貴方に何も悪いことをした覚えがないの! 分かったら主人の元に帰りなさい。帰ってよお!」


「グワーウ、ぐるるぅ」


「大体貴方、その硬い肌反則じゃない! 足の速さだってそうよ! 人間がウルフの足の速さにかなう訳ないじゃない! 卑怯よ! 卑怯でしょ? そうよね! 貴方は卑怯者よ。それでも誇り高きウルフなの!?」


「ワウゥゥ、ぐるるぅぅ」


「さっきから貴方、何言っているか分かんない!」


 あたしはもう降参だった。瞳からボロボロと涙がつたう。


「あたしは、あたしはさあ。あの帽子の男に捕まって、レイプされちゃうかもしれないんだよ? なんであんな脂ぎった顔の男にレイプされなきゃいけないのよお! それで、名前も知らない男の子供を産めって言うの? ふざけんじゃないわよ! 貴方それでもウルフなの!?」


「こんなふうにか弱い女の子を森に誘拐して。それで牢屋に入れて、その後は裸にひんむいて、楽しんで遊ぼうって魂胆でしょ!? 見え見えよ! 貴方たちのやっていることは極悪非道だわ! それでも誇り高きウルフなの? 恥を知りなさい!」


「何であたしがこんな目に遭わなきゃいけないのよ! 大体おかしいのよ! 孵化授与式でドラゴンを引いて! 村を追い出されて。しかもそのドラゴンが全然言うことを聞いてくれなくて! 困っていたところに今度はバルバロスが来て! おかしいじゃない!」


「大体、貴方の顔、山賊の仲間って顔じゃないのよ! 本当は良いウルフなんでしょ? だったらあたしを逃がしなさいよ! 追っかけて捕まえるんじゃなくて、逃げる手伝いをしなさいよ! それとも貴方もあたしをレイプしようっていうの!? それでも誇り高きウルフなの!?」


「大体貴方、あたしの冒険者ランクはDなんだからね! 言っておくけど、超弱いんだから! それを大人数の男で寄ってたかってイジメて。恥知らずも良いところだわ。貴方もそう思うでしょ? 思うわよねえ! だったらあたしを逃がしなさいよ! こんなふうにDランクの冒険者の、それも女一人を追い詰めて、それでも誇り高きウルフなの!?」


「ぐわぅぅ……」


 白銀のウルフが困ったように小さく鳴いた。その後ろから一つの足音が聞こえてくる。視線を向けると、木々の合間から長く白い髪の女が顔を出した。紫色の薄手のローブを着ている。セフィと呼ばれていた女だ。腰には帯剣をしている。


「そなた、あたしのベルゼルをそんなふうに言葉でいじめないでいただけるか?」


「あなたね! そのウルフの主人は!? ビーストへの教育がなってないのよ!」


「教育がなっていない? それはすまなかった。私自身も顧みるところである。ところでそなた、イリアと言ったか?」


「だったら何よ」


「私はセフィ。イリアよ、仲間になりなさい。大丈夫、レイプなんてさせたりしない」


「さっきされそうになりましたけど!? あの帽子の男にね!」


「それはすまなかった。けど、ここからは私が守ろう。さあ、武器をしまいなさい」


「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき! 甘い言葉で誘って騙して。貴方も私をいじめて、寄ってたかって何か奪おうって言うんだ! あたしは何も持って無いのに! もう、意味が分かんない。意味が分かんないって。意味が分かんないよぉっ。う、うぅ、うぅぅぅ、うわああああぁぁぁあああん! 誰かあぁぁぁぁあああああ、助けてえぇぇぇぇええええー!」


 あたしは大口を開けて泣き出した。もうダメだ。捕まって裸にひんむかれてレイプされてお仕舞いだ。あたしは何のために生きてきたのだろうか。あたしは何のために今まで鍛錬を積んだのだろうか? 全てが無意味だ。


