その時リュデルは
アーデンとレイアがニリド村の依頼でシェカドを離れている時の事だった。冒険者リュデル・ロールドは、シェカドの冒険者ギルドの長を務めるトロイの元を訪れた。
「失礼しますトロイ様。リュデルです」
リュデルは扉をノックして声をかけた。すぐに返事が来る。
「ああ、待っていたよ。開いているから入ってきてくれ」
トロイの言葉を聞きリュデルは扉を開き中に入った。対面に座るように勧められてからリュデルは椅子に腰を下ろした。トロイの机の上には山と積まれた書類が置かれており、ギリギリまで手を止めずペンを置かなかった。
「お待たせしてしまいましたか?」
「ははっ、言葉の綾だよ。君は約束を破らないし、時間も厳守だ。素晴らしい姿勢だよ、私も見習わないといけないな」
「いえ僕なんてまだまだの未熟者です。トロイ様からは学ばなければならない事ばかりですよ」
挨拶代わりの社交辞令、そんなやり取りにも慣れた様子で付き合うリュデルの姿に、トロイは年齢以上の経験や教育を施されている事を感じ取った。
決して敵ではないが油断も出来ない。トロイのリュデルに対する印象はずっとそれだった。
「それで、どうだった?」
「アーデンさんとレイアさんの持ってきた情報は素晴らしいですね。偶然手に入れたとの事ですが、値千金の活躍ですよ」
リュデルは自らが調べて集めてきた資料をトロイに手渡した。それは分厚く、枚数も想像がつかない程だった。
「それが暗躍者が接触したと思われる冒険者のリストです」
「…これほどかね?」
「人選には相当苦慮したようですね。どの方も記憶を操作されて顔を覚えていないのが悩ましいですが」
紙をめくるトロイの手が止まった。
「記憶操作だと?」
「ええ、その類いの魔法を使われた痕跡が見つかりました。こちらを御覧ください」
リュデルが懐から取り出したのは、手のひらに収まるサイズの小さな筒だった。中に美しい砂粒のような物が入っている。
「これは僕が所持するアーティファクトの一つ、魔法の痕跡を探知する物です。害する意思をもって魔法を行使した場合でも反応します。探しものから敵の警戒まで手広く使える優れものです」
「このリストに載っているすべての冒険者に記憶操作の痕跡があったと?」
「調べた限りはそうです」
トロイは表情には出さなくとも心の中では怒りの炎が燃え上がっていた。記憶操作の魔法は禁忌とされ、人に使う事は徹底的に禁止されている。また操作による記憶障害が残る可能性が高く、リュデルの持ってきた資料に記載されている冒険者のすべてが被害者であった。
「禁忌を使う事を厭わず、平然と人を操り、魔物を使って人を殺し自らの手を汚さない。この卑怯者に心当たりはあるかい?」
「残念ながら特定の誰かまではありません。しかし、特定の組織には心当たりがあります」
「組織?」
聞き返されたリュデルは辺りを警戒して伺った。安全を確認すると、トロイを手招きして耳打ちした。
「他言無用でお願いします。組織の名はグリム・オーダー、そう呼ばれています」
グリム・オーダー、トロイにはその名は聞き覚えがなかった。何故リュデルがそんな事を知っているのか、その事に大きく興味を惹かれた。
「私はその組織を知らない。何故君はその名を知っているのだね?」
そのトロイの問いかけに、リュデルは首にかけたペンダントをトンと指さした。ペンダントトップは帝国のシンボル、つまり自分が得た情報は帝国の情報網であるという事を暗に示していた。
「成る程、それは明かせない訳だ」
「恐れ入ります」
「いいや、君は十分誠意を見せてくれたから構わないさ。今回の調査には支障はないのだろう?」
「ええ、それはまったく別問題です。そして僕の責任でもって遂行されるべき事ですから」
それだけ聞けたら十分だとトロイは思った。リュデルは何者かの命令によってこの場にいる訳ではなくて、ある種私欲でここにいると宣言してくれている。
