1-17 捕虜
「がるあるう、がるあるう、がうがうがうがう」
近くでヒューイの声が聞こえた。あたしははっとして目を覚ます。やけに肌寒かった。あたしは両手で自分の腕を抱いた。目の前には天井から床まで伸びている鉄の柵がある。ここって、あれだよね? 牢屋だ。ヒューイの声がした左の方向を見ると、鉄の柵を隔てて牢屋に入れられていた。首輪と鞍は装着したままである。
ヒューイはあたしが目を覚ましたことに安心したのか、顔をほころばせる。
「がるあ♪ がるあ♪」
「ヒューイ、良い子」
あたしは鉄柵の隙間からヒューイの鼻を撫でる。
「がるるぅ♪」甘えたような声だ。
「待ってね。ヒューイ、助けてあげるからね」
あたしは辺りをキョロキョロと見回した。他に捕まっている人はいないようだ。牢番もいない。右通路の行き止まりに上への階段が見えた。もしかしたら、ここは地下室なのかもしれない。
自分の姿を見ると、元々着ていた緑色のシャツに短パンという姿だった。レザーブーツも履いている。手錠などはかけられていない。だけど短剣は没収されていた。そりゃあそうか。
あたしは悪い人に捕まったみたいだ。あのハンチング帽の男、何者なんだろう? 海賊だろうか? 山賊だろうか? あたしとヒューイをこれからどうするつもりなのだろう。
あたしはまだ16才だけど、捕虜になった女の扱われ方について、ある程度の知識はあった。つまる話、男たちにレイプされるのだ。あたしは処女であることを思い出して、身の毛がよだつ思いになる。
だけど自分のことは二の次だ。まずはヒューイを逃がしてあげなければいけない。ヒューイだけには生きて欲しい。まだ生まれてから一週間そこそこである。赤ちゃんのようなものだ。あたしの赤ちゃんである。だから、ヒューイにはひどいことをされたくなかった。
助かるにはどうすれば良いだろう? 敵は必ず様子を見に来ると思う。作戦はいくつか思いついた。
例えば仲間になるのでここから出して欲しいと訴えるのだ。牢屋を出してもらってから逃げる機会をうかがえば良い。だけど、それでもあたしはやはり犯されるのかもしれない。好きでもない男と愛し合うなんて、最大の屈辱である。
……違う方法はないかしら。
あたしは考えに考えて、ヒューイに話しかけた。
「ヒューイ、これからあたしの言うことをよく聞いて」
「がるあるん?」
逃亡するための作戦を説明していく。
「良い? あたしはこれから気絶しているふりをするから、ヒューイも休んでて」
「がるあう!」
そして、あたしは牢屋の床に仰向けで寝そべり、スースーと息をして気絶している振りをした。それから一時間、また一時間と過ぎた。
牢屋の右手の方にある階段から誰かが降りてくる足音がした。
「ぐっはっはっはっはー。酒がうめーったらありゃしねえ」
あたしは目を閉じていた。だけど声で分かる。あたしを誘拐したあのハンチング帽の男の声だ。
「やっぱり地下は涼しいぜぃ」
独り言の声と足音がどんどん近づいてくる。
「よっしゃー、今日は年端もいかない少女と盛るぜぇ。なあブラックカイザー、お前もうビンビンじゃねーか。ぐはははっ」
ブラックカイザーとは何だろう? もしかしたら、自分のチン○に名前をつけているのかもしれなかった。超キモいんですけど。
「お、まだ気絶してるな?」
ハンチング帽の男はあたしの牢屋の前で立ち止まった。鍵を持っているようでチャリチャリとそれが音を立てる。やがてあたしの牢屋の扉を開けて、中に入って来た。
「がうがう! がうがう!」
ヒューイが興奮したように騒いでいる。
「うるせえぞ! ドラゴンは黙ってろ! じゃないとー、おしおきペンペンだ!」
あたしはまだ気絶している振りを続けていた。ハンチング帽の男はあたしのそばにしゃがみ込む。ほっぺをぺちぺちと叩かれた。
「おい、起きろイリア。俺のブラックカイザーを鎮めろ」
「ふえ?」
そこであたしは目をこすりながら上半身を起こす。目をこすっているのはもちろん縁起だ。
「キスがしたいですぅ」
あたしは寝ぼけているふりで甘ったるい声を出した。
「キス!? ああ、してやろうじゃねえか。へへ、案外積極的な女だな」
相手が酔っ払っていて良かった。ハンチング帽の男があたしの顎に手を当てて、クイッと引く。タバコと酒臭い唇が近づいてきた。あたしはベロチューをねだるように思いっきり舌を出した。男も応えるように舌を出す。
ドッ!