「せめて、好きな男の人のところに、お嫁に行きたかったあぁぁぁぁああー!」


 その時、風が鳴った。


「ガルアーッ!」


 木々の合間を縫うように通り抜けて、ナニカが突っ込んで来る。そのナニカはセフィの隣を通り抜け、あたしを崖から突き飛ばした。一緒に落っこちる。


「う、うええぇぇぇぇえええええ!?」あたしは叫んだ。


 空中で目をこらすと、ヒューイがいた。あたしの腕にかじりつき、あたしを守るようにその体でくるむ。そしてあたしたちは下の地面へと叩きつけられた。衝撃があったがそれほどの痛みはなかった。ヒューイが下敷きになってくれたからである。びっくりして、あたしは膝立ちになった。目の前にいるヒューイのお腹に手を当てる。


「ヒューイ!?」


「が、がるあー」


 ドラゴンがヒールを唱えた。緑色の光につつまれて、地面に打たれたダメージを回復する。あたしは助けてもらったのだけど、ヒューイに対して激しい怒りを覚えた。どうして戻ってきたのよ! せっかく逃がしてあげたのに! ヒューイの顔を両手で掴んで振り回す。


「ヒューイ! 何で助けに来たの! 逃げなさいって言ったでしょ?」


「がるるーあ」


「馬鹿じゃないの貴方! 助けに来たって殺されるのよ! 逃げろって行ったでしょうが! 大体貴方おかしいじゃない! おかしいって、おかしいよ! 緑色の毛がふさふさなのに、ウルフみたいな姿なのに、その実はドラゴンだったなんて! おかげで村を追い出されちゃったじゃない! それに全然言うことを聞いてくれなくて! 自分にヒールばっかりかけて! あたしがどれほど困ったと思ってるの!? 冒険者ギルドで、笑いものにされるところだったじゃないの! それに貴方、毎日毎日三食ご飯食べ過ぎなのよ! 一食につき銀貨二枚って一体どういうことなの!? 銀貨一枚あれば宿屋に泊まれるんだからね! おかしいじゃない! おかげであたしの家計簿は火の車なのよ! 狩りのやり方を教えたって中々覚えないし、それどころかモンスターに殺されかけるし、貴方なんてお荷物なのよ! それにそれに、第一寝てる時のいびきがうるさいのよ! がうがう鳴き声上げながら気持ち良く寝て! おかげであたしは毎日寝不足なんだからね! もう! 言いたいことは山ほどあるんだから! だけど、だけど今はそんなことどうでもいいわ。早く一人で逃げなさいよ! あたしが時間を稼いであげるから!」


 べろり。


 ヒューイがあたしの顔を舐めた。


 見ると、優しい顔である。


「ヒューイ、助けに、きてくれたの?」


「がるあ」


「ダメだよ。殺されちゃうよ」


「がるあう!」


 ヒューイが凜と鳴いて真っ直ぐに見つめる。それはあたしが見たことのないヒューイの立派な瞳だった。あたしを守ろうとしている。


「ひゅーいぃ」


 あたしはまた、目からボロボロと涙がこぼれた。


「ありがとう、ひゅーいぃぃぃぃ」


「がるあう!」


 あたしたちは抱き合った。ヒューイの体がとても温かい。


 ふと、隣で声がした。


「あのー、俺もいるんだが?」


「え!?」


 顔を上げると、何とディアスがいた。ロングソードを抜いており、これから戦う格好である。そうか。暗くてよく見えなかったが、ヒューイはディアスを乗せて連れて来てくれたようだ。だけど崖から落ちて、どうやって助かったのだろう?


「いま、崖から落ちましたけど?」


「ああ。落下中に木の枝に捕まって、降りてきたぞ」


「そうなんだ! あの、ディアスさん! 私いま!」


「イリア! 何か込み入ったことになっているみたいだけど。とりあえず切り抜けるぞ。ちっ、敵が来やがったな」


 スタッ。


 あたしたちの前方に、ウルフに乗ったセフィが降り立ったところだった。



次は19時20分です。

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