誰かの命令で動いていると、その命令によって行動の指針は簡単に変わってしまう。しかし個人の欲望で動いているのなら、まだ信用が置けるとトロイは判断した。それは日頃冒険者を相手にしているギルド長ならではの価値観であった。
「それで、今回の件組織の関わりは?」
「あるでしょうね。少なからず」
「…引き続き君に調査を頼むよ、しかしくれぐれも気をつけてくれ」
「勿論です。ああそうだ、ロゼッタさんにお伝えください。石板の解読はそのまま進めてくださいと」
リュデルは爽やかな笑顔を浮かべたが、トロイは逆に苦い顔をした。レイアは確かにリュデルを出し抜いたが、時間稼ぎにもならなかったようだとトロイは思った。
リュデルは「失礼します」と挨拶をして部屋から出る。外で待機していたリュデルの付き人の二人の女性が、歩く後について二人も続いた。その間に言葉のやり取りは一切ない。
「よろしいですかリュデル様?」
「いつも言っているだろう、発言の許可など取らなくていい」
「失礼しました。しかし拙の性分でございます」
「まあいい。何だメメル」
自らの事を拙と称した女性をリュデルはメメルと呼んだ。
「グリム・オーダーの名まで開示される必要はなかったかと思いますが」
「盗み聞きとはいい趣味だな」
「これもリュデル様をお守りする為の事、ご容赦くださいませ」
メメルの言い分にリュデルは小さく舌打ちをした。しかしそれは怒りというよりも呆れの感情がこもっていた。
「トロイ様は優秀で誠実な方だ、礼には礼を尽くす。それが僕の流儀だ」
「ええそうかな?あたしはそうは思えないけど」
「フルル、失礼ですよ。言葉遣いを改めなさいと何度も言っているでしょう」
メメルにそう窘められた女性はフルルと呼ばれた。しかし態度を改める事なくリュデルに声をかける。
「あいつリュデル様の事よく思ってないですよ、あたしそういう感情には敏感なんです」
「言われずとも分かっている。だが相手への悪感情だけで仕事の出来を左右させるのかお前は?」
「場合によるかと思いますね」
リュデルはため息をついて額を手で抑えた。立ち止まると、後ろの二人もビタリと合わせて止まる。
「フューリーベアの事件はもっと大騒ぎになってもいい事件だ。死者数もそうだが、出現した場所も悪い。まだまだ仮免許の冒険者も依頼で訪れるような場所だからな」
「それは拙も不思議に思っていました」
「この件は別に隠蔽された訳ではない、多少の情報規制はあるがな。トロイ様は事実を小出しにして情報を絞り、危機感を正しく伝える事によって状況をコントロールしているんだ」
トロイは一連の出来事を過剰に隠したりはしなかった。隠せば探られるし、不安は煽られる。なので方法を変えた。
冒険者達には受付の人員を通してさりげない注意喚起を行う、直接的な表現は避けて意識に潜り込ませる程度に留めた。危険な魔物が出現するかもしれない、危機感のない有象無象はさておき、経験を積み依頼を真摯に取り組む冒険者にはそれだけで十分伝わった。
情報を発信する機関には事実に脅しを付け加えた。その情報を握っているだけで危険である事を伝え事件の当事者として巻き込んだ。慎重に扱わなければどうなるのかを実例を見せた。つまりは回収した冒険者達だったものをだ。
「どれもこれも危険な綱渡りだ、少なくとも僕では上手くいかないだろう。それをやってのけている、尊敬に値する。それにな、今あの人は普段部下に任せている仕事にすべて目を通している、繊細さを求められるからな」
「うへえゾッとする」
「成る程、拙達の勉強不足でございました。出過ぎた真似をお許しください」
ひらひらと手を振ってリュデルはまた歩き出した。メメルとフルルはそれに黙ってついて歩いた。
すべては伝説の地と秘宝の情報をわずかでも手に入れる為、リュデルはその目的を達成する為ならば存分に力を注ぐつもりである。リュデルもまたアーデン達と同じ、夢を追い求める冒険者の一人であった。