あたしは両手を床について体を後ろに滑らせ、男の顎を思い切り蹴り上げた。切断された舌が床に落ちる。
「な! なああぁぁぁぁああっ!」
自分の歯で自分の舌を切り落とした男が、両手で口を押さえて下を向く。血が噴水のように吹き出していた。それからあたしは俊敏に行動した。男から鍵を奪い、牢屋を出る。そして自分のいた牢屋に鍵をかけた。
「ヒューイ、いま助けるからね!」
「がうあう! がうあう!」
隣の牢屋の鍵を開けてあげる。あたしたちは抱きしめ合った。
「ヒューイ!」
「がるあ♪ がるあ♪」
「よし、逃げるよ。慎重に歩いて行くよ」
「がるあう!」
「お、おばえら、ただで済むとおぼうなよ!」
あたしの捕まっていた牢屋ではハンチング帽の男が捨て台詞を吐いていた。口からの出血がひどく、ぶくぶくと血の泡を吹いている。左手で口を押さえている。
「さようなら」
牢屋の鍵はポケットに入れておく。
あたしは通路を歩き、階段を上った。そこでは中年の男たちが宴会をしていた。樽ジョッキをあおっており、ガヤガヤとうるさい。着ている服装からして、冒険者のような風情である。窓からは森の木々が見えた。海ではないことからここにいる男たちは海賊ではない。だったらたぶん、山賊だよね。
「おい、捕虜のお嬢さん、ザイラックさんはどうした?」
あたしに気づいた男の一人が声をかけてきた。しかしあたしは答えない。キョロキョロと視線を動かして、自分の荷物を探していた。そして見つけた。扉の入り口にリュックと双短剣の入った鞘が置いてある。
「ザイラックさんはどうしたんだ? いま、階段を下がっていったよなあ?」
「おい、まさか!」
「「みんな!」」
やがて部屋中の男たち全員があたしの脱走に気づいたのだった。というか気づくのが遅すぎ。あたしはヒューイの背中に手を置いて指示した。
「ヒューイ、エアロウインドよ!」
「ガルアルンガ!」
部屋に小さな竜巻が起こる。テーブルに載っていた料理は散乱し、樽ジョッキは床に落下して液体をこぼした。山賊たちは驚いてしゃがんだ。
「「な、なんだ!」」
「ヒューイ行くよ!」
「がるあー!」
あたしはヒューイと一緒に扉に走った。そこで双短剣とリュックを回収し、扉から飛び出る。それほど荷物の入っていないリュックをあたしは担いだ。
辺りは暗く、夜が来ていた。丸太で作られたロッジが八つほどある。ここはどこの森だろうか? あたしは夜空の月を見上げた。月の角度からして、クラノヘイム領の南にいるようだ。町へ戻るには北へ逃げないといけない。あたしは走った。その後ろからヒューイが着いてくる。
「非常事態だ! 非常事態! 捕虜が逃げたぞー!」
後ろで誰かが叫んでいた。すぐにロッジから山賊の男たちが何人も出て来た。シミターを持って構えている。あたしはヒューイの首に手を置いた。
「ヒューイ、ここはあたしが引き受けるわ。貴方は先に逃げなさい」
「がうる? がうがうがう」
ヒューイは嫌だ嫌だというふうに首を振る。
「大丈夫、あたしも後で追いかけるわ!」
「がるるーん」
ヒューイはやはり首を振る。
あたしはその頬を思いっきり張った。
パンッ。
「ヒューイは戦いの邪魔なの!」
「が、がう、がうゎぅゎぅゎぅゎぅ」
ヒューイは泣き出しそうな声を上げて、一歩後ずさった。あたしはその頭に手を乗せる。
「逃げて。そして明日はご馳走を食べようね」
「が、がう!」
「よし、良い子。行って!」
ヒューイが走り出す。ヒューイも北の方角に町があることを分かっていたようで、迷うことなく駆けて行った。
「ドラゴンが逃げたぞー!」
「行かせるものですか!」
あたしはヒューイを追いかける山賊に短剣を向けた。ポケットから鈴のイヤリングを取り出して耳に装着する。
りんっ。
敵の合間をすり抜けるように走って、ヒューイを追いかけようとする山賊たちの前に躍り出た。振り向きざまに短剣を薙ぐ。敵とあたしの刃が交差する。カーンカーンと音がして、チカチカと火花が散った。あたしは歌った。
