決着
竜石を砕かれたシェイドはウェアドラゴンの力を失った。元々リチャードのものであった体はタロンと同様に塵と消えてなくなった。巨大化した体は元に戻り、残されたのは息も絶え絶えの老人だけであった。
シェイドの元へ歩みよりアーデンはその姿を見下ろす。後は握りしめた紫電を振り下ろすだけであった。
しかしアーデンはシェイドの目の前で紫電を鞘に収めた。それを見て這いつくばるシェイドは声を絞り出した。
「哀れみのつもりか小僧ッ!」
「いいや違うよ」
「ならば何故武器を収める!」
「お前に引導を渡してやるつもりだった。だけどその役目はどうやら俺じゃあないみたいだ」
アーデンはシェイドに自らの右手の甲を見せ、浮かび上がる竜の印を指し示した。シェイドがハッと気が付き自分の手を見ると、リュデルから奪った印が溶けて混ざり合い、どす黒くなって全身に広がっていくのが見えた。
「竜石を失った今、双子による封印の対象であるお前がそれを手にすることは出来ない。そして竜たちは世界を守るためにお前の存在を許さない。お前に引導を渡すのは、世界を守るべく奔走したお前の息子たちだ」
「ああ…あああ…ああああぁぁぁぁ!!!」
シェイドの顔が恐怖に歪んだ、地面を転げ回り頭を掻きむしった。のたうち回るシェイドの姿をアーデンは黙って見下ろしていた。
「死にたくないっ!吾輩はまだ死にたくないっ!!ああぁぁ!!あああああ!!!助けて、助けてくれ!!!」
「…お前はそう言って死んでいく人たちを見捨てて自分の欲望を満たすために使った。お前が助かる道理はない」
「そんなっ!そんな馬鹿なことがっ!!吾輩は世界を、人を、秘宝を支配する!!まだ死ねない!!まだ死ねないのにっ!!」
「今この時お前を憐れむものは誰もいないぞシェイド、広い世界でお前はただ一人で死んでいくんだ。お前の死を悲しむものも悼むものもいない。何故ならお前がすべて不要と切り捨てたからだ」
「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!!嫌だぁ!!!」
シェイドの全身が真っ黒に染まった。そして手足の先からゆっくりと消えていく、塵すらなくただ消滅していく。
「あああぁ!!痛い!痛い痛い痛いいい!!苦しい!!誰かっ!!誰かあああ!!」
壮絶な痛みと苦しみがシェイドを襲う、消え去るまでの長い間、シェイドはゆっくりとそれを味わい続ける。
かける言葉もなくなったアーデンはシェイドが消滅していくのをただ見ていた。世界を混乱に陥れた悪党の最期、それを見守るのはただ一人の人間、野望潰えた老人は痛みと苦しみに苛まれながらこの世界から消滅した。
シェイドの消滅を見届けた後、アーデンの視界がぐらりと揺れた。死闘の末シェイドを討ち倒したが、ダメージは大きく消耗は激しい、何とか仲間の所までは戻ろうと踏ん張るが、そのまま意識を失って倒れた。
戦いが終わり静けさを取り戻した頃、事態が収束したと見てトロイが動き出した。突然が続いた一連の出来事に、アーデンたちの支援は出来なかったが、冒険者を動員し帝国国民の避難と救助に取り組んでいた。
倒れているアーデン、レイア、アンジュ、カイトの四人を救出し治療に当たる。誰も彼もボロボロで、どれほどの死闘を繰り広げていたのかを物語っていた。特に仲間たちを庇って重症を負っていたカイトは、生きていることが不思議なほどであった。
結界を維持し続けていたロゼッタとモニカの二人も駆けつけた。アーデンたちの姿を見て絶句するも、自分たちに出来ることはないかと積極的に手伝いを申し出た。彼女たちは戦闘の矢面に立ちこそしなかったが、アーデンたちと一緒にシェイドに立ち向かった仲間であった。
リュデルとオーギュストを救出したフルルは、その後出来る限り城の人々の避難に奔走した。混乱に陥っていた帝国兵に活を入れ鼓舞し、緊急事態にも取り乱すことのなかった少数の兵を率いて事にあたった。
土壇場で兄の裏切りに遭い茫然自失となっていたオーギュストは、戦いの後更地となった城跡を見て更に絶望する。これまで死を偽って帝国の為兄の為雌伏して時を待ち続けた。それがシェイドだけでなく救おうとした兄の裏切りによって水泡に帰した。
跡形もなくなってしまった更地はまさにオーギュストの心の中を表すようであった。溢れ出る涙を拭うことも出来ずその場にうずくまって泣いた。肩と背を震わせ、声を上げて泣いた。
そんなオーギュストの背をそっと撫でる小さな手があった。そちらへ顔を向けると、小さな女の子が心配そうな顔でオーギュストを見つめていた。
「大丈夫?痛いの?悲しいの?」