「いーくさいくさー、斬れや斬れやで、猛者の体を踏んでは踊れ~」
りんっ。
バシュッ、ズシュッ、ザシュッ。
「「あがぁぁぁぁあああああああ!」」
首を斬られた山賊たちが次々に地面へと伏せる。頸動脈を押さえている者もいた。だけど出血がひどい。もう助からないだろう。
この戦舞踏という剣術は、歌って踊ることで自分の力を最大限まで引き出すことができる。フェルメル村の剣術道場の師範はこう言っていた。
(どんなに頑張っても、人間は自分の力を30パーセントまでしか引き出すことができません。しかし戦舞踏は剣術でありながら、リミッター解除の秘術でもあります。極めれば、30%を超える力を引き出すことができます。そしてイリア、貴方はすでに40パーセントほどの力を引き出すことに成功しています)
歌を歌うと、お酒を飲んだように頭の中がとろんとなり良い気分になる。力が溢れる。対峙する相手と共にダンスするように、相手の動きを予期できる。ただ、やりすぎると反動でひどい疲れが来る。
いま、あたしの左右から攻撃が来た。山賊たちはシミターを上段から構えて振り下ろす。あたしは踊るようにリズムを刻んで、はらりひらりとシミターを避ける。両手を広げて瞬時に横に三回転した。二人の男の首が飛ぶ。
「「ぐばあぁぁぁぁあああああああ!」」
「な、なんだこいつは!?」
「しょ、少女のくせにこんな強えのかよ……」
山賊の男たちが怯えたように立ちすくんでいる。あたしはまたステップを踏んで、男たちの群れに接近した。そして歌う。
りんっ。
「おーこれおこれー、首飛び首落ち首跳ねる~、血の雨降らせて踊りましょ~」
グサッ、ズサッ、バスッ。
「「ぐぁぁああああああああああああ!」」
また首が三つ飛んだ。
りんっ。
……はあ、はあ、8人も殺した。
見回すと、山賊たちはまだ大勢いるのだが、シミターを持つ手がぶるぶると震えていた。みんながあたしを怖がっている。顔が恐怖に歪んでいた。
ヒューイはもう遠くに逃げただろうか? 後はあたしが姿をくらませば良いだけである。ふと山賊たちの後ろから、白銀のウルフを連れた白い髪の女が歩いてきていた。
「いけませぬ。皆さま、この体たらくは何ですか? ザイラックはどうしたのですか?」
「「セフィ様!」」
「「セフィ様お願いします!」」
「お願いしますと言われても、私は貴方たちのお守りをするためにここにいるのではないのですよ?」
あたしは気づいた。セフィという女の目がオッドアイだ! 右目が黄色、左目が緑色。あたしとは色合いが違うようだ。だけど今はそんなことどうでも良い。
「そこの女、イリアと言いましたか? 降伏なさい。そうしないと、痛い目を見せますよ?」
「あ、あたしは」
何だろう。体に鳥肌が立った。本能が告げていた。セフィはあたしより格上である。何より、ビーストのウルフが馬のように大きく、牙が鋭い。あの牙で噛まれたらひとたまりも無さそうだ。
あたしは怯える心を堪えて言い放った。
「あの男はまだ牢屋にいますよ?」
「あの男? ザイラックですか?」
あたしはポケットから牢屋の鍵を取り出した。
「これをお返しします」
「ん? それは牢屋の鍵?」
「それ!」
あたしはロッジの屋根の上に鍵を投げた。山賊たちの視線が鍵のある方向に集中する。あたしは背中を向けて、北へと一直線に駆けだした。
「皆の者、追いなさい! くれぐれもイリアを殺さぬように。ベルゼルも行きなさい」
「アオーン!」
後ろから山賊たちが追いかけてくる。その後ろからウルフも走ってきた。速度がとても速い。背中から突進を食らいそうになるとあたしは横に跳んで避けた。立ち上がってまた走り出す。突進を避けては走り、地面を転がっては反動を使って立った。それを繰り返した。だけど、人間は振り切れるけど、どうしてもウルフを振り切れない。当然だ。相手はウルフなのだから。
町へ、町にさえたどり着けさえすれば誰かが助けてくれるはずだ。そう信じた。あたしは体にムチを打って、回避を繰り返しながら逃走していく。