その小さな帝国国民は人目を憚らず涙を流すオーギュストのことを案じていた。女の子の親が慌てて駆け寄りオーギュストから引き離すと、必死に頭を下げた。
「この子が失礼をしましたオーギュスト様っ!どうかお許しを!」
「ご、ごめんなさい」
謝るように促された女の子は涙目になりながらオーギュストに謝罪する。その時オーギュストは、まだ自分はすべてを失った訳ではないことを思い知った。絶望し、何もかもを投げ捨ててしまおうかと考えた自分を恥じた。
「謝らないで。寧ろお礼を言わせてほしい。ありがとう、おじさんはもう悲しくないよ。君のお陰だ」
「本当に?」
「ああ本当さ」
オーギュストは精一杯の笑顔で女の子の頭を優しく撫でた。
エイジション帝国はこれ以上ない痛手を負った。再起不能なほどの痛手を負い、残された人々は散り散りになって去っていくか、寄る辺を失い支えのない暗夜を震えながら生きていく。
帝国はこれからどうしていくのか、誰にも何も分からない宙ぶらりの状態となってしまった。だが滅び去るとしても、今生きている国民を見捨てて皇帝に連なる血筋の自分だけが死んで逃げることなど到底許されることではないとオーギュストは悟った。
死した兄の心の内を知るすべはもうない。どうして、何故、そう問いかける意味もなくなった。国を裏切った大罪人を兄に持つ自分が指導者として認められることはないだろう。それでも自分にしか出来ないことがあるはずだと、幼子にそれを教えられた。
オーギュストは涙を拭いて立ち上がる。そして更地となった城跡をしっかりと見据えた。兄の愚行の後始末をつける、悪の誘惑に負けない国へ建て直す。そんな夢と覚悟を死した兄に対して誓った。
メメルはふらふらとした足取りで、毎日アーデンたちのことを見舞った。三日が過ぎてもいまだ目覚めぬアーデンたちであったが、治療を終えて命に別状はない。後は目を覚ますのを待つばかりであった。
それが終わると、メメルの足はリュデルがいる部屋へと向かう。リュデルはまだ治療が続けられており、いつ命を落としてもおかしくない危篤状態が続いていた。
治癒師以外は誰も近づくことを許されないリュデルのことを、メメルは遠くから見つめていた。顔も姿も扉と壁に隔てられ見ることは叶わない、それでもメメルは見守り続けた。
リュデルの危機にあってその隣に自分が居られなかったことをメメルは悔やんでいた。自分一人があの場にいたとして何一つ結果は変わらなかったと分かっていながらも、リュデルの側にいるべきだったと後悔していた。
「メメル。またお前ここに来てたのか」
「フルル」
「ったく、安静にしてなきゃ駄目だって言われてるだろ?」
メメルの所に現れたのは、復興活動の合間を縫ってリュデルの様子を見に来たフルルだった。彼女もまた会えないというのに何度も足を運んでいる。
「フルル…、拙はどうしても考えてしまうの。どうしてリュデル様をお救い出来なかったのかって。拙も含め誰もあの男の狂気に気がつくことが出来なかった。その未来は変えることが出来なかったのかと考えてしまう」
「…メメル。気持ちはあたしも同じだ、あの光景はきっと一生脳裏から離れることはない。だけど、こうしてすべてが終わってみて分かったことがる」
「分かったこと?」
「後悔はいつでもできるけど、今できることは今しかできない。だからあたしは働き続ける。リュデル様が目覚められた時、悲惨な状態のままにある帝国を見せたくない」
「それは…。確かにあなたの言う通りね…、変えられない過去を嘆くより、前を向ける何かを見つけなくてはならない」
「ああそうだ。そしてメメル、そんな酷い顔でリュデル様にお会いする気か?しっかり回復して、元気な姿を見せることだって大切なことじゃあないのか?」
フルルの言葉にメメルは少し驚いた表情をした。それを見て「何だよ」とフルルが言う。
「まさかあなたに諭される日が来るとは思わなかったわフルル」
「う、うるさいな。真面目に心配してやってんだぞ!」
「ふふっ、そうね。本当にあなたの言う通りだわ。…ねえ、まだ歩くのに慣れてないの、肩を貸してくれない?」
「…仕方ないな。ほら、掴まれよ」
双子の姉妹は肩を並べて一緒に歩き始めた。絶対にリュデルは目を覚ます。その時にみっともない姿ではなく、誇れる姿でいたいと二人は心からそう思った。
過去から続く因縁、妄執の亡霊シェイド・ゴーマゲオ。多くの人々の命と尊厳を奪った男は、アーデンたち冒険者の手によって倒され最期には消滅した。こうして直接的な危険は取り除かれたが、不穏の種を世界中にばらまいた。その男は徹頭徹尾邪悪の赴くまま、最後まで世界に仇なし続けた。